21世紀活字文化プロジェクト

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活字文化公開講座

2007/10/17

活字文化公開講座 in 京都女子大学「小説はインタラクティブ」

■出演
松井今朝子さん(直木賞作家)

 読売新聞社が21世紀活字文化プロジェクトの一環として展開している「活字文化公開講座」(活字文化推進会議、京都女子大学主催)が、9月29日、京都市東山区の京都女子大学で開かれました。今年、「吉原手引草」で直木賞を受賞した松井今朝子さんが、「小説はインタラクティブ」と題し、基調講演と海老井英次・同大学文学部教授兼図書館長との対談を行いました。

 開会に先立ち、土川眞夫・京都女子大学長が、「若者の活字離れが進む現在、少しでも活字文化に貢献できればと公開講座を企画した。今日は京都出身の直木賞作家、松井今朝子さんをお迎えできた。松井さんのお話を聞いて著作を読めば、小説が一層おもしろくなるはず」とあいさつしました。

基調講演「小説はインタラクティブ」

  私が小説を書き始めたのは43歳の時。書いた後から、「小説とは何か」を考えるようになった。今日はその過程をお話ししたい。

  もともと小説にあこがれていたわけではない。小学校高学年から歌舞伎が好きになり、中学では歌舞伎を見るために1人で東京へ行くほどだった。歌舞伎研究で知られる早稲田大学演劇科を出て、歌舞伎の興行を行う松竹で企画や制作に携わった。退社後、若い人々に歌舞伎を啓蒙(けいもう)するため、「マンガ歌舞伎入門」「ぴあ歌舞伎ワンダーランド」などの本や、CD-ROM「デジタル歌舞伎エンサイクロペディア」を作った。この時、コンピューター関係の人たちと知り合いになり、「これからはコンピューターの時代だ」と肌身で感じた。

  初めは歌舞伎のコンピューター・ゲームを作れないかと考えた。だが、ゲームの開発には大金がかかる。そこでガラッと発想を変えて、最もアナログな小説で歌舞伎を紹介することにした。初めて書いたのが「東洲しゃらくさし」だ。

  これは大坂から江戸へ出てきた狂言作者の並木五瓶と、短期間に集中して活躍した絵師の写楽を重ね合わせ、歌舞伎の内幕を描いた物語だ。分かる人は少ないだろうと思っていたら、編集者が「沖永良部島で爆発的に売れている」という。なぜ沖永良部島の人がそんなに歌舞伎に興味を持つのかと不思議だったが、よく考えると、私もロシアのことを何も知らずにドストエフスキーに夢中になったことがある。

  小説はそれでいいのではないか。小説は作家のものだというのは間違いではないか。私が夏目漱石の本を読んだ時、漱石ではなく実は「私の本」を読んでいたのではないかと、そのころから思うようになった。

  なぜなら「山」という言葉から、京都育ちの私は東山を思い浮かべるが、東京の人は例外なく富士山をイメージする。どちらが正しいとは言えない。言葉によって喚起されるイメージは、人によって違うのだ。

  このことは小説が優れてインタラクティブ(双方向的)なメディアだということを示している。参加型のメディアであるゲームは、一見あらゆる可能性があるように見えて、実はあらかじめプログラミングされた数少ない選択肢の中で遊んでいるに過ぎない。それに比べれば、読者一人一人が自分だけのイメージを作り上げる小説は、究極のインタラクティブだ。

  だから小説を楽しむのはとても知的な作業といえる。今は映像が氾濫(はんらん)している時代だが、映像は一目見ただけで富士山か東山かが分かり、限定されてしまう分、想像の多様性が失われてしまう。私は小説を書いて初めて、読むことのすばらしさに目覚めたともいえる。

  8月に明治開化期を背景にした「果ての花火」(新潮社)を出した。これを書くために、明治5年から残っている新聞の縮刷版を朝から晩まで読み、明治の人間になったかのような錯覚を起こすほど、明治に浸りきった。

  「吉原手引草」の時は17人の登場人物の独白体で書いたので、書いている間は次々とその人物になり切った。読者の側も、登場人物を想像力でふくらませ、そこへ自分の気持ちを乗せていくのが小説の楽しみだ。読者のものでも、作者のものでもあるところが、小説のすばらしさだろう。

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対談

関西の語り感じる/海老井教授 日本の古今を対照/松井さん 

【海老井】 「吉原手引草」は一人語りの形式だが、落語は意識されたのか。

【松井】 近代の言文一致運動が生んだ最初の小説が、二葉亭四迷の「浮雲」だ。これは坪内逍遥が四迷に、「三遊亭円朝の落語を参考に書いてみたら」と助言してできた小説だった。当時、歌舞伎は七五調の美文が中心で、最も日常言語に近いのは落語だった。そんな日本語の歴史を意識した。

