21世紀活字文化プロジェクト

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活字文化公開講座

2003/05/28

「活字文化公開講座」スタート

■出演
米原万里さん(ロシア語通訳・エッセイスト)

 「活字文化公開講座」(主催・活字文化推進会議、東京大学)が5月10日、東京都文京区の東大弥生講堂で開かれた。活字文化を守り育てようと、読売新聞社が提唱した「21世紀活字文化プロジェクト」の一環。公開講座は全国の大学を舞台に順次開講するが、今回はその第1弾だ。この日は、ロシア語通訳でエッセイストの米原万里さんが「本は理想的な日本語と外国語の教師」と題して基調講演。「本さえあれば、外国に日本語の空間を持ち出せる。日本人としての生命維持装置みたいなもの」などと述べた。これを受けて、東大社会情報研究所の吉見俊哉教授が関連講演を行った。

米原万里さんら「読む」大切さを強調

20030528_01.jpg 文京区の東京大学弥生講堂で10日開かれた読売新聞が推進する「21世紀活字文化プロジェクト」の一環である「活字文化公開講座」(主催・活字文化推進会議、東京大学)。会場には約350人が詰めかけ、ロシア語通訳でエッセイストの米原万里さん(53)らの講演に熱心に聴き入った。

 米原さんは、基調講演の中で、子供のころチェコスロバキアで長く暮らした体験を披露し、「文学全集をボロボロになるまで読んだおかげで日本語を忘れずに済んだ。日常会話だけでは語彙(ごい)が少ない。2つの言語で小説を楽しめたことが、同時通訳をするうえで役立った」などと話した。

 また、関連講演した東大社会情報研究所の吉見俊哉教授(46)は、「日本では本を通じて大衆的な学問・知識の世界が成立してきたが、今は本を多く読む人と全く読まない人の二極化が進み、その世界が危機に直面している」などと意見を述べた。

 質疑応答では、会場から「外国語を学ぶ楽しさとは」などの質問が飛び、米原さんは「外国の新聞を読めば、世界の出来事が立体的に見えて面白い」などと答えていた。

 参加者から寄せられていた「子どもに本に親しんでもらうには」との質問に、佐野さんは「良書幻想を捨て、いわゆる大人がいいという良書を薦めないこと」などと答え、会場の市民をうならせるひとこまも。

 神戸市東灘区の同大学4年早川俊輔さん(23)は「佐野さんの話を聞き、読者も本に書かれた言葉を相当の覚悟を持って受け取らなければならないと思った」と話していた。

基調講演「本は理想的な日本語と外国語の教師」/米原万里さん

読むということの意味

 私はロシア語と日本語の同時通訳を20年ほどやっていますが、どの程度の語学力が必要かとよく聞かれます。これまでいろんな回答をしてきましたが、最近は、日本語と、同時通訳をする外国語の両方の言語で小説を楽しめれば、通訳はできると答えています。

小学3年生でロシア語の学校に入学し地獄の苦しみ

20030528_02.jpg 私は9歳の小学校3年生の時に突然、日本語が全く通じない場所に放り込まれました。親が当時のチェコスロバキアのプラハに赴任、チェコ在住のロシア人のために、ソビエト外務省が設立したソビエト学校に1月、入学しました。

 ソ連のカリキュラムで、ロシア語で教えるのですが、授業中に先生の話の内容が分からないというレベルの問題ではありません。例えば、子供ですから、いろいろ理不尽なこともされます。日本から持っていった奇麗な栞やペンケースを取り上げられても、相手をなじったり、不当だとみんなに訴えることができず、相手の言った内容も理解できない。最も辛かったのは、先生が授業で面白いことを言い、みんないすからずり落ちそうになるほど笑いころげているのに、それが分からないことでした。地獄のような苦しみが続き、片頭痛と肩凝りに悩まされました。

 しかし、3か月ほど経つと、薄皮がはがれるように少しずつ、少しずつ分かるようになりました。6月から3か月間は待望の夏休み。まだ言葉が十分できず不安でしたが、学校主催の林間学校に参加して、川や湖、森で楽しく遊ぶ日々を過ごしました。日常的にコミュニケーションしないと生きていけない状況におかれたため、具体的に物を見て、花の名前などの言葉を覚えました。どこの国の人たちも、日常生活で使っている文章のパターンは約5つ、語彙は700ほどなので、日常生活をする上での苦労はなくなりました。

