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イベント情報

2003/06/28

第3回活字文化推進フォーラム〜本は生き残るか―デジタル時代と読書―

 デジタル時代の本や読書は、どのような姿に変わっていくのか――。読売新聞社と出版業界などで作る活字文化推進会議は6月14日、第3回「活字文化推進フォーラム」を大阪市中央公会堂で開き、新しいメディアの可能性を話し合うとともに、活字文化の価値を改めて確認した。会場には約520人が詰めかけ、基調講演、パネルディスカッションに聞き入った。

基調講演「活字は永遠に不滅です」

林望さん(作家・書誌学者)

出版文化支え 本を残そう

 若者の活字離れが著しいと、多くの識者が嘆くが、本当にそうだろうか。

 東京大学で最近、「いま読書が熱い」という、ややカッコつけたタイトルの連続集中講義があった。私も頼まれて講義をしたのだが、学生たちの熱意は大変なもので、講義が終わってもなお熱っぽい議論が続いた。

 多くの学校で教鞭(きょうべん)をとってきた経験からいうと、今の若い人たちは本を読まない、とは思わない。

 確かに昔の高校生は本を読んでいた。だが、当時の高校生は、数少ないエリートだった。今の高校生も上位5%をみれば、昔の高校生より読書家だと言える。今の高校、大学生の一握りの読書家は、原書で読みこなす。英語の本を自在に読みこなしていく。

 つまり、読書人の数は、歴史的に見て常に一握りでしかないのだ。

 出版というものは、多くの人は、文明開化とともに明治になって始まったと思っているかもしれない。

 だが、これは大きな間違いで、日本では奈良時代の770年、お経が、木版で100万部も印刷されていた。その後も、お経や仏典が出版されている。ただ、こうした出版物の大半は読書とは関係がなかった。お釈迦(しゃか)さまの言葉を世の中に広めるためのもので、読書のためではない。

 状況を変えた要因の一つは、豊臣秀吉の朝鮮出兵だ。14世紀から金属活字による印刷が行われていた朝鮮から、秀吉の軍勢が金属活字を略奪してきたことで日本での活字印刷が始まった。

 もう一つは、キリシタンの伝来だ。彼らはグーテンベルク式の印刷機を日本に持ち込み、キリスト教の布教に努めた。この時代に、西洋式の活字による「平家物語」や「イソップ物語」などが印刷された。

 そして学問をした者が出世する江戸時代になると、子弟に学問させるための漢詩文を主とするテキスト類が盛大に印刷された。

 だが、勉強や人格修養は読書の第一義ではない。若い人によい本を読ませようと押しつけると、みんな嫌になって読書から離れていく。江戸時代に、出版業が初めて商業的に成功したのは、娯楽として本を読むことが定着したからだ。

 若者が本を読まないという慨嘆が聞かれるのは、日本だけでなくフランスでも同じのようだ。ダニエル・ペナックというフランス人は、「奔放な読書」(藤原書店)という著書で、「義務のない自由な読書から読書の楽しみは生まれる」と説いている。

 ペナックさんは、フランスの国語の教師であるが、朗読がとてもうまいらしい。国語の時間になると、おもしろいと思う本を朗々たる声で、生徒たちに読み聞かせた。

 生徒たちが聞いて楽しんだら、それでいい。これを読め、あれを読めと若者に押しつけたり、感想文を書かせたりといったことは一切しない。

 「生徒たちが本を読まない」と嘆く暇があれば、朗読の技術を磨けばいい。おもしろく読み聞かせれば、生徒たちはいや応なく読んでしまうことになる。

 読み聞かせる相手は子どもだけではない。落語とか講談とかは、一種の読書でもあった。活字文化というものはただ単に、紙に固定されたものだけではない。音声による読み聞かせもまた、読書文化なのだ。

デジタル時代にあっても本はなくならない。

 紙にインクで印刷してあるということは、紙が燃えでもしない限り、絶対的に安定している。だが、コンピューターのデータはぜい弱で、コンピューターが壊れたらもう読み出せない。本は踏んづけようと、コーヒーをかけようと、読むのには別に支障がない。

 電車内で本を読む時に、いちいちコンピューターを開いて読むことはあり得ないだろう。ポケットから文庫本を出し、すぐに読めることの利便性にはとうてい及ばない。

 大事なことの一つは、本は、ページを折っておく、しおりを挟んでおく、ひもをかけておくことで、どこまで読んだか、すぐにわかることだ。コンピューターではこうはいかない。