【海老井】 言文一致体で始まった近代は、大正期に入ると武者小路実篤のような饒舌体(じょうぜつたい)を生む。佐藤春夫や宇野浩二もそう。松井さんの文体には、宇野浩二的な関西の語りを感じる。

【松井】 関西人はしゃべることにたけている。東日本の人は一人語りはするが、当意即妙の掛け合いは苦手だ。とはいえ、「助六」という芝居に江戸っ子同士の悪態の応酬が出てくるところを見ると、江戸時代はしゃべりの文化があったのかもしれない。今の東京の方が特殊とも考えられる。

【海老井】 私は歌舞伎に接してこなかった世代。型が決まっていることに対する抵抗感がある。

【松井】 歌舞伎に対する誤解もあるのでは。私が「歌舞伎の台本を書いていました」というと、よく「台本は昔から伝わっているでしょ」と驚かれる。実際は昔から変わらずに同じものをやっていることは少ない。

  なぜなら舞台の大きさや上演時間、座組の人数によっても毎回変わらざるを得ないからだ。大筋はあるけど、微妙に書き換えていくのが歌舞伎だし、新作、新演出もどんどん出ている。市川猿之助の「スーパー歌舞伎」や、野田秀樹の台本、蜷川幸雄や映画の山田洋次が演出する作品などいろいろある。

【海老井】 日本的な型の文化は、文芸の七五調にも遊郭のしきたりにもあった。

【松井】 型どおりにやっていれば楽だとは言える。今の若い人も、接客でマニュアル通りの応対をする。型を決めたがる日本人は、楽になりたい民族なのかもしれない。

  特に京都はこの日に何をするという決まり事が多い。和菓子や舞妓(まいこ)さんの髪飾りも毎月変えては、季節感を楽しんでいる。

【海老井】 ミステリー仕立ての小説が多いのが、松井さんの特徴だ。

【松井】 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」もミステリーだといわれる。殺人や密室を描く狭義のミステリーではないが、謎解きで読者を引っ張る広義のミステリーは、小説の構造として非常に有効だ。

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【海老井】 なぜ時代小説を書かれるのか。

【松井】 歌舞伎のおかげで時代小説の知識がある。それと、私が書き始めた前後に池波正太郎や藤沢周平が亡くなって、時代小説のブームがきた。ハードボイルドの北方謙三やミステリーの宮部みゆきが時代小説を手がけるようにもなった。

  私は自分の小説を「ガリバー旅行記」によく例える。あれは大変な風刺文学で、小人国へ行く話では当時の貴族社会のばかばかしさを小人国に重ねて描き、大人国へ行く話では大人国のすばらしさを描いて、現実社会の醜さを際立たせる。2種類の風刺を使っている。

  私も時代小説を書く時、過去の日本と今の日本を照らし合わせている。社会がいかに変化したかということと、今も昔も不変な日本人の人間観や世界観の両方を描くことができる。

【海老井】 「銀座開化」シリーズで書かれた明治開化期は、日本的な型の文化を持ちながら、西洋の文化や技術を受け入れた可能性豊かな時代だった。

【松井】 明治5年から10年くらいが特におもしろい。近代日本を確立するまでの間の時期だったことが、当時の新聞で分かる。例えば天皇制。天皇に戸籍がないことが今は常識だが、明治に戸籍ができた時、最初に載ったのは天皇だった。歴史教科書では、徳川時代が終わると近代国家がすぐ始まったように見えるが、大日本帝国を作り上げる過程の時期があったことは、認識しておきたいと思う。

【海老井】 「インタラクティブ」の観点からすると、読者があらすじに注文をつけるケータイ小説や、複数の人の投稿からできあがるネット小説には可能性があるのか。

【松井】 近代は個人や個性を重視する時代だった。だが近代以前には、複数の人が順番に句を詠み合って一つの作品を作り上げる「連歌」という文芸もあった。連歌の形式が現代ではケータイ、ネット小説になっているのかもしれない。私はどちらもあっていいと思う。ケータイやネットの画面で、活字にふれる機会が増えたのはいいことだ。

  ただ、すべての小説がケータイ、ネット小説にはならないということは、確信を持って言える。一人の人間が最後まで責任を持って書いたものを、受け取るおもしろさは別にある。受動的にではなく、自分の中でふくらませて読むことが、小説との「インタラクティブ」なつきあい方なのだ。

(2007/10/17)

松井今朝子(まつい・けさこ)
1953年京都市生まれ。97年「東洲しゃらくさし」で日本文芸大賞、98年「仲蔵狂乱」で時代小説大賞、2007年「吉原手引草」で直木賞を受賞。著書に「非道、行ずべからず」「似せ者」「果ての花火・銀座開化おもかげ草紙」ほか。

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