21世紀活字文化プロジェクト

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新!読書生活

2006/08/12

第8回「いにしえの心、いまの言葉」

■出演
島田雅彦さん(作家)
金原ひとみさん(作家)

 読書の魅力を伝える対談シリーズ、第8回「新!読書生活」(活字文化推進会議主催、読売新聞社主管、光文社協賛)が9月27日、東京・港区のオリベホールで開かれました。「いにしえの心、いまの言葉」をテーマに、読書ナビゲーターの島田雅彦さんが、作家の金原ひとみさんと対談。ユーモアを交えつつ、世代を超えた古今文学談義で会場を沸かせました。

本は「どこでもドア」〜島田さんによるイントロダクション

20060812_01.jpg 先日、青山で飲んでいたら、霊能者だという人が、私の右肩の後ろあたりに誰かいると言う。誰ですかと聞いたら、「ゲーテがいます」「あの文豪のゲーテですか」「そう」「ゲーテの顔を知っているんですか」「もちろん」……。ゲーテに見られてると思うとちょっと緊張して、家に帰って久しぶりに『ファウスト』を読み返しました。

  このように、読書はどんなきっかけでもよいのです。書店に並ぶ本にはみんな顔がある。「寄ってらっしゃいよ」と手招きしているように感じることがあります。人が本を選ぶだけでなく、本も人を選ぶのです。

  人間は昔から、思考や歴史を記録し、伝えようとしてきました。現在の書籍の形態は、印刷術の発明以後です。それ以前の本は手書きで、大量複製ができず、大変高価なものでした。

  二千数百年前の古代ギリシャの悲劇や詩は音声によって伝えられました。『オイディプス王』は、芝居の人気演目でした。英雄叙事詩の『オデュッセイア』『イーリアス』は、どちらも1万行以上、分厚い文庫本2、3冊という分量ですが、これを吟遊詩人たちは丸暗記し、各地を旅してうたった。古い読書はそういうものだったのです。

  近代でもその伝統は残り、例えばドストエフスキーは朗読の名手でした。週末ごとにペテルスブルクの文学カフェで自作を朗読し、その迫真の演技に、客席からすすり泣きが漏れたそうです。カフカやマーク・トウェインが朗読していたこともよく知られています。

  本を読むということをちょっと気軽に、一つの例えで考えてみましょう。

  よくアンケートなどで無人島に持っていきたい1冊を尋ねられます。しかし、無人島に行く可能性は少ないので、これを刑務所に置きかえたらどうか。実際、六本木ヒルズにいたさる青年が「小菅ヒルズ」で過ごした期間、大変な読書魔に変貌(へんぼう)しました。確かに刑務所は読書環境としてすばらしい。権力による管理下に置かれるので、精神の自由は自分の思考の中に求めるしかない。そこで人は書物を欲するのです。

  書物は「どこでもドア」だと言えます。たとえ檻(おり)に閉じ込められていても、自由な想像力が羽ばたく世界に連れて行ってくれる。さらに、読書は未成年状態というものを脱するパスポートです。人間は未成年状態にあると、容易に権力に従ってしまいますが、書物を読む者は、自分の頭で考える権利を獲得することができるからです。

  こうした知は、個人が努力の末に獲得するものですが、人生いかに生くべきかを悟ったころには、死ななければならない。しかし、書籍なら、それをコンパクトな形で記録して後世に伝えることができます。個々が身につけた英知が子孫に引き継がれれば、類としてのヒトは永遠だといえる。そうした精神のリレーが健全に行われている限り、人間は捨てたものではない。個人がはかない存在であることも、それほど嘆かずに済むのだろうと思います。

「いにしえの心、いまの言葉」トークショー

古典の名作

【島田】 金原さんはとても変わったものをよく読んでいるという印象があって、作品もデビュー作『蛇にピアス』から最近作の『オートフィクション』に至るまで、これまで消化してきた本がかなり特異なんだろうな、と想像していました。

【金原】 ありがとうございます。でも、今回推薦図書として挙げた本は、バタイユの『眼球譚』以外は、全部、ここ1年ぐらいで読んだものなんですよ。

【島田】 いまいくつでしたっけ?

