活字文化公開講座 in 近畿大学

基調講演「TSUNAMIから半年〜タイの図書館支援と心のケア」/秦辰也さん

目輝かした子どもたち

20050613_01_01.jpg NGOの一員として国際協力ボランティアにかかわって22年目になる。

活動のきっかけは、1970年代のカンボジア内戦だ。多くのカンボジア人が難民となって、砲弾が飛び交う中、地雷原を越え、隣国タイに逃れた。みんな飢えや病に苦しんでいた。悲惨な状況をテレビや新聞で知って、何かお手伝いできないかと思った。

まず必要とされるのは食糧、住居、医療だが、それらの知識、経験ともなかった。そこで、子どもたちの心のケアとして、様々な絵本を翻訳し、届けることにした。喜んでもらえるか、最初は不安だったが、子どもたちは絵本に飛びつき、目を輝かせ、食い入るように読んでくれた。周りの大人たちもうれしそうだった。

苦しい状況でも本が夢や希望を与えられることを実感した。以来、活動の場をバンコクのスラム街、ラオス、アフガニスタンなどに広げてきた。

昨年末のスマトラ沖地震で津波に襲われ、約5300人が亡くなったタイ南部でも、現在、活動を進めている。多くの子どもたちが家族、友達を失い、避難所や仮設住宅で暮らしている。トラウマを負ってふさぎ込みがちだ。海を見れば悪夢がよみがえるとか、死んだ両親のところに行きたいとか訴える子もいる。

20050613_01_02.jpg  少しでも心を癒やし、希望を持たせたい。生活を立て直すきっかけをつかんでほしい。そう願って、学用品や制服を提供する一方、仮設住宅のそばにテントで仮設図書館をつくったり、移動図書館を巡回させたりして、絵本の読み聞かせなどをしている。子どもたちの心が癒やされることで、大人たちも勇気づけられる。

また、防災教育の材料として、日本の「稲むらの火」の物語を、タイ語の絵本にして紹介することになっている。安政元年(1854年)の大地震の際、和歌山の海岸沿いの村で、浜口梧陵という人物が稲束に火を付けて村人を誘導し、津波から救った実話に基づく。別のNGOのメンバーから話を持ちかけられ、私たちのタイの拠点を通じて翻訳や挿絵の手配をした。約2000部を印刷する。

被災地はこれからが大変だ。5年、10年の長い時間をかけて、立ち直っていかないといけない。それは子どもたちが成長する過程でもある。そういう意味で私たちには、図書館活動などを通じて現地との関係を深め、共に生き、共に学んでいくことが求められている。

日本人も過去、津波を経験してきた。近い将来、被害に遭うかも知れない。いざという時、支え合えるように、多くの国々の人たちと草の根のネットワークを作っておくことも大事だ。

シンポジウム「本を読みたい〜災害の戦乱下の子らはいま」

パネリスト
秦辰也さん(シャンティ国際ボランティア会専務理事)
柳澤秀夫さん(NHK解説委員)

コーディネーター
荒巻裕さん(近畿大文芸学部長)

1冊に人生変える力/秦さん 読書ができる環境を/柳澤さん

【荒巻】 基調講演をどう受け止められたか。

20050613_01_03.jpg【柳澤】 カンボジア内戦、中東の湾岸戦争の現地取材、そして最近のイラク戦争を通して、希望を打ち砕かれ、絶望した人たちを目の当たりにしてきた。秦さんたちの活動は、厳しい状況の中で生きる子どもたちに、未来や希望を与える仕事と実感した。本を読める環境をつくってあげることが非常に重要だ。しかし、我々は、本を読むことすら知らない、あるいは本を読む環境すら持てない人たちがいる現実を真剣に考えるべきだ。

【秦】 我々はアフガニスタンでも活動しており、5月23日から約1週間滞在した。反米デモがひどかったジャララバードに事務所があり、現地の人たちと図書館活動や学校づくりをしている。戦争しか知らなかった子どもたちも、夢が書かれている絵本がやはり大好きで、取り合いするように読んでいた。

