第2回活字文化推進フォーラム〜「子に伝えたい 本の魅力」

基調講演「読書力とは何か」〜朗誦・暗誦と多読のコツ

大学には毎年、非常に生きのいい、気のいい学生が入ってくる。ただ、今の学生は本を読んでいない。そしてそれを恥じるところもない。

そこで教室で最初に行うのが「ブックリストの交換」。これまでに自分が読んだ本で印象に残っているものを紙に書き、学生同士交換する。

まず10冊ほど、著者、タイトルを挙げ、1行ほどのコメントをつける。それから教室の中を歩いてもらい、出会った人とリストを見せ合う。最低10人。「これはどういう本ですか」などと話をした後に、見せてもらったリストの本を読む気になっている学生も多い。私が薦めるより、同じ年齢同士の方が刺激になる。その日のうちに本を買って読むということが起きる。

読書は「人との付き合い」だと思う。100冊の本があったら、100人の優れた人との出会いという感覚で本を読んでいる。出会いは「縁」でもある。友だちや、尊敬する先生が薦めるといった縁をたどって読むのが本を数多く読むコツ。自分の好きな作家がいたら、その人たちが薦めている本を読んでいく。自分に関係のないものに親近感を抱くことはあまりない。

もちろん「はずれ」もあるだろうが、あまり拘泥しない方がいい。本をたくさん読めない人の特徴に、1冊を読み切ろうとする癖がある。本は、最初から最後の1ページまで読み切らなければならないとは思わない。退屈な場面は何となく目を流すというのはごく自然なこと。

小説以外の実用書については、「2割を読んで、8割を理解する」を基本にしている。200ページの本だったら途中飛ばしながら40ページぐらいを読んで、その本の8割方の内容を理解するということ。本はすべての章が均等には書かれておらず、著者が力を入れている個所がある。

子どもも大人も、読書をしなくなる理由のひとつに、「いくら読んでも忘れてしまう」というのがある。これを防ぐには、読んでいる最中から人に話すことが有効。僕は、小学生の息子にも話している。話すことで、自分も覚えていられる。3人に話すと、大体10年たっても大丈夫だ。

読書というのは、スポーツや楽器の演奏と似ている。量的な積み重ねが、質的な変化を起こす。「読んだ」と言える本を増やすことが大切だ。「読んだ」という基準は簡単でもいいから人に本の説明が出来るというあたりに置く。

文庫本で100冊ぐらい読むと、一生本を読むのは苦にならなくなる。自転車に乗れるようになったのと同じで、読書が苦痛な段階を抜け出せれば、あとは楽勝。中学、高校卒業くらいまでには、そこまで行ってほしい。

子どもを読書に慣れさせる早道は、ビッグネームに親しませること。僕が小学生向けに書いた「理想の国語教科書」にも、夏目漱石、シェークスピア、小林秀雄——といったメンバーの文章を並べた。野球で例えると、「これ以上速い球は今後の人生で来ないよ」というのを最初に見せておく。150キロの真ん中の直球をバントさせるような練習だ。ほかの本は、比較的楽にこなせるようになる。

活字といえば新聞も重要だ。日本人は毎朝当たり前のように配られてきた新聞を読んできたが、若い人にその習慣はなくなりつつある。新聞を読む習慣が、国の基礎力、生活、文化の程度にとってどれほど大きなものか計り知れない。

書き言葉は、非常に強い凝縮力を持っている。書き言葉に慣れていないと、「って言うか」「っていう感じ」などとりとめもなく続く話し方になるケースが多い。

何かをしようという強い意志、緻密(ちみつ)な思考力、想像力は、書き言葉によって育てられる。

活字文化にはこれからもこだわっていきたい。

子どもに薦めたい本

〈1〉「ギルガメシュ王ものがたり」(ルドミラ・ゼーマン著)
〈2〉「いしぶみ—広島二中一年生全滅の記録」(広島テレビ放送編)
〈3〉「十五少年漂流記」(ジュール・ヴェルヌ著)

斎藤さんおすすめ「3色ボールペン法」

斎藤さんは子どもを読書に親しませるため、様々な実践法を考案している。講演会場でも、聴衆が実際に試した。 青、赤、緑の3色ボールペンを使い、本を読みながら文章に印を付けていく方法は、理解を助け、速読にもつながるという。