【金原】 23になりました。

【島田】 古典の名作を初めて読む時期ですよね。私も、正直言うとドストエフスキーは20歳を過ぎてから手に取りました。高校生では、まだその分厚い壁にはね返されます。まず名前を覚えられないしね。日本で言えば幕末ごろのロシアの話を読むわけだから。

【金原】 登場人物の心理描写も「何でそう思うの?」みたいなところがたくさんあって。時代背景もよく分からないし……。

【島田】 でもね、これだけ現代とかけ離れた時代と場所なのに、割に共感できる人物が出てきたりする。『罪と罰』のソーニャの父、酔っぱらい官僚マルメラードフとか、今でも新宿あたりにいるなあと思う。

【金原】 時代を超えて生き残る人種(笑)。

【島田】 同じ『罪と罰』の退廃的な中年男、スヴィドリガイロフなんて六本木にいそう。20代の時はラスコーリニコフに共感したけれど、今では断然、スヴィドリガイロフですね。

【金原】 私は『カラマーゾフの兄弟』ではアリョーシャが一番好きですけれど、自分が共感できるのはドミトリー。だってすごくいいじゃないですか(笑)。自分がこうありたいというイメージに重なる。

【島田】 ドストエフスキーはキリストの再来とアンチキリストの両方に取り付かれていた人ですね。

【金原】 『カラマーゾフ』は、いろいろな人たちがぶつかり合う。それは多分、ドストエフスキー自身が、自分の中のいろいろな人格を書き分けて書いているんじゃないかという気がしたんです。

贋金づくり

20060812_02.jpg【島田】 小説家というのは、様々な人格に憑依(ひょうい)するシャーマンのような存在だから、その都度、自分あるいは誰かをモデルにした登場人物に乗り移りながら書いている。あなたもそういうシャーマン系なところがあるよね。『オートフィクション』なんて「イタコ状態」で書いているでしょう?

【金原】 何でわかるんですか(笑)。そうですね、自分の書きたい人物とそれを否定する人、肯定する人というバリエーションの乗り移りぐらいはしたいな。

【島田】 それがもっと拡大して、歴史上の人物や神話の登場人物にも憑依できるようになると、本格的な三人称を獲得できるんです……なんて、教育的なことを言ってしまった(笑)。

【金原】 一番最近読んだのが、フィリップ・K・ディックの『ヴァリス』です。一人称でありながら三人称をきちんと描いている。一人称でここまで自分を客観的に見つめられる視点を得ることに成功しているのがすごくショッキングで、ある意味では自信をもらいました。

【島田】 人工知能の意識の流れを描いたような作品ですね。脳科学者の茂木健一郎さんによると、コンピューターの先駆者と言われるアラン・チューリングという学者は、人間と人工知能を目隠し状態で対話させ、人間が相手を機械だと分かるかどうかテストした。人間か機械か区別がつかなかったら人工知能は成功だと考えたんです。だけど時々、人間はあまりに愛し合い過ぎると、相手と自分の意識が溶解していくような経験をしたりしますよね。

【金原】 どこかで、他人との溶け合いを必要としている部分もあります。

【島田】 同じことが、読者と作者の関係でも起きる。私はその読者に会ったことはなくても、その読者は私が自分のことを書いたと思いこんで、「これ以上、私のことをつけ回すのはやめてください」(笑)。

【金原】 そこまで「妄想」させてしまう力があるのは素晴らしいことですよ。

【島田】 架空の人物のことを書いているのに、「これは誰がモデルか」とか「これは本当にあったことか」とか聞かれると「やった!」と思います。これこそ小説家冥利(みょうり)に尽きる。その意味で小説家は「贋金(にせがね)づくり」に似ています。誰が見ても見分けがつかない精巧な偽札を作り、実際に使っても誰も疑わない。それを目指しているんです。