 本が滅ぶことはないが、現今の出版業界の不振を見ていると今のままでいいのかという問題はある。出版社がどんどんつぶれているのは、読者の問題だ。本は値段が高い、と思っている人がいたら改めてほしい。

 明治時代に出版された夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の値段は、現在の貨幣価値に換算すると、2万―3万円にもなる。

 今日、単行本が高いと言っても1300円ぐらいで、文庫本は5、600円だ。それなのに本が出るとすぐ図書館に行って借りて読んでしまうから、本が売れなくなる。

 本は、他のデジタルメディアなんかには絶対取って代わられないだけの強みを持っている。その出版文化を現代の読者が支え、若い人たちに本を残していってほしい。

林望(はやし・のぞむ)さん
1949年、東京都生まれ。慶応大大学院博士課程修了。「イギリスはおいしい」で日本エッセイストクラブ賞、「ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録」で国際交流奨励賞を受賞。ほか小説や詩など著書多数。

パネルディスカッション〜「本は生き残るか―デジタル時代と読書―」

 討論では、作家や映画監督、電子出版関係者ら4さんが、「本は生き残るか―デジタル時代と読書―」をテーマに、本への尽きせぬ思いや、将来の予測を語り合った。(コーディネーターは吉島一彦・読売新聞大阪本社編集局次長・科学部長)

■パネリスト

masaaki_hagino.jpgg 萩野正昭(はぎの・まさあき)さん
ボイジャー代表取締役。1946年、東京生まれ。早稲田大卒。映画助監督を振り出しに映画、ビデオ、ビデオディスク制作を経て、92年に独立して電子出版ビジネスを始め、電子本の普及に努めている。
yuko_matsumoto.jpg松本侑子(まつもと・ゆうこ)さん
作家、翻訳家。1963年、島根県生まれ。筑波大卒。テレビ局勤務を経て、「巨食症の明けない夜明け」ですばる文学賞を受賞。著書に「光と祈りのメビウス」など、翻訳に新完訳「赤毛のアン」。
kazuki_omori.jpg大森一樹(おおもり・かずき)さん
映画監督・大阪電気通信大教授。1952年、大阪市生まれ。京都府立医大卒。「ヒポクラテスたち」「わが心の銀河鉄道〜宮沢賢治物語」や「ゴジラ」シリーズを監督。著書に「震災ファミリー」など。
kei_yuikawa.jpg唯川恵(ゆいかわ・けい)さん
作家。1955年、金沢市生まれ。金沢女子短大卒。銀行勤務などを経て、「海色の午後」でコバルト・ノベル大賞を受賞した。恋愛、サスペンス、ホラーなど幅広く活動し昨年、「肩ごしの恋人」で直木賞。

――「活字文化推進フォーラム」では、昨年11月の第1回で「今なぜ活字文化なのか」、今年3月の第2回は「本好きの子供にするには何が必要か」を議論してもらった。今回は「本は生き残るか」とのテーマで、デジタル時代における書物の行方を探りたい。新しい情報メディアが増える中、読書の今後はどうなるのか。まず、本との出合いをお聞きしたい。

【大森】 僕は「鉄腕アトム」を連載当時から知る最初のマンガ世代。僕の学生時代は、若者が漫画を読んで活字を読まないことが活字離れとされた。今の大学生は漫画すら読まない。携帯電話やパソコンの普及で、今や活字離れから本離れになってきている。

 最初に活字に触れるいわゆる通過本は、映画「007」を見て読んだイアン・フレミングの原作本だった。「ロシアより愛をこめて」は、ケネディ大統領が自分の好きな10冊に入れたほどで、中学生にとっては面白く適当にいやらしく……。映画と原作の関係を考えるなど、今の職業にもつながった。

【唯川】 私も漫画やテレビなど、本以外からも刺激を受けた世代。中学時代、少しエッチな少女小説をワクワクしながらこっそり読んだのも、読書の楽しみを覚えたひとつだった。

【萩野】 僕の最初の本はデフォーの「ロビンソン漂流記」。意識して本を読んだのは高校時代から。教科書の参考文献にあった宮本常一の「山に生きる人びと」が書店で見つからず、版元まで訪ねていった。その出版社のたたずまいが今も忘れられない。本は関連情報を引き込む、そこが魅力だ。