ロシア語の「箱根用水」を読み終え先生も驚く上達ぶり

 そんなある日、林間学校の読書室で表紙に日本語で「箱根用水」、ロシア語で「タカクラテル」、「箱根の水」と書いてある本を見つけました。普段ロシア語の本は手にしないのですが、懐かしい思いがしてページを開いたところ、表紙は漢字なのに中身はすべてロシア語。江戸時代に富士山の麓で、箱根用水を引くために活躍した農民と技術者の物語で、最初は分からない単語が多かったのですが、必要な情報の単語は何度も出てくるので、すぐ分かるようになりました。

 どうしても分からない時は辞書を引き、話の内容にひかれどんどん読み進み、ついつい読み終えました。読んで身につくロシア語は、日常会話で覚えるロシア語とは随分違います。語彙(ごい)もかなり増え、文章の型、文法、これもいろんな型を覚えます。これがきっかけでロシア語の文章を読むのが苦痛でなくなり、図書館にあった本をほとんど読みました。9月に新学期が始まると先生たちは、万里は突然何でこんなにロシア語がうまくなったのかと驚いていました。

「世界少年少女文学全集」が日本語書き言葉の教師

 ロシア語はこのように飛躍的に伸びましたが、今度は私の母国語である日本語の危機です。私は妹と寄宿舎に入りましたので、日本語に接する機会がほとんどありません。私は小学3年まで、妹は小学1年の途中まで日本にいましたから、その範囲で日本語で話していました。通じるのは通じるけれど、非常に低いレベルで通じていたということです。親は日本に帰った時に、ちゃんと日本の学校に、あるいは学校の教育にアダプトできるようにと、小学6年までの教科書を持ってきてくれました。学校に通いながら、その教科書で勉強させようと思ったようです。しかし、教科書って魅力的ではないので全く読みませんでした。

 そうこうするうちに、向こうに着いて半年遅れで、船便で日本と世界の選りすぐりの名作を集めた「世界少年少女文学全集」全50巻が届きました。『平家物語』や『今昔物語』など、日本の古いものは大体全部入っていました。それを全部読み終えましたが、他に何もないから、また最初から読み返し、気に入ったものはボロボロになるまで何度も読みました。いろんな作家がいろんな文体で書き、語彙の使い方、文法の使い方もそれぞれ違います。魅力的な主人公とか物語に引かれて読んでいくうちに、知らず知らずのうちに楽しみながら日本語が身につきました。

 私が電話に出るとよく母親と間違えられますから、私の日本語の基本的な発声法や発話法の教師は母親だと思っています。書き言葉の教師は多分「世界少年少女文学全集」でしょう。そのおかげで、日本に帰ってきた時、教科書を全く勉強していなかったにもかかわらず、何とか日本語で、日本の教育にも、日本の社会にも、あるいは日本の他のいろんな文化というか、本にもアクセスできたのだと思います。

 ソビエト学校で私が感心したのは、図書館の先生が本を返す時に、読んだ内容を話させることです。単なる感想ではなく、本を読んでいない人に本の内容が分かるように話せと言うのです。きちんと内容を言えないと、ちゃんとこの本を読んでいないからもう一度読んでこいと言われます。ですから、最初から、あの怖いおばさんに内容を話さなくちゃいけないと思いながら読むわけです。面倒くさいと思われるでしょうが、そうではありません。人間というのは、自分が感動すると、人に話してさらに感動させたいという気持ちが強くなります。どう伝えようかと考えて読んでいると、読むのが速くなり、しかも言葉で内容を話さなくてはいけないから、私にはとてもいいロシア語の訓練になりました。読むだけではなくて、ロシア語でその内容を話すという訓練にもなりました。

読んだ後すぐ要約させるユニークな国語の授業

 国語の授業がまた傑作でした。日本では、立って声を出して教科書を読まされます。「はい、米原さん、うまく読めましたね。じゃ、鈴木君、その次の段落を読んでください。よくできました、じゃ、次」という感じです。ソビエト学校でも、まず文章を読まされます。1パラグラフを読み終えた瞬間すぐに、今読んだ内容を要約しろと言われます。読んだ時間よりも半分ぐらいの時間で、単語も違う単語に言いかえなくてはいけないのです。これがまた、読む時のすごい訓練になりました。こういうふうにして、授業ではかなりの小説、文学作品を読みました。文学というのは、全体としてはやはり、その国民の精神の歴史、精神の足跡を記憶して残していくものだと教えられました。文学を読むことで、その国を知ったり身近に感じたりすることができると思っています。