真のユーモア

【金原】 本当にあった話って、一人称で書く方が共感しやすいじゃないですか。でも、私が大好きなデュラスの『モデラート・カンタービレ』は三人称で書かれていて、「彼はこう言った」と言われたって、彼が誰なのか、きちんと前後を読まないとよくわからない。でも小説の世界にすごく入っていけるんです。

【島田】 デュラスに『ラマン』という小説がありますけれど、10代の時にベトナムで出会った中国系の彼氏との思い出を思い出すままに書いていく。フランス語独特の半過去という時制で書かれていて、過去の出来事なのに、その回想が現在進行形のようにリアルで、「いま」痛みを感じるような体験になっていく。

【金原】 デュラスを読んでいる時って、映画を見ている時の感じとすごく近い。映像が浮かんでくる感じがします。

【島田】 彼女自身も映画を撮っているし、何といってもプルーストの孫弟子みたいなものだから。

【金原】 ああ、そうか。

【島田】 カフカのユーモアも私は好きですね。ただ、その癒やしは万人に効くとは限らない。吉本喜劇の笑いの対極にあるようなブラックな笑いです。これはフロイトがユーモアを定義した言葉ですが、午後に処刑される死刑囚が、午前中にお茶をもらって「オッ、きょうはツイてる」と思う。茶柱が立っていたから。

【金原】 フフフ……。

【島田】 つまり死刑囚はその時、目の前の過酷な現実を忘れて、一瞬心が軽やかになっている。ユーモアを突き詰めるとそういうものなんですよ。カフカにはそういうユーモアがちりばめられている。

【金原】 はい。

【島田】 それは同時に、ねばり強い不服従の意志だと思うんですよ。自由な精神のあらわれなんです。

読書という毒

20060812_01.jpg【金原】 バタイユの『眼球譚』は中学生のころに友人に薦められて読んだんですけど、ものすごくショッキングで。読んだ後に自分の中で何が起こったのかよくわからない状態になったんです。何でこんなに感動しているのかわからないというのが、またすごい快感で、読書の持っている麻薬的な部分に初めて触れた小説だったような気がします。

【島田】 うん。書物は薬になるだけでなく、毒にもなる。読書の快楽というのは、体や心に悪いものを欲しがる傾向があって、だから読書はやめられないという人もいる。中学生で『眼球譚』なんか読むと、一生残るような毒を盛られた感じがあるでしょう。

【金原】 読んでいる間、作品の世界観に慣れてしまうじゃないですか。すると現実に戻る時にすごくつらくなってしまって。何度も読み返すんですけど、その時の感じがよみがえってきて、私の中では怖い本の一つになっています。島田さんは自分の息子さんに読書を勧めますか?

【島田】 物書きの息子であるからには本を読むべきだと思うんだけれど……。この間、こっそり子供部屋に忍び込んで調べたら、恩田陸とか読んでて何かショックで(笑)。そこに、そっと金原ひとみとかを……。

【金原】 置いておいてくれたんですか?

【島田】 うん。島田雅彦とかも置いたんだけど。

【金原】 多分私のは読んでもらってないですね。

【島田】 いや、あなたのは読んでたみたい。

【金原】 ホント?

【島田】 私のは読んだ形跡がなかった。

【金原】 ……(笑)。

「禁書」の感動

【島田】 まあ、しょうがないんだけれど。日本では一応、言論の自由は認められていることになっている。でも、この自由は、国家が下々の者に与えている感じがあって、何か不愉快なんですね。一方、言論の自由が制限されて、本が自由に読めない国も世界のどこかにあるわけです。1980年代までのソ連がそうだった。

【金原】 発禁と聞くと、かえって読みたくなります。

【島田】 それが普通の感覚だよね。ソルジェニーツィンの『収容所群島』を持っているだけで大変という時代があったんですね。でも、本を読みたいという欲望は抑えられなくて、地下出版される。全文カーボンコピーで、手でタイプするんですよ。この方法で、多い発禁本だと2万部も流通していたらしい。

【金原】 すごい。何かいいですよね。

【島田】 その実物を見ると、自分で綴(と)じてるから粗末なものだけれど、感動します。これはもう一種の貨幣、まさに「贋金」なんだってね。本は貨幣なんだ。知的好奇心のある人の間でしか流通しない貨幣ですけどね。