【松本】 大阪に住んでいた二十代のころ、初めて「赤毛のアン」の翻訳を手がけた。少女小説のイメージが強いが、アンが引き取られた農家グリーン・ゲイブルズの家族は保守党で自由党支持の近所の人と対立していたり、育ての親マシューが銀行倒産で全預金を失ったショックで亡くなったりと、政治、経済についても描かれている。調べてみるとすべて歴史的事実に沿っていて、1冊の本から様々に興味を深めていく知的な喜びを知った。

――仕事やプライベートで、デジタル機器を使いますか。

【大森】 僕はコンピューターが苦手で手書きが多い。字数制限のある原稿はパソコンを使う方が便利だが、映画のシナリオなど、とりとめなく書くのは二百字詰め原稿用紙に手書きでないと。

【萩野】 私も意外にコンピューター一辺倒じゃない。映像関係の仕事をしていた1980年代、ビデオ編集機器のハイテク化に伴って見よう見まねで覚えた。

【松本】 私は学生時代にコンピューターの授業をとって以来、使い始めて22年になる。作家になって16年だがデビュー作からすべてキーボードで書いており、原稿用紙に書いたことは1度もない。

【唯川】 私も学生時代にかじった。就職した銀行がオンライン化の最中で、職場でコンピューターを扱ったものの、初の応募原稿は手書きで。作家デビューして2年目からワープロを使い始め、今ではパソコンなしでは1枚書くのも苦しい。編集者との連絡も、ほとんどメールだ。

――電子本、電子出版に携わっている萩野さん、仕事でデジタル情報を活用している松本さん、それぞれ説明を。

【萩野】 電子出版の特徴は、電子機器を使うという約束事がある。1980年代からパーソナルコンピューターの時代に入ってきたということが重要な要素だ。最初は、読めればいいということだったが、もう少し快適に読みたいとなってきた。小説なら縦書きで読みたいとか。また、ノート型パソコンなど持ち運べるようになってきた。インターネットで流通が一般に開かれてきたことも電子出版が勢いづく背景にある。

 電子出版の利点は、まず製造がない、ものをつくらない。だから、在庫がない、品切れもない。トラックで運ばなくていい。また、私は「電網打尽」と言っているが、全国を網羅する支店もいらない。インターネットの本屋はたった一軒で世界をカバーできる。勤務時間はなく、年中無休だ。

 本は現在、すべてデジタル化してつくられている。わざわざ紙に印刷しているのだ。印刷は大量に刷るのに適した方法だが、今ではたった一部刷ることも低料金でできる。

【松本】 「赤毛のアン」の翻訳でどのようにデジタルデータを使ったか。「赤毛のアン」は児童文学だと思われていたが、実はシェークスピア劇など、米英の古典を100か所ぐらい引用した知的な作品だ。ただ、誰の何と言う作品から持ってきたかを原作者のモンゴメリが書いていない。それを探していった。翻訳を始めた91年当時は、引用句辞典を使うしかなかった。翌年、シェークスピア全集、聖書の全文が入っているCD―ROMで検索したところ、「ハムレット」や「マクベス」があった。聖書からも30か所ぐらいわかった。

 でも、手元のデータはシェークスピアと聖書だけ。こうなったら自分でつくるしかない。ハーバード大図書館へ行って、著作権の切れた古書を段ボール3箱分コピーをとった。1ページずつスキャナーで画像データにし、文字データに変換して、検索に使った。

 このデータをひとり占めするのはもったいない。インターネットなら世界中の人に読んでもらえると思って電子図書館をつくり公開してきた。最近は、インターネット上にデジタル化された文学作品は膨大にある。日本でも源さん物語、方丈記などの古典文学がデジタル化されて、誰でも読むことができるようになった。