【荒巻】 周りに栄養失調の人が多い中で、「なぜ絵本なのか」と批判的な目も多かったのでは。

【秦】 小さいときに、親や祖父母から童話を聞かせてもらったり、1冊の絵本にすごく感動したりした人は多く、絵本は〈心の栄養〉と言える。精神性や感性がはぐくまれるからだ。

タイのスラム街の家庭で生まれ育った1人の少女の例を挙げたい。姉が非行に走って、すごく悩んでいたが、たまたま私たちの会が作った小さな図書館で「大きなカブ」という絵本にめぐり合い、本のとりこになって、図書館にあった本をすべて読んだ。さらに、フランス語を一生懸命勉強し、タイの大学にトップクラスの成績で合格、現在、外交官としてロシアに留学中だ。1冊の絵本は人生を変える力を持っている。

【荒巻】 秦さんの妻、プラティープ・ウンソンタム・秦さんに約10年前、電気もないタイの貧しい村を案内してもらった時、小さな箱に絵本約30冊を入れた手づくり図書館の活動をしておられた。なぜ、それほど読書支援に熱心なのか。

【秦】 食事も衣服も十分でない中で、本を読むことが一番の楽しみだったということが原点にあると聞いた。そこには自分が主人公になれる別世界、生きていく上で大切なものがある。だから、大人は本を読むチャンスを子どもに与える責務がある。

【荒巻】 柳澤さんは先ほど、本が読めない、本があることさえ知らない現実がある。その上で考えないと不十分と言われた。

【柳澤】 アフリカのルワンダで、二つの民族の憎しみあいから同じ国民同士が戦った。その難民キャンプで、ルイーズというルワンダ女性と知り合った。彼女は若いころ、福島県に留学し、日本語を覚えていた。それがきっかけで、彼女は現在、福島で生活しながらルワンダに学校をつくる活動を始めた。「民族が違っても一緒に暮らしていけると、しっかり学んでこなかったのではないか、学ぶ場すらなかったのではないか」という思いからだった。首都キガリの郊外に設けた学校では、時々、給食も出せるほどになった。本を読める環境をつくっていくことの重要性を、目の当たりにした思いだった。

【荒巻】 政府レベルの取り組みも必要だと思う。

【柳澤】 難しい側面がある。一つの国にとって本を持ち込むことは、今までになかったことを新しい世代が学びとっていく現実が生まれる。その国がそれを希望しないなら、妨害もあるのではないか。

【秦】 政府によっては非常に厳しい目を向けてくる。民族とか地域とか、その国に合った本が一番いいわけだから、出版委員会や編集委員会に政府関係者、NGO関係者、専門家に入ってもらって、中身を吟味した上で出版するのを一つの基本にしている。

【荒巻】 秦さんらがカンボジアで絵本の活動を始めたのは、難民キャンプで母親らが何を望んでいるかを尋ね、そこから生まれたアイデアと聞いた。

【秦】 特にポル・ポト政権下で貴重な本、東洋一と言われた仏教書などが焼き払われた。人々が心のよりどころをなくしてしまった状況で、海外に散らばっているカンボジア語の本をかき集め、輪転機や謄写版を使って復刻したのが最初の取り組みだった。カンボジアの人たちとカンボジア語の絵本をつくり始め、一時期は1年間で7、8万冊ぐらいを難民キャンプで印刷した。当時はそこが世界最大のカンボジア語の印刷所だった。今ではプノンペン市の立派な印刷所に発展している。活字文化、出版文化のお手伝いが少しはできたという気持ちだ。

【荒巻】 視野を広げ、元気が出る。そんな不思議な力が本にはある。本の存在さえ知らない人が世界にいる現実を踏まえながら、本を大切にしていきたい。

(2005/06/13)

秦辰也(はた・たつや)
東京大学大学院都市工学専攻博士課程修了。1984年SVA入会。タイのカンボジア難民キャンプでの教育・文化活動に取り組み、SVA常務理事などを歴任。05年3月から現職。
柳澤秀夫(やなぎさわ・ひでお)
早稲田大政治経済学部卒。1977年NHK入局。バンコク、マニラ、カイロ特派員などを歴任。カンボジア内戦、湾岸戦争、パレスチナ、ソマリアなど内戦、紛争地を取材。02年から現職。04年から解説主幹。
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