21世紀活字文化プロジェクト

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活字文化公開講座

2004/12/02

水村美苗さんが講演〜青山学院大学で活字文化公開講座

■出演
水村美苗さん(作家)
栗坪良樹さん(青山学院女子短大教授)

 読売新聞社が進める21世紀活字文化プロジェクトの一環として、「活字文化公開講座」(活字文化推進会議、青山学院主催)が10月23日、東京都渋谷区の青山学院大学ガウチャー・メモリアルホールで開かれた。作家の水村美苗さんが「日本語で書くということ」と題して講演し、日本語は現在、存続の危機にあると力説。

 続いて、青山学院女子短大の栗坪良樹教授が「ことばの力」をテーマに語った。会場には約400人が詰めかけ、両氏の話に聞き入った。

基調講演「日本語で書くということ」〜 作家・水村さんが日本文学の危機訴える

20041202_01.jpg 私は父の仕事の関係で12歳からの20年をアメリカで過ごした。だが、アメリカになじめず、古い日本の小説を読んで育ち、やがて日本で小説家になりたいと思うようになった。

 アメリカから戻って日本に落ち着いたのは、1990年ごろである。私は驚いた。日本語そのものが変わってしまったのである。私が知っていた日本語は消え、その代わりに、過去とのつながりもなければ、現在を捉えようとする意志にも欠ける、悲しい薄っぺらい日本語が氾濫していた。それは、日本語ではなく「ニホンゴ」であった。

 なぜこうなったのか。

 思うに、それは英語が世界言語になったことと深く関係している。今、世界中で国を代表するような知的な仕事につく人は、母国語に加えて英語を知らねばならない。その2重言語状況が、日本でもいつのまにか進みつつあったのである。

 例えば、数学を含む自然科学の分野では、すでに取り返しのつかないほど日本語は滅びている。新しい発見をすれば、その知的所有権が分単位で自分のものになったり、人のものになったりする時代である。今、自然科学者は、最初から自分の研究を英語で書き、互いの研究を英語で読み合わざるをえない。社会科学でも英語の必要は進んでいるし、文学でも英語の文献が圧倒的に多くなるにつれ、英語は欠かせなくなる。

 日本語は英語とかけ離れた言葉である。このような2重言語状況は、日本語を母国語とする人には大きな負担でしかありえない。高度な教育を受けた人ほど、英語を使いこなすのに力を吸い取られ、日本語で書かれたものといえば、パラパラと読み流せる本や、雑誌しか手に取らなくなる。

 本来ならば日本語を支えるべき人――日本文学を力強いものにすべき人が、日本語のものなどは真剣に読まなくなくなりつつあるのである。

 近代史の中で植民地化された国々において、知的エリートは、2重言語状況を生きざるをえなかった。現地語しか知らない人とは全く違う言語空間で、全く違うことを考えざるをえなかった。ところが日本は植民地化されず、最高学府まで日本語で教育が受けられ、そこに日本文学が奇跡的に花開いたのである。その奇跡が今消えつつある。

 私たちはどうすればよいのか。これは最終的には、義務教育の改革という国家的事業が必要であろう。

 だが何よりも重要なのは、読者が日本語にもっと多くを望むことである。「ニホンゴ」で書かれた本が氾濫する中で、孤立した精神をもち、もっと深いもの、高いもの、真に面白いものを日本語から望むことである。

 読書とは孤立した行為だが、それゆえ、そこに文学を救う可能性がある。

基調講演「ことばの力」…青山学院女子短大教授・栗坪良樹さんが行間読む大切さ強調

20041202_02.jpg  私は40年間、中学、高校、大学で国語の教員をし、教え子と一緒にずいぶん小説を読んできた。なぜ今日、「活字推進」と力を込めなくてはならなくなったのかということを、現場の教員として話します。

 今や漱石や鴎外の小説が、小・中学校の教科書から消えている。どうして消えたのかと、インターネットで各教科書会社のコメントを調べると、異口同音に「難しい」とある。例えば漱石の「坊っちゃん」は、あまりにも奥が深くて大人でも読解が難しく、鴎外の「高瀬舟」は、主題こそ明確だが、文体が今の生徒にはなかなかついていけないと言う。