【金原】 何かこう、麻薬みたいなもの。

転生する書物

【島田】 そう、活字中毒って言葉もあるし。あと、書物というのは、復活するんですよ。『神曲』を書いたダンテはフィレンツェで政治的に負け組になるんですが、『神曲』はその死後200年たって読まれるようになる。書物は、いま無視されても、ずっと後の社会変革の起爆剤になるかもしれない。

【金原】 そうですね。

【島田】 あなただって、書かれてから100年、200年たった作品を読んで、ガツンとショックを受けて書き始めたりしているでしょう。その作家はもう死んでいるけれども、未来のあなたに火を付けた。

【金原】 モラヴィアはいまは3冊ぐらいしか手に入らなくて、もうほとんど絶版なんですよ。すごく惚(ほ)れ込んで、全部読んでやろうと思っても、全然書店にないんです。こんな状況を目の当たりにすると、自分の本だって何年書店に並んでいるんだろうかと、不安になります。

【島田】 自分の本が絶版になるのは寂しい。失恋よりもつらい。こういう時には、いつも『ルバイヤート』を開くことにしています。最初に書かれたのは11世紀のペルシャですが、19世紀末にロンドンで、ある詩人が翻訳して出版したところ、ビクトリア朝時代のやや退廃的で厭世(えんせい)的な気分に見事に合致してベストセラーになるんです。

【金原】 タイミングってありますね。

【島田】 これこそ書物の転生です。村上春樹の作品は、中国やロシアでも読まれている。グローバル経済に参加するようになって、春樹作品にスノビッシュな、ちょっとおいしい生活の模範を見いだして喜んでいるわけです。そういう幸福な読まれ方をする作家がいる一方、カフカのように、ベストセラーにはならないが、確実に世界で2000、3000部と読まれ続けるタイプの作家もいる。

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愚行の堆積

【金原】 島田さんが推薦されたカントの『啓蒙(けいもう)とは何か』の最初の方だけちょっと読んだんです。自分で価値観を決められない人間が増えている。なぜならば、みんなが誰かのまねをしていて、まねをすることになれてしまっているからだという話を読んだときに、ああ、なるほどなと思ったんです。私には誰かの価値観に頼っているところがすごくあって、それがあると安心するんですけど、小説を書くとそれが通用しなくなってきて、必然的に自分の衝動とか感情を認めざるを得なくなっていく。それが多分、啓蒙なんじゃないかと思ったんです。……島田さんの推薦図書の中で一番のお薦めは何ですか。

【島田】 うーん、フロイトの『モーセと一神教』。

【金原】 一番難しそう。

【島田】 そんなことはない。快楽理論、死の欲動理論という画期的な仕事をしたフロイトが、最後に自分の民族であるユダヤ人について非常に大胆な分析を行い、ユダヤ人社会から総スカンを食らう。80歳ぐらいでそういう冒険をするところに、飽くことのない知的探求心を見る思いです。文学とは、いわば人類の愚行の堆積(たいせき)です。私はまだ40代ですが、そういうおかしなことを考えて危険視される老人になりたい。

【金原】 大丈夫ですよ、きっと、それはもう(笑)。

【島田】 あなたはまだ若いけれど、谷崎潤一郎みたいに性を追求する路線は間違っていないと思いますね。

【金原】 ありがとうございます。うれしいな。貫いていきます。

(2006/08/12)

島田雅彦(しまだ・まさひこ)
1961年東京生まれ。東京外国語大卒。83年『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー。84年『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞。92年『彼岸先生』で泉鏡花賞。2006年『退廃姉妹』で伊藤整文学賞。法政大教授。
金原ひとみ(かねはら・ひとみ)
1983年東京生まれ。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞を受賞しデビュー。同作品で芥川賞も受賞、同賞の最年少受賞(20歳)として話題に。その後『アッシュベイビー』『AMEBIC』を発表。父は翻訳家で法政大教授の金原瑞人氏。

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