――デジタル化が進む中で、本は将来どうなるのか、生き残るのだろうか。

【大森】 電子出版の話を詳しく聞いて、レイ・ブラッドベリの小説で、フランソワ・トリュフォー監督が映画化した「華さん四五一」を思い出した。本は人にいろいろなことを考えさせるので害毒だと考えた政府の方針により、本をすべて焼却してしまうという未来の物語で、最後は、本を失った人たちが、その内容を口伝えで語り継ぐところで終わる。電子出版の時代になれば、こうしたことは起きないかというと、そうではない。ハッキングやウイルスで、焼却しなくても本を消滅させることは可能だ。それでも、物語を伝えていこうとする人間がいる限り、口伝えという形であっても、本は残るといえるのではないか。本というものを人間が忘れない限り、本は残るだろう。

【萩野】 1年に7万4000点も本が出ている。まったくの驚きだ。人は必要な時に、必要な本を読む。その出合いが大切で、読んだ冊数を競うものではない。たとえ100年に1度利用されるだけの本であっても、残し伝える使命が私たちにはある。その使命を7万4000出す出版社に頼るのはもはや難しい。でも、電子出版には、かすかな希望がある。

【松本】 活字でも電子ブックでも、読む人が一番読みたい形で読めば、物語という意味で、本は残る。「赤毛のアン」の中には、古代ローマ時代から約2000年間、手書きか版木による印刷で残されてきた文学や、口承で伝わってきたアーサー王伝説の話も出てくる。本の形や器は変わっても、物語を読みたいという人間の知的で豊かな欲求は、変わらない。

【唯川】 私たちは、小さい時から本を手にして読み、慣れてきたので、その習慣は一生続くと思うが、次の世代の人たちは、パソコン画面を通じて読むような形にも慣れていくのではないか。違和感なく入っていければ、どんどん広がっていくだろう。書き手は、伝えたいことを、物語や言葉にして読み手に渡したいと願うもの。その核が伝わるのなら、どんな形であっても、素晴らしいことだ。

――次は、会場からの質問に答えてください。大阪市北区の70歳女性から「映画になると、原作と似て非なるものになることがあるのは、なぜですか」。

【大森】 映画と小説とは違うということ。映像は一目でわかってしまうため、小説では成立するが、映画では成立しないケースが、往々にしてある。遠藤周作さんの小説「妖女のごとく」は、二重人格の女性の話だが、この映画のシナリオを書いた時は、映像的にわかりやすくしようと考え、「実は双子だった」という設定に変えた。遠藤さんには「何ちゅうことをするんや」と言われたが、映像と小説の違いというのはある。

――京都府京田辺市の64歳男性から「5年前に出版した本の初版在庫が少ないため、出版社から電子本化を勧誘されている。迷っているので、アドバイスを」。

【萩野】 出版社は、重版して売れる自信がないから、電子化を勧めているのだと思う。今後もご自分の本を読んでもらいたいなら、電子化は一つの方法だ。ただ、それならばもう人に頼らずにご自分でやっていただきたい。電子化は特別なものではなく、我々のメディアなのだ。技術面で尻込みするようなら、私に聞きに来てください。

――「『赤毛のアン』を新たに翻訳しようと思った動機は、何ですか」。大阪市城東区の45歳の女性からです。

【松本】 出版社から依頼をいただいた。初めて原書を読んでみたら、全文訳ではないことがわかり、小説家としては、原作者は全文を訳してほしいだろうと思い、引き受けた。文学からの引用が多い芸術的な作品なので、本当のアンを知っていただきたいと思った。

――神戸市西区の50歳男性から「作家になるために一番努力したことは何ですか」。

【唯川】 書くことは好きだったので、一番努力しなくてもいいことを選んだのが作家だった。好きなことは、どんなに徹夜しようと、つらかろうと、努力とは感じない。作家になるためというより、作家になった後の方が、努力はしている。

パネルディスカッション〜「活字と電子本 長所・短所は」

――活字と電子本それぞれの長所や短所を討論していただきたい。

【大森】 今の映画「マトリックス・リローデッド」なんて見ると、活字文化と映像文化の分け方じゃなくて、活字の中のアナログ、デジタル、映像の中のアナログ、デジタルという分かれ方になっている。僕自身はアナログの方に思い入れが強い。映画の場合、コンピューターの処理がいっぱい入ってきて、映像がどれも同じような感じになってきたということが作り手として気になる。「マトリックス・リローデッド」はすごい映像だが、1、2年たったら同じような映像がどんどん出てくる。例えば、昔のヒチコックの映画などシーンを見ただけでヒチコックとわかったが、今はどの映画を見ても監督がよくわからない。