 内容が難解で文体がちょっと今に合わないとなると、たとえ日本を代表する文豪の作品であっても捨ててしまうという時代を私たちは形成しつつある。あっという間に消費されてなくなる言葉ばかりが出回り、何かを形づくる言葉が後へ後へと送られている。

 そうするとどうなるか。私は大学生や短大生らの就職問題にも取り組んでいるが、企業から一番言われることは、とにかく大学生の言葉がなっておらず、コミュニケーション能力がないということだった。

 これはやはり、言葉の衰弱から起きていると思う。つまり、書き、話し、聞き、見ることが、高等教育を終えてもなされていないということだ。ラブレターを書いたり、話をしたり、映画や芝居を見たりする場合でも、当然そこには読んでほしい相手や話す相手、画面や舞台で展開される物事がある。相手にしっかり通じなければ意味がない。書き、話し、聞き、見るという行為は、すべて言葉の力によって貫かれており、これを順序立てて少しずつでも一段一段やるということが大事になると思う。

 阿部昭という、54歳で亡くなった小説家がいて、ある雑誌でインタビューさせてもらったことがある。今でも記憶に残っているのは、とにかく鴎外とか、漱石とか、志賀直哉とか、梶井基次郎とか、そういう人たちの文章があれば、日本の小説は大丈夫なんだと話していたことだ。でも現代は、漱石、鴎外をも倒してしまった。

 言葉は、ずっと人間の知恵と英知を積み重ねながら、その時代時代の人々の心を集約してきた。そして自分の内面を省みる手段でもあった。私は大学の授業で、小説の行間を読むことが大事だと言い続けているが、それは言葉や活字の文化の衰退を防ぐには、一般読者の力が大きく作用すると考えるからだ。作家、出版社、読者。この3者が1つにならなければ、活字は間違いなく衰えていく。この中で一番多いのは読者であり、だから読者の力が大きく作用する。

質疑応答

まず古典を読むこと、言葉の由来を大切に

――最も影響を受けた本と作家を教えてほしい。

【水村】夏目漱石です。私は「續明暗」という漱石の続編を書いており、「本格小説」を書いた時も自然と漱石に似てしまった。

【栗坪】私はトルストイ。中学2年の時の先生から、「戦争と平和」を8回読んだと聞いて興味を持った。日本の作家では漱石。「坊ちゃん」は10歳で読んでも20歳で読んでも、40歳、50歳で読んでも、その年齢なりに読める。

――アメリカと日本での教育の場面での読書は、どう違うのか。

【水村】アメリカでは教科書がなく、例えば先生がこの本をやりたいとなったら、学生たちにその本が貸し出される。だから1学期の間に、いろんな本を何冊も読むことになる。

――日本語の持つ美しさを小学生、子供たちにどう伝えていったらいいのか。

【水村】小中学校では大変だとは思うが、まずは古典を読ませる。一流とわかっているものを、子どもたちがわからなくてもいいから読ませる。

【栗坪】言葉の由来を学ぶ授業を行う。例えば、どうやってイケメンという言葉が出てきたのか。使い慣れた言葉が、本来はこんな意味だったということが分かれば食いつくだろう。言葉は、周囲の人間関係の中で培われると各家庭で自覚することも重要だ。

(2004/12/02)

水村美苗(みずむら・みなえ)
米・エール大学大学院修了。後にプリンストン、ミシガン、 スタンフォード大学で日本近代文学を教える。「續明暗」で芸術選奨新人賞、「私小説 from left to right」で野間文芸新人賞、「本格小説」で読売文学賞。
栗坪良樹(くりつぼ・よしき)
早稲田大学大学院修了。麻布中学、麻布高校の教諭を経て 青山学院女子短大教授。1992年から8年間は同大学長も務めた。 専門は近代文学。主な著書に「現代文学鑑賞辞典」(東京堂出版)。「寺山修司論」(砂小屋書房)。

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