2010年11月02日
京都女子大学 活字文化公開講座 in リバリバ大阪2010
村山由佳さん講演
「誰かとつながるということ 〜読んで書いて旅をして〜」
異郷の旅で培う言葉の力
作家にはいろんなタイプの人がいますが、私は自分の体を通っていったことをもとにしないと書けないタイプです。すべてを経験するのは難しいけれど、表現の核になるような部分に関しては自分自身で経験しないとどうしようもない。だから、自然に旅が多くなります。
なかでも、海外の全く価値観の違うところへ行くのが好きです。最近、モロッコへ行きました。去年出した本が、パリからモロッコまで、一人の若者の遺灰をサハラ砂漠にまきに行く話なんですが、においとか、喧騒(けんそう)の音、そういう肌を包むものを一つも取りこぼしたくないと思って、小説の中に出てきた彼らと全く同じ道を通って、まずパリへ飛び、パリからは鉄道でスペインへ移動し、ジブラルタル海峡を船で越えてアフリカ大陸へ行って、モロッコを突っ切って、アトラス山脈を越えてサハラ砂漠へという旅だったんです。
忘れられないのが、サハラ砂漠でキャンプしたときのことです。初めて経験したんですけど、砂漠の夜って無音なんです。静かな、というものじゃない。音がないんです。耳を澄ませたら自分の血流の音まで聞こえてくるような静けさでした。
その中を、一人のベドウィンが、私の乗っているラクダの手綱を引いて、何の目印もない、砂丘の連なりを方角を間違えずに歩いて行く。するとかすかな太鼓の音が聞こえてくるんです。それがだんだん近づいてきて、最後の砂丘を越えた途端に、キャンプ地にかがり火が灯(とも)されていて、その上は満天の星です。
影がないと、砂漠はものすごくのっぺり見えるんです。でも、漆黒の夜に月が昇って沈んで、次に太陽が昇ってきたときは、砂丘全部がもう一度影を持って起き上がり直すような、迫力のある日の出なんです。生き物のように砂漠が起き上がる感じなんですね。その光景を見たことは私にとって大きな財産になったと思います。□ NHKの紀行番組で、モンゴルのウランバートルから、奥地の幻の湖まで、徒歩と馬で旅をしたことがあります。1週間くらいかかる真夏の旅で、食料になるヤギの肉を運ばなくちゃいけない。腐らせずにキャンプ地まで持っていくのに、生きたヤギを連れて行くんです。車の屋根に下半身を穀物袋にくるまれたヤギが、生きたまま、くくりつけられている。一緒に旅をしながら、あの子は、いつ肉になるんだろうと、胸が痛んだ。
4日目くらいで、持って行った食料が、ほぼなくなったとき、いつの間にか始まっていました。よく切れるナイフで切って、1人が手を突っ込んで、心臓の動脈を切っていく。手際よく肉をさばいていくのを間近で見ながら、残酷だと思うこと自体が冒とくのような気がしました。生きる、食べるということは、こういうことなんだ。ショックではあったんですけど、敬虔(けいけん)な気持ちになりました。
その肉を圧力鍋で煮て、コンソメをふり入れてできたヤギのシチューは、とてもおいしかった。でも、その肉が胃袋の中に入ったとき、ヤギの命が、今私の中に入ったという気がしました。旅をするって、こういうことなんだと思うんです。異文化の中へ入り込んでいくと、私の方が異邦人なんです。今まで自分が常識だと思っていたことは、私の常識なんです。「世間には、そうじゃない世界もあるのかもしれない」。そんな風に思ってみるための訓練が、旅の中で培われてきたような気がするんです。
小説で戦争をやめさせることはできないけれど、小説の中のある言葉で人を救うことができるかもしれない。それはとても大きな仕事ではないかと思うんです。
でも言葉は、不完全です。私はものを書いているとき、6色しかない色鉛筆で絵を描いているような気がしている。大事なことは全部こぼれて表現できないほど不完全な道具だけれど、言葉でしか、人と意思の疎通はできないし、心のやりとりもできない。だから書く者として、言葉の力、潜在能力というものを信じています。これから先も、まず人と出会う、そのために旅をする、そして違う価値観に自分を壊してもらうということを重ねながら、一つ一つ自分の実感を通した言葉を紡いでいくしかないんだなと思っています。
村山さん 対談 御領 謙教授
【御領】 「私は小さいころから小説家になるんだと思っていた」。あるインタビューでこんな風に答えている。その確信はどこから生まれたんでしょうか。
【村山】 小さいときから本が好きだったから、女の子が「ケーキ屋さんになる」というのと同じような感じで私は「お話をつくる人になる」といって育ちました。でも、実際にそのために本を系統立てて読んだというふうなことはないんです。でも、物書きは努力のひとつもなしになれるくらいでないと、この世界では残っていけないのかなと思います。書くことに特化して得意な人でないと残れない。
【御領】 小説を書くというのは、ふっと下りてきた映像をただ書きとめていくことだと、本のあとがきで記しています。それはどういう状態なのですか。
【村山】 作家の中でも、言葉から発する人と、映像を言葉に翻訳していく人とに分かれる気がします。私は、音はまだ入っていないフィルムが頭の中で勝手にくるくる回り始めて、「あっ、このシーンは見たことないのに、何でこんなふうにリアルに自分の中で回るんだろう」というふうなときがあります。そのうち、人が動き出したり、表情がわかってくるようになったり、言葉も聞こえてくるようになったりすると、書き出すことができるということが多いですね。
【御領】 自分の文体はどう確立してきたのか。そのためにどんな修練をされたのでしょうか。
【村山】 小説を好きになったり、物語を紡いだりという芽のようなものは母親が育ててくれたものだと思います。例えば、小学校のときに絵日記を書かされるとき、母が後ろに立って必ず言うわけです。「きょうの出来事を書くんじゃない。きょう、あんたが一番心を動かされたことを書いてみたら」と。比喩(ひゆ)を最初に教えてくれたのも母でした。木蓮(もくれん)の花は縦につぼみがすうっと咲くんです。それが庭に咲いていて、「小鳥がとまっているみたいだ」と言ったら、母がものすごく褒めてくれた。褒め上手だったんです。褒められたくて、もっと人をうならせる文章は書けないかと。そんな積み重ねが私の文章に対する核をつくっているのかなと思います。
【御領】 これについて書くんだと思えるような題材はどんなときに浮かんできますか。
【村山】 見つけられないときは、どこまで行っても見つけられないんです。でも、たまに、ふっと降ってくるときがあります。もう「降ってくる」としか言いようがなくて。それを「天使が舞いおりる」と美しく言う人もいるし、「悪魔がつく」と言う人もいるんですけど、私はどっちかというと悪魔かな。
【御領】 「ダブル・ファンタジー」や、この夏出た「アダルト・エデュケーション」は、性愛を描いています。読者の予想を裏切ったんじゃないですか。
【村山】 これまでの自分が変化したわけでない。自分の世界の隅っこを広げたという気がしている。エロチックな場面を書くのは、楽しいけれど苦しいです。女性の方が男性よりも性への罪悪感が強い。でもそれは誰から植え付けられたのかをもう一回考えてみませんかと。人の価値観を揺さぶってみたかったんです。切ない青春恋愛小説から全く離れたつもりはないけれど、陣地を広げるような感じで、性への罪悪感を核にいろいろ物語を書いていきたいなと思っています。
【主催】活字文化推進会議、京都女子大学
【主管】読売新聞社
【後援】水都大阪推進委員会