 中学2年の3学期に帰国しましたが、自分は日本人でずっとここに住むのだから、日本の文学作品で基本的なものは全部読まなくてはいけないと思い、また、高校受験用に文学史を暗記しなければならないということで、そこに出てきた作品も全部読みました。受験間近になって先生が、「田山花袋の『蒲団』を読んだ人は」と聞いたところ、クラスで手を挙げたのは私だけ。日本人というのは謙虚な民族だから、読んでいるのに私みたいに手を挙げないのだと思っていたら、川端康成の『伊豆の踊子』でも手を挙げたのは私だけ。後になって、私だけ手を挙げて恥ずかしかったと言ったら、「米原さん読んだの。あんなのは、作家の名前と作品の発表された年と作品名だけ覚えておけばいいのよ」と言われ、私にとって本当にコペルニクス的な転換というか、ショックでした。

ロシア語を忘れなかった秘訣は楽しみながらの週4冊の読書

 もう一つの心配は、5年間やったロシア語から離れたことです。そこで、帰国1週間後、父と一緒に代々木の日本ソビエト友好協会付属の日ソ学院を訪れ、ロシア語の蔵書を数多く持っている日ソ学院付属図書館の会員になりました。毎週土曜日の午後、この図書館に通って限度いっぱいの4冊の本を借り、1週間で読み終えてまた返すという生活を続けました。帰国してから、ロシア語のいわゆる゛お勉強゛は一度もしていません。ロシア語を再び使うようになるのは大学に入ってからです。私のように中学2年生ぐらいでロシアから帰ってきた子供たちの多くは、ロシア語を忘れるか忘れなくても通訳として使えるレベルには達しません。しかし、私の場合、単に楽しみたいために、毎週本を4冊ずつ読んでいたおかげで、ロシア語はちゃんと残っていたのです。

 一番いい外国語学習法は、その国に生まれることです。その次にいい方法は、なるべく若く、まだ脳が柔らかいうちに目的の外国語の国に行って暮らすことです。しかし、これも、ここにいる多くの人たちには間に合いません。そこで考えられる一番いい方法は、その言葉で読み、その言葉で考えるという環境を作り出すことです。その環境を作る一番いい方法は、それをできる人々に囲まれて暮らすことです。昔のロシア貴族はそのためにイギリス人とかフランス人を家庭教師に雇って子供に張り付けました。しかし、今の時代にそんなことをできる人はなかなかいません。そういうわけで、それが一番よくできるのが本なのです。本はいつでも私たちと一緒にいてくれます。ベッドの中まで来て教えてくれる先生なんて、なかなかいません。一瞬にしてその言葉の宇宙を作ってくれるのです。

高いレベルが要求される同時通訳

 2か国以上の言葉を話せることが通訳の最低条件ですが、日常生活で話す程度のレベルでは絶対通じません。多くの国の人々が参加する会議には、会場費をはじめ、外国から来る人の往復の旅費やホテル代など膨大なお金がかかります。そんな大金を使って日常的な話をするわけがありません。その学問分野や活動分野での最先端の人たちが初めて知るようなことを話し合うのですから、そこで通訳が通じなければ、すべてが無意味になります。かなりレベルが高くなくてはいけません。高いというのは、語彙も豊富であり、いろんな文体と文章のつくり、いろんな分野に精通しているということです。

 私は文学少女でしたから、金融、コンピューター、原子炉や放射線医学関係の本があっても1ページも開かないし、大体、手元にありませんし買いもしませんでした。しかし、収入に直結するとなると別です。会場へ行って通じなかったら怖いですよ。こんな高い金取りやがってと思われますから。ですから、準備しなくてはいけないので読むのです。それを読むためには、基礎体力として日本語とロシア語と両方が必要です。その基礎体力をつけてくれたのは、意外なことに文学作品です。

 文学作品は、人間のいろんな感情とか、世の中のいろんな現象を言葉で別の人に伝えようとしていますから、あらゆる言葉の可能性を一生懸命追求しています。さらに、読んでもらうために面白くしようと、作家が努力しています。だから、言葉を身につける教科書としては、私は、やはり文学作品が一番いいと思います。世の中、これだけでは駄目ですが、これを基礎にして、いろんな分野の情報を消化していけるのではないかと思います。

 というわけで、通訳ができるぐらい言葉をマスターするにはどうすればよいかと聞かれるたびに、私は、小説を楽しめるぐらいになればいいと答えています。基本的に、実は、一番有効な外国語学習法は小説を読むことです。

(2003/05/28)

米原万里(よねはら・まり)さん
東京外国語大学、東京大学大学院を卒業後、ロシア語同時通訳となる。90年のエリツィン大統領来日時に記者会見、インタビューなどで通訳を務める。95年には「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」で第46回読売文学賞・随筆紀行賞、02年には「嘘つきアーニャの真赤な真実」で第33回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

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