青は「客観的にまあ大事」、赤は「客観的にすごく大事」、緑は「自分は好き」。文に線を引いたり、言葉をぐるぐる巻きに囲んだりする。

本の内容のキーワードがつかめてくると、それに関連する部分に、次々印をつけながら読み進む。慣れれば、大人なら新書を15分で読め、ポイントは押さえられるという。

飽きやすい子どもとは、家族や友だち数人で組になり、1行交代で音読していくのも面白い。緊張感の中にも、楽しみながら読める。段落ごと、句読点ごとなど区切りはいろいろ試せる。その際、文章が切れ目なく流れるよう読むことを心がける。

一緒に音読している人との間を体感することが出来、コミュニケーションのコツをつかむことにもなるそうだ。

斎藤孝(さいとう・たかし)氏
明治大学助教授。1960年、静岡県生まれ。東大法学部卒。同大大学院教育学研究科博士課程修了。専攻は教育学、身体論。小学生向けの私塾を主宰。「声に出して読みたい日本語」「読書力」などベストセラーを続々と生み出している。

パネルディスカッション〜「読むって楽しい 子どもたちと本」

「読むって楽しい 子どもたちと本」をテーマにしたパネルディスカッションでは、本とかかわりが深い4氏が2時間にわたり、活発な議論を展開、会場をわかせた。(コーディネーターは勝方信一・読売新聞東京本社論説委員)

■パネリスト

emiko_otsuka.jpg 大塚笑子(おおつか・えみこ)氏
朝の読書推進協議会理事長。1946年、岩手県生まれ。東京女子体育大卒。私立東葉高(千葉県)の体育教諭。88年に学校現場での「朝の読書」を提唱し、全国の学校に広めている。著書に「朝の読書希望への一歩」「朝の読書はじめの一歩」がある。

子どもに薦めたい本
〈1〉「みんな本を読んで大きくなった」(朝の読書推進協議会編)
〈2〉「暁の超特急」(辺見じゅん著)
〈3〉「きっと明日は」(江崎雪子著)

keiko_ochiai.jpg落合恵子(おちあい・けいこ)氏
作家。1945年、栃木県生まれ。明治大文学部卒。子どもの本の専門店「クレヨンハウス」、女性の本の専門店「ミズ・クレヨンハウス」の各代表。読売新聞生活面の「人生案内」を担当。近著に「午後の居場所で」など。

薦めたい本
〈1〉「はなのすきなうし」(文=マンロー・リーフ、絵=ロバート・ローソン)
〈2〉「あおくんときいろちゃん」(レオ・レオーニ作)
〈3〉「アンジュール」(ガブリエル・バンサン作)

machi_tawara.jpg俵万智(たわら・まち)氏
歌人。1962年、大阪府生まれ。早稲田大第一文学部卒。神奈川県立高校の国語教師時代に出版した歌集「サラダ記念日」が大ベストセラーに。読売新聞歌壇選者。他の歌集に「かぜのてのひら」「チョコレート革命」など。

薦めたい本
〈1〉「長くつ下のピッピ」(アストリッド・リンドグレーン著)
〈2〉「星の王子さま」(サン・テグジュペリ著)
〈3〉「源氏物語」(瀬戸内寂聴訳)

masamoto_nasu.jpg 那須 正幹(なす・まさもと)氏
児童文学作家。1942年、広島県生まれ。島根県立農科大卒。46作を数える小説シリーズ「ズッコケ3人組」は、小学生に人気の大ベストセラー。98年には映画化された。他の著書に「絵で読む広島の原爆」「ヨースケくん」など。

薦めたい本
〈1〉「だんだんやまのそりすべり」(文=あまんきみこ、絵=西村繁男)
〈2〉「いしぶみ—広島二中一年生全滅の記録」(広島テレビ放送編)
〈3〉「次郎物語」(下村湖人著)

まず大人が習慣を

【勝方】 昨年11月の第一回フォーラムでは、「今なぜ活字文化なのか」を議論した。今回はそれを受けて、子どもや若者に読書の楽しさや本の魅力を知ってもらうには、どうしたらいいかを話し合いたい。まずは、皆さんと本との「出合い」について。