 活字の方は専門じゃないので、読み手として言うと小説がむちゃくちゃ長くなった。僕はシナリオを自分の手で書くが、書いていると疲れてくる。書き疲れと、読み手の読み疲れとがほどよい量を決めて、本の長さを決めていたと思う。かつて星新一さん、小松左京さんのショート・ショートというものがあった。本当に短くて気がきいていておもしろかったが、今は、ロング・ロングの時代になってきている気がする。

【唯川】 読み手としては、欲しい本がすぐ手に入るという意味で電子本というのはありがたい。ただ、本の楽しみ方というのは、またちょっと別という気がする。重さ、紙質、装丁といったいろんなものも含めて本の楽しさがあると思うが、電子本は内容そのものをストレートに楽しむ。「本」という感覚とは、私にはちょっと違う気がする。

 逆に書き手としては、活字本でも電子本でもどんな形であろうと、本当に知ってほしいことは、その中に必ず込められている。いろんな分野で読んでいただけるというのは、やっぱり大きなメリットだという気がする。ただ、印税はどうなっているのか、どんな形で売られていくのか、まだよくわからないところもある。

【萩野】 著作権の問題に触れておきたい。電子出版には電子機器が必要だが、電子機器はコピーできることが「売り」でもある。コピーできないコンピューターを買う人はいない。機械に大枚のお金を払っても、読むものにお金を払う気持ちは育(はぐく)まれているとは言い難い。著作権の期限切れ作品はただなのに、著作権のある作品は有料で、さらにコピーガードがついてくる。納得している読者は何人いるだろうか。著作権とコピーが非常に大きな問題になるのはここだ。

【松本】 デジタルデータを使う長所の1番目は「文学研究に新しい手法をもたらす」。源さん物語では、五十四帖がどういう順番で書かれたのか、語句の詳細な分析で成立過程を調べることができるようになった。

 2つ目が、「貴重な古書の劣化、破損を妨ぐ」。ロンドンの英国図書館で120年前の古い本をコピーする時、「1ページでも外れたり、背表紙が割れたりした場合は、修復費用をすべて払う」という契約書にサインしたことがある。私のように古書の中身の文章だけ欲しい人は、図書館のホームページにあれば便利。

 3番目が、活字の絶版本が、デジタル化で半永久的に流通すること。4番目が、オンデマンド出版。需要のあったときに1冊でも2冊でも発行することで、中小の出版社などが生き残ることができる。短所は、著作権の侵害の危険性や、大資本が電子化権をほかに渡さないように囲い込むビジネス化だ。

パネルディスカッション〜「私の一冊」

――最後に各自「心に残った私の一冊」を。

【大森】 高校3年生だった1969年に、庄司薫さんの「赤頭巾ちゃん気をつけて」が出た。東大の入試中止や安田講堂封鎖などが描かれ、初めて僕らの肌に近い等身大の人物が出てきたという意味で、すごく共感した。後に、あれはサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」から影響を受けてると友達に言われて、こちらも読んだら、本当に素晴らしかった。いまも心に残る一冊といえば、「赤頭巾ちゃん気をつけて」を通してたどり着いた「ライ麦畑でつかまえて」になる。

【萩野】 新美南吉著「おじいさんのランプ」。映画やレーザーディスクなど、いろんなメディアの仕事をした経験から、「一つのメディアには終わりがある」と如実に感じた。その中で、電気にとって代わられるランプを一生懸命に売った主人公に、共感を覚えた。

【松本】 アメリカ小説の翻訳文体で書かれた村上春樹著「風の歌を聴け」、薬物や乱交におぼれる青春群像を描いた村上龍著「限りなく透明に近いブルー」、結婚生活に満たされない中年女性の心と婚外恋愛を描いた森瑶子著「情事」。十代に読んだこの3冊で、現代や女性の心理を描く小説家になりたいと思った。

【唯川】 アンデルセンの「人魚姫」。1番最初に読んだ恋愛小説だと思う。小・中学、高校と、訳した人も変えながら読んできたが、感動したり、「これが愛なんだわ」と思ったり、「うっとうしい女だな」と思ったり、その時々の自分を反映して印象が変わる。恋愛小説を書く限り、切っても切り離せない小説になった。これからも年を重ねながら「人魚姫」を読み返し、一生つき合っていきたい。

(2003/06/28)

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