21世紀活字文化プロジェクト

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新!読書生活

2007/02/10

第9回「爽やかに時代を斬る」

■出演
佐伯泰英さん(作家)
長井好弘さん(読売新聞日曜版編集長)

 読書の魅力を伝える対談シリーズ、第9回「新!読書生活」(活字文化推進会議主催、読売新聞社主管、光文社、祥伝社、徳間書店、双葉社協賛)が1月18日、東京・千代田区の全電通ホールで開かれた。テーマは、「爽(さわ)やかに時代を斬(き)る」。作家の佐伯泰英さんをゲストに、長井好弘・読売新聞日曜版編集長をコーディネーターに迎え、時代小説にかける佐伯さんの思いや、若いうちに本に触れる大切さなどが語られた。

貸本の時代小説にワクワク〜佐伯さんによるイントロダクション

20070210_01.jpg 戦後まもない、まだ私が四つか五つのころ、巡回映画が、住んでいた福岡の折尾という街に来ました。それが最初の文化、娯楽体験です。映画は、阪東妻三郎主演の「雄呂血(おろち)」。筋書きは覚えていませんが、絶望の戦中と虚脱の戦後を投影したような阪妻の表情や、延々と続く殺陣の壮絶さなどを、泣きながら見ていた覚えがあります。

  昭和30年ごろ、街に貸本屋ができました。いまだ家に風呂がない時代で、銭湯帰りに貸本屋をのぞくのが、わくわくする冒険でした。貸本の中心は時代小説。佐々木味津三、颯手達治、島田一男、大佛次郎、野村胡堂といった名がありました。彼らの小説が原作の映画も見あさり、自我が確立する時期を、貸本と大衆娯楽映画で育ったのです。

  日大芸術学部映画学科に入学するために上京したのは1962年。卒業後は、劇映画やCMの制作に従事し、さらにラテン世界を中心に、海外放浪と定住の何十年かを過ごしました。81年には、その間に取材したスペインの闘牛士の世界をノンフィクションにまとめ、物書きとしてデビューしています。

  98年秋、親しい編集者に新宿に呼び出されました。「もううちでは出版できない」という通告でした。それまでに写真集やノンフィクション、小説を三十数冊出していましたが、どれも初版どまり。いたし方ない通告でしたが、57歳を前にリストラに遭おうとは考えてもいませんでした。あまりのショックに口もきけないでいると、私の耳に、編集者のつぶやきが聞こえました。「佐伯さんに残されたのは、あと官能小説か時代小説だよな」。その声にすがって書いたのが、時代小説第一作、「密命 見参! 寒月霞斬り」です。

  藤沢周平の「用心棒日月抄」を意識したものですが、本家を越えようというおこがましい気はさらさらなく、ただただ生き残りたかった。書く途中で気持ちがよれてしまい、ある個所では柴田錬三郎風に、ある時は五味康祐もどきに、最後には山本周五郎をまねた、継ぎはぎ小説でした。でも、強引に出版社に持ち込んだ小説が、文庫書き下ろしという新しいスタイルで日の目を見る。

  日本には、雑誌掲載後にハードカバーで出版され、その数年後に文庫化するという独特の販売方式があります。が、90年代末の出版不況の中、中堅の出版社が苦し紛れにタブーに手をつけた。それが文庫書き下ろしだったんです。

  リストラ作家はそれに乗った。幼い脳細胞に宿った大衆娯楽映画や時代小説の情景が、一つの形になる。そんな作品に増刷の声がかかる。世の中って、つくづく面白いと思いました。

  そのころの日本はバブル崩壊後の閉塞(へいそく)感に満ち、私はいっときの慰めの物語を、読後が爽快(そうかい)な読み物を書こうと誓いました。その時、私の心を突き動かしていたのは、戦後の娯楽映画と貸本です。

  読書とは名作を読むことだけではない。読みたいものを読めば、その本が次の本へと導いてくれる。できるだけ若いうちに読書の習慣を身につけるべきです。

  ともあれ、私が書く文庫書き下ろし時代小説は、貸本がそうであったように消耗品文学です。それはそれでよしとしました。消耗品ならば量産しなければなりません。「月刊佐伯」と揶揄(やゆ)されるゆえんですが、こつこつこつと腕を振るう職人の心意気をかがみに、私は、文庫書き下ろしの時代小説を、今後とも書き続けていくつもりです。

「爽やかに時代を斬る」トークショー

闘牛と江戸時代

【長井】 貸本文化と大衆映画が、作家佐伯泰英のかなりの部分を作ったとのことですが、大学を出てからスペインの闘牛士を追いかけた体験も、作家という仕事に影響を与えていますか。

【佐伯】 1971年から74年の暮れまで4年弱のことです。最初、旅は私と女房の二人だったのですが、途中で長女が生まれ、一家で闘牛の祭りを追う暮らしでした。その体験はやはり、大きな財産になっています。闘牛士の日々って江戸時代そのものですからね。

【長井】 えっ、江戸時代?