【那須】 今でこそ子ども向けに本を書いているが、実は小さいころ、本が大嫌いだった。特に小学生時代に読書をした記憶がない。だから、本が嫌いな子どもの気持ちもよく分かる。

中学校では、クラスの女の子が薦めてくれた『次郎物語』にはまり、高校までずっと、その本ばかり読んでいた。実際に本が好きになったのは高校3年の時。受験勉強をするのが嫌で、本を読み出した。大学時代は下宿の前に貸本屋があったので、そこで本を借りていた。本格的に読書を始めたのは、就職して社会人になってからだ。

【俵】 私は対照的に、小さい時から本が大好きだった。まだ字が読めないころは、母親が絵本をたくさん読んで聞かせてくれた。1番よく覚えているのは『三びきのやぎのがらがらどん』という絵本で、これは今でもロングセラー。本は物心ついた時から「友達」という感じだった。

小学生時代は、1日に何冊も読んでいた。近所のおばさんの家に本が山のようにあって、それを近所の子どもたちに貸してくれていた。放課後はそこで借りた本を夕食までに1冊読み、また次の本を借りてくる。毎年クリスマスになると、サンタクロースに本をお願いした。そして母と一緒に本を選ぶのだが、その時からわくわくしていたのを覚えている。ごく自然に、本がそばにあり、本に育ててもらったと思う。

【落合】 本との最初の出合いは、「寝息といびきの記憶」。幼いころ、母や祖母が寝る前に本を読んでくれたのだが、好きな場面が来る前に2人とも必ず寝入ってしまう。それで、そんな記憶になった。第2の記憶は「ハタキ」。本が買えない時、本屋で立ち読みをしていると、ハタキを持った店の人が来て、近くの棚をパンパンとやる。大きくなったら、立ち読みも座り読みもできる本屋を作りたいと思った。それが27年前、子どもの本の専門店「クレヨンハウス」を始めることにつながった。3番目は「原っぱ」の記憶。小学3、4年生ごろに昆虫図鑑や植物図鑑に夢中になり、原っぱに行くときも、小さい図鑑を持って行った。

中学、高校生のいわゆる思春期は、ヘッセやゲーテなどの古典を読んだ。このころの本は自分にとって、心を休ませるシェルターのような役目を果たしていた。

【大塚】 私は教師という立場から、朝10分間の読書運動を始めた理由を話したい。生徒が就職活動で履歴書を書く際、よく「書くことがない」と言う。「読書やスポーツと書いたらどう?」と助言すると、今度は「本など読んでいない」と。「これは困った」と思った。それで最初は週1回、生徒に本を読んで聞かせるようになった。

もう1つ理由がある。私が若いころ、生徒同士がトラブルを起こして困ったことがあった。保護者も交えて話をしたが、そこで若い教師が理想論を説いても説教にしか聞こえない。それなら、生徒に本を読ませ、自分なりに考えさせる方がいいだろうと思った。

【勝方】 次に、幼児から高校生あたりまでの読書の現状を報告してほしい。

【俵】 私は高校で古典を教えていたが、生徒はあまり本を読んでいなかった。特に残念だったのは、日本の古典に触れずに高校生になっている子がほとんどだということ。百人一首もほとんど知らない。全く予備知識もないまま古典に接しても、まるで外国語だ。生徒が3年間かけて、どんどん古典嫌いになっていく。本当に寂しい思いをした。

今、自分が古典の現代語訳をしたり、入門のエッセーなどを書いているのは、せめてもの罪滅ぼし。古典に触れる時間を持ってほしい。

【落合】 私は27年間、クレヨンハウスの活動をしてきたが、子どもが活字から離れているという実感はない。むしろ心配なのは、大人の読書離れだ。実用書は別として、楽しみとしての読書から離れているのではないか。うちの子は本を読まなくて困りますという相談を受ける時、隣で子どもが「お母さんは昼間テレビ見てるんだよ」「お父さんはスポーツニュースばっかり」と言っている。

子どもが本を読む環境そのものが崩れ去っている。年間約1000