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成毛眞の新読書スタイル

2013/11/01

おすすめの本(1)『沈むフランシス』

松家仁之/著、新潮社

沈むフランス.jpg

音がこんなにも雄弁に、豊穣に「物語る」ことが出来るとは思いもしなかった。ストーリーや情景を脳内で再現するよりも、はるかに生々しい実感を携え、私は溺れるようにして頁をめくった。

五官をひらいて読むということの本質はここに集約されている。

松家仁之さんの『沈むフランシス』に。

物語は東京の大手企業を辞め、北海道に移り住んできた桂子を軸に展開する。彼女は郵便配達の仕事にありつき、毎日を折り目正しく、静かに暮らしている。その姿は舞台となる安地内村に降る雪に似て、どれだけ積もろうとも、いつかは流れ、消え去っていくことを望んでいるような、そんな儚さと虚しさを思わせる。

そんな桂子だが、配達先の住人として登場する和彦と会話を交わしていく内に、関係が構築される。なりゆきのスムーズさは「大人の恋愛」と言ってしまえばそれまでだが、同時にいつ瓦解しても不思議はないという共通認識を強いられているようで、読者としては気が気でない。ふたりの会話は昨日初めて会ったようなぎこちなさともう何年も連れ添った夫婦のような気安さで進んでいく。大人の器用さと狡さが同居したそれは流れていくばかりで、その実、何ひとつ繋ぎ止められておらず、ふたりの関係の象徴とも言えるだろう。ただ、その会話のひとつひとつにも、桂子には桂子の、和彦には和彦の抑揚や心情が見え隠れし、結局、子供になりきれなかった、大人の複雑さがラストには溢れている。

星の光しか見えない暗闇で、桂子は先を見据えしっかりと立ち、「いま」という根拠の乏しさに怯え、支えられているのは和彦の方だ。今後、その齟齬や違和を桂子が飲み干すのか、そこに和彦が躓くのかは読者の想像次第だ。

ただ、冒頭で申し上げたようにこれは音の作り上げた物語である。理想と現実、男と女、ひとつひとつが異なる音を奏でるからこそ彩りが増すのであり、それはこの小説に限らず我々の日常にも同じことが言えるのかもしれない。

紀伊國屋書店新宿南店
竹田勇生

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