【佐伯】 はい。例えば夏の日曜の午後8時、マドリードで闘牛が終わるとしますね、売れっ子闘牛士ならば次の興行地へと移動しなければならない。夜間バルセロナまでなら、500キロを車で走る。車中、ラジオが知らせる仲間の成績を聞きながら枕抱えて寝る暮らしです。その傍らには血にぬれた剣。まさに旅回りの武芸者です。路上の、中世の人です。そして、闘牛場で、牛は本能で、闘牛士は技で、相手を倒そうとする真剣勝負。

【長井】 本当にまだ血のにおいが残っていそうですね。佐伯さんの小説の剣術シーンが、なぜあれほど迫力があるのか。そんな秘密に触れたような気がしますが、そういう物語を量産していくと、ご自身で飽きてしまうことはないですか。

【佐伯】 飽きることが一番怖いですよ。私が初めて本を出した70年代はのんびりしていましたが、過当競争と変わった80年代以降は売れないと生き残れません。飽きるなんて言っていられない。

【長井】 それはそうですね。

【佐伯】 期待されない作家ほどつらいものはない。朝起きても仕事がない、電話1本ない。仕事がある今ほど幸せな時はない。前の日に書いたことを読み返し、あとは前を見て走るだけですから。

電車で読む小説

20070210_02.jpg【長井】 佐伯さんの小説には、後を引く爽快感がある。もやもやした時代を吹き飛ばすようなパワーを含んだものを書き続けるんだという強い意思を持っていらっしゃる。

【佐伯】 悠然と書斎でページをめくる本でもないし、再読する小説でもない。仕事の帰りの電車の中で、現実を忘れて読んでもらうことを念頭に時代小説に転向したんです。

【長井】 私は、佐伯小説はすべて行き帰りの電車の中で読んでいます。実は今、『居眠り磐音(いわね)江戸双紙』の最新刊、21巻の真ん中あたりまで読んだんですが、佐伯さんの小説は、もうちょっとで追いつくとなると2冊同時に出ちゃったりするので、追いつけない。ものすごいパワーで書き続けている。その秘訣(ひけつ)は?

【佐伯】 私は前もって小説全体の構成を考えません。長井さんと私が出会う風景があれば物語は展開するし、一番楽。テーマをうんぬん考えるのではなくて、どういうきっかけで長井さんと知り合ったか、そんなことを考えていると小説の流れが定まります。もし男と女が夜雨の橋の上で出会うならば、もう少し色っぽく物語が進むかもしれませんね。

【長井】 今、時代小説は佐伯さんの作品以外にも多くのヒット作があり、時代劇映画もずいぶん出ています。どうしてこれだけ時代劇が受け入れられているのでしょう。

【佐伯】 現代人の心のどこかに、閉塞感に満ちた現実から逃避したいという想(おも)いがあるんじゃないでしょうか。江戸時代がそれほど理想的な社会であったかどうかは別の話です。私が書いている読み物は現代から見た、理想化された「江戸」ですから。

佐伯スタイル

【長井】 佐伯さんは文庫書き下ろしにこだわっていますが、「ハードカバーを」という話は来ますか。

【佐伯】 ないことはないです。日本では、文学賞の対象になるのはハードカバー。文庫書き下ろしは新しい分野ですから、そういうものは一切ない。日本の住宅事情とか通勤電車を考える時、また読者の懐具合を考える時、600円前後で手に入るコンパクトな文庫はなかなか時代に適していると思いますよ。

【長井】 佐伯さんの読者もその形に慣れていて、月刊誌で少しずつ読むのは耐えられないという人がかなりいると思います。

【佐伯】 一気に書いた方が、私の気持ちが落ち着くのです。『居眠り磐音』にしろ、『密命』にしろ、書いている時、登場人物が、物語がどう落着するか、まず自分が知りたい。雑誌連載だったら、その流れが中断しますよね、私、ものすごくせっかちなんです。

【長井】 なるほど、まず作者が先を知りたかったのですか。佐伯作品は、剣豪物から捕物帳、風来坊物までたくさんありますね。今、シリーズはいくつですか。

【佐伯】 10シリーズです。

【長井】 その書き分けはどうするんですか。

【佐伯】 考えていません。

【長井】 考えていない?

20070210_02.jpg【佐伯】 新しい作品を書く時、時代設定が既刊のものと重ならないようにする。主人公の年齢とか身分を設定すれば、あとは書き分けるという意識は一切ない。ともかく私の著作スタイルは1作20日間その物語に専念して、その他のことは考えない。出来上がったら、フロッピーを宅配屋さんに持っていき、委託する。その帰り道、頭を切りかえちゃう。家に戻って、次作のタイトルをパソコンに打ち込む時もあるし、朝起きてその作業をすることもある。

【長井】 ふらふら歩いているうちに、『居眠り磐音』から『吉原裏同心』に切りかわったりするんですね。

【佐伯】 そうです。机の前を少しだけきれいにすると、なんとなく気分が変わる。こんな風に通過儀礼もなくすぐに次作に没頭し、また量産できるようになったのは明らかにパソコンのおかげです。

【長井】 キーボードを打つのは速いんですか。

【佐伯】 速くはないんですが、力の入れすぎらしく、娘が「お父さん、そんなにガチャガチャやらなくてもちゃんと打てるよ」と。

【長井】 あれも筆圧が高いと言うんでしょうか。

【佐伯】 どうでしょうか。ともかくパソコンのキーボードの文字が1年で消えてしまいます。

荷風日記のすごみ

【佐伯】 読書の領域は広くありません。だけど繰り返し読む本があります。例えば『断腸亭日乗』。永井荷風の日記です。どこか世間と隔絶した荷風は、行きずりの恋を淡々と、でも自分の苦悩をにじませながら書いている。赤裸々な欲望が見えて、あら、こんなかわいいところがある、とたまらなくなる。

【長井】 妙に正直な所があるんですよね。

【佐伯】 それでいて、冷徹な視線で記述する部分もある。〈天気快晴。夜半空襲あり。翌暁四時わが偏奇館焼亡す〉。すごみがある。私が売れない時代を精神的に支えてくれた作家となると、もう一人、内田百(門がまえに月)がいる。『阿房列車』は表紙がボロボロになるまで読みました。

【長井】 この人の旅は、ただ列車に乗って帰ってくるだけ。食堂車で何か食べて、まずいとかと言ったりするわけですが。

【佐伯】 でも、その中に独自の哲学がある。借金にしても、道楽で借りる金はいいが、地道な暮らしの末に家賃が払えず、借金というのは一番いかんという。この言葉は売れない物書きの生活そのままなんだけど、やはり読み返した。

【長井】 ただ読んでも面白いし、深読みもできる。

【佐伯】 荷風にはないユーモアも好きですね。

【長井】 佐伯さんは工芸にも関心があるんですね。次は『うるしの話』です。

【佐伯】 松田権六は、当代一と言われた漆工芸作家。彼は昭和の初め、海外航路に就く新造船に飾る作品を作ったことがあります。造船会社は、南洋の暑さや潮風を考え、飾る絵をペンキとラッカーで描こうとしますが、権六は漆にするよう掛け合い、自費で作り上げる。結局、漆は初航海を無事乗り切り、一緒に乗せられていたペンキの絵は、ひび割れる。

【長井】 日本の伝統の素晴らしさがしっかり伝わってくる本ですね。さて、『吉原と島原』は、佐伯作品の史料でしょうか。

【佐伯】 かつ楽しめる本です。秀吉の時代、公娼(こうしょう)がある地域に集められ、京都のしきたりを取り入れながら生まれたのが遊女文化。それが後に、江戸に移る。

【長井】 固有名詞なども含め、京都の島原がそのまま江戸の吉原に入ってくる。

【佐伯】 その歴史をすっと振り返られる。史料ですが、同時に歴史をさかのぼる楽しみを教えてくれる。

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闘牛の入門書

【長井】 佐伯さんとかかわりの深い闘牛物もあります。まずは、『日はまた昇る』。第1次大戦中に挫折した若者らが、パリとスペインで送る、酒とけんかと闘牛見物の日々の物語です。

【佐伯】 私の闘牛入門書でした。サン・フェルミンの牛追い祭りという、路上を闘牛と人が走る祭りがあり、そこに行く時に携えた。私は30歳ぐらいでしたが、本の中のパリやスペインの風景、もろもろの知識に感動しました。ヘミングウェーが27歳で書いた小説で、今、読み返すと「若い」と感じますが、だからこそ若者に読んでほしい。読んで旅に出てもいい。どこかへ行こう、と思うだけでもいい。そこから何かが始まる気がするんです。

【長井】 もう一つの闘牛物は『さもなくば喪服を』。

【佐伯】 これはただの闘牛本じゃない。主人公のエル・コルドベスという闘牛士が成り上がっていく様を書きながら、スペインが、フランコ政権から国際社会へ復帰していく苦難の道も描く。スペイン現代史を知るのに、これ1冊で十分というくらいの本です。

美しい日本語

【長井】 ここからは私の推薦本です。まずは、『半七捕物帳』。これは凡百の捕物帳とは全く違う。ミステリーとして一級品であり、使われる言葉が非常に美しい。正確な幕末の江戸弁、明治の東京弁が生きている。日本語を勉強するなら、これから読めと言いたいくらい。話も面白く、捕物帳の中の、おそらく最高傑作。

【佐伯】 岡本綺堂は、御家人のせがれですね。だから、江戸をある程度肌で知っていた。多くの作家が捕物帳に挑戦していますが、皆がひれ伏しました。

【長井】 文章が美しいといえば、『細雪』もいい。映画化などの際、4姉妹を誰がやるのかと話題になりますが、物語は、昭和10年代、いわゆる旧家というものが成り立たなくなっていく時代の話です。谷崎潤一郎は心にしみる文章を書く。

【佐伯】 私にはちょっと、つらかったかな。

【長井】 ならば、落語の本はどうですか。「落語の参考になる本は」と聞かれたら、迷わず薦めるのが『落語と私』。桂米朝さんが中学生向けに書いた本が底本ですが、落語の本質がとても易しい言葉で書いてある。落語とは何なのか、動作一つ一つがどんな意味を持つのか。落語がわからなくなった現代人が読むのにふさわしい。人間国宝・米朝の真骨頂です。

【佐伯】 この本には本当に感動しました。落語は現世を肯定する芸ですと、言い切る米朝がすごい。それは、小説を書く時の私の立ち位置と同じなんです。

仕掛け満載小説

【長井】 次は、ミステリーを1冊、『亜愛一郎の狼狽』です。泡坂妻夫さんは作家であり、着物の紋を書く職人であり、手品師でもある。小説にも仕掛けが多く、各ページの頭の字が同じだったり、登場人物の名前が、頭から読んでも後ろから読んでも同じなんていうのがごろごろ出てくる。

【佐伯】 思いつきじゃないんですよね。

【長井】 ここで青春小説も紹介しましょう。『一瞬の風になれ』。高校陸上部のリレーの話ですが、佐藤多佳子さんは女性作家の中で今、一番注目されている人。ずっと陸上の話で、女の子とは手を握るだけですが、本当に純粋にスポーツをやる高校生の心情が伝わってきて、大人が読んでも読後感のいい小説です。

【佐伯】 上手な人ですね。

【長井】 最後は、子供向けのファンタジーの『だれも知らない小さな国』。普段の生活の中で、誰かが自分を見守っているような気がして、よく見ると小さな人がいた、というところから始まる、コロボックルという伝説の種族を扱った作品です。子供時代に読み、青春時代に読み、大人になって読んで、さらにちょっとくたびれてから読み返すと、感じ方が変わってくる。

【佐伯】 初めて読みました。これはもう文学のジャンルを超えているな、と。文章はみずみずしい、半世紀前に書かれたとは思えない、全然古びていませんね。活字って、本ってすごい力を秘めているんだ、現在から過去、過去から未来に導くタイムマシンだと改めて感じましたね。

(2007/02/10)

佐伯泰英(さえき・やすひで)
1942年、福岡生まれ。カメラマンを経て、ノンフィクションや冒険小説を書いた後、99年から時代小説を執筆。文庫書き下ろしにこだわり、その累計が昨夏、1000万部を突破した。『密命』『居眠り磐音江戸双紙』シリーズなど著書多数。
長井好弘(ながい・よしひろ)
1955年、東京生まれ。79年、読売新聞入社。「大人のエンターテインメント」をテーマに執筆。文化庁芸術祭審査員、都民寄席実行委員などを歴任。著書に「使ってみたい落語のことば」「美しい落語のことば」(アスペクト)。

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