林真理子さんが共立女子大で講演

基調講演「読者の心に届く『歓び』」/林真理子さん

20051217_01.jpg 数学者の藤原正彦さんが『国家の品格』という本の中で「この国の子どもを救うために、読書はどんなことよりも大切だ」とおっしゃっている。まず改めて、今若者に本を読ませなければ大変なことになると、声を大にして言いたい。

先日、私の『20代に読みたい名作』を読んだ高校生のお嬢さんから手紙をもらった。それには、「林さんの本を読んで、自分はこれまで、頭のいい子とか言われたいがための義務感で本を読んできたことに気付いた。これからは、魂と絡み合うような本との出合いをしていきたい」と書かれていた。うれしい手紙だったので、紹介した。

私が色紙を頼まれると必ず書く言葉に「書く歓(よろこ)び」がある。書くという行為には、自分が思い描いた世界がそのまま活字になるという陶酔感がある。

新潮社に、天皇と呼ばれた斎藤十一さんという伝説の編集者がいた。その斎藤さんの指示で女流作家の真杉静枝を書いたのが『女文士』だ。武者小路実篤の愛人をした後、作家の中山義秀の奥さんになった人だ。男に頼らなければ生きていけなかった時代に、女性がものを書くことはどういうことかを見据えた小説だった。本はあまり売れなかったが、斎藤さんはあなたはずっと書いていけるよとほめてくれた。

『アッコちゃんの時代』の主人公は、バブルのころ、20歳の女子大生だったにもかかわらず、当時「地上げの帝王」と呼ばれた人物の愛人になった女性をモデルにした。今39歳で子どももいるけれど、まだ現役で六本木で遊んでいる。「どうして愛人になったの」と聞いたら一言「若さはバカさ」と。ああ、これが好奇心の赴くまま、みんなで突っ走ったバブルの当時を解くキーワードだと強く思った。

20051217_02.jpg 雑誌に連載した『野ばら』は、宝塚の女の子と、その友達の財閥のお嬢さんがモデルだ。若くて美しくて、「おじさんたちのワインの会においで」とか「フレンチ食べにいこう」とか誘われて、世の中の楽しいところすべてに出没しているという。

彼女たちの話を聞いて「そうだ、谷崎潤一郎の『細雪』の平成版を書こう」と考えた。美しい女たちが六本木ヒルズとか麻布の和食屋とかで、ありとあらゆるおいしいものを食べたり、京都に旅行にいったり。平成の時代の贅沢(ぜいたく)を書いてみようとしたのがあの小説だった。

締め切りに追われてつらい日々が続くが、いろいろな女の人を書いて、うまく皆さんの心に届いた時は本当にうれしい。いつか、言葉の一つ一つが響きと魂を持っているような本を書きたいと思っている。

対談

若いときこそ長編を/林 人生で必ず役に立つ/鹿島

20051217_03.jpg【林】 博覧強記の鹿島先生だが、月にどのくらい本を読んでいるのか。

【鹿島】 書評は月に10冊くらいで、その2、3倍かな。書評鼎談(ていだん)などがあると、必死の思いで徹夜して厚い本を読む。締め切りがあれば、速く読めるようになる。

【林】 私も漢字と平仮名が好みの配分だと、ものすごい速さで読める。人生の至福の時だ。

【鹿島】 一代で800億円使った薩摩治郎八という人がいるが、ぼくが知り合いの年配の人に「もし20歳で800億円使えるとしたら」と尋ねたら、その人から「最高の家庭教師を雇って、最高に面白い本を読みたい」という答えが返ってきた。

【林】 ある賞の選考委員をして、普通なら手に取らない「ショウジョウバエ」についての本を読んだら、これが結構面白かった。

【鹿島】 人から強制されて読書の面白さを発見することはよくある。語学学習の最高の環境は刑務所の独房との冗談があるが、読書にも似たところがある。日本の教育に失われているのは強制だ。

【林】 学校の朝の10分間読書運動についてのご意見は。

【鹿島】 まだ少し手ぬるい感じがする。

【林】 鹿島先生は本が1冊もない家庭で育ったとか。

20051217_04.jpg【鹿島】 そうです。家が商売をしていて新聞をたくさん取っていたので、新聞ばかり読んでいた。それから隣の本屋で立ち読みすることを覚えた。毎月出る雑誌を全部読んだ。活字に対する飢餓感が、本に対する尊敬につながった。

【林】 ところで、先生をフランス文学に導いたきっかけは。

【鹿島】 大学の専門課程に進むガイダンスに出席された仏文の先生の表情がよかったので決めた。本にも人間と同じように顔と表情がある。本屋で本を開いたとき、この本の顔は自分に合うか合わないかがわかる。ただし、そのためには年中、本屋に行かなければならない。慣れのようなものがなければ本は選べない。

ーー小説家志望者に対して、何かアドバイスを。

【林】 新人賞に応募すればいい。本当に才能があれば評価してくれる。

【鹿島】 プロの小説家になるのは本当に大変だ。誰でも自分の物語を一つは書ける。それ以上の何かを描くには、小説をたくさん読んで骨法を理解していないと難しい。

【林】 自分の半径5メートル以内の物語を書いてデビューする新人が多い。問題は次に資料を使った作品を書けるか、さらに飛躍できるかどうかだと思う。何回も壁を乗り越える、強い精神力と体力が必要だ。実家が本屋だったので、子どものころからむさぼるように本を読んだ。商品を汚されると困るといって、親が文学全集をおろしてくれたが、『ボヴァリー夫人』から『風と共に去りぬ』や『細雪』まで中学生の時に読んだ。あれが私の財産になっている。

【鹿島】 作家になりたければ、できる限り早い時期に文学全集を片っ端から読むべきだ。

【林】 若いときに本を読まないと、取り返しがつかない。『戦争と平和』『カラマーゾフの兄弟』『チボー家の人々』などの長編小説を今読めと言われても読めないでしょう。時間がないし。

【鹿島】 それは絶対に無理。小説的快楽というのは大長編にあるというのが私の主張だ。寝食を忘れて主人公の人生と自分がクロスする。その快楽の経験がないと、書く側に回ったときに難しいと思う。

20051217_05.jpg【林】 本好きになるにはどうすればいいか。本屋で新刊書を1冊手に入れ、帰りにピーナッツを買って、食べることと読むことをいっしょにすれば、快楽が5倍にも6倍にもなる。私は新幹線ではナッツを一つずつ食べながら本を読んでいる。東京と大阪を往復する間に4冊ぐらい読めてしまう。

【鹿島】 高校時代は通学電車で、いつも本を読んでいた。当時の仲間で、今は会社の社長をしている友人に久しぶりに会ったら、「あの時の読書がおれを支えている」とつくづく振り返っていた。小説家になるか否かに限らず、どんな仕事でも人生でも、読書で得た体験は役に立つ。

【林】 就職できない時に変に明るかったり、ふられて泣いても、これで人生終わりじゃないよと立ち直れたりという強さは、読書から学んだと思う。

【鹿島】 この本を読んだら直接的にこういうご利益がある、ということはない。読書は、随分と無駄な時間を使っているように思える行為だが、どこかで必ずプラスに変わる。

【林】 深い言葉だと思う。ところで、学者が読む本の中身と深さに圧倒されるが。

【鹿島】 何でもそうなのだが、最初に何かやると簡単に思えるが、深めていくと大変難しくなる。自分が何もわかっていないことがわかる。どこかで体系性を見つけていかないと。本を1冊読んだだけで、何でもわかってしまうということはあり得ない。

【林】 それを見つける旅ですね。読書の旅というのは。

(2005/12/17)

林真理子(はやし・まりこ)
山梨県生まれ。「最終便に間に合えば」「京都まで」で直木賞、「みんなの秘密」で吉川英治文学賞受賞。近著に「夜更けのなわとび」「アッコちゃんの時代」など。
鹿島茂(かしま・しげる)
神奈川県生まれ。「馬車が買いたい」でサントリー学芸賞、「職業別パリ風俗」で読売文学賞受賞。近著に「60戯画−世紀末パリ人物図鑑」など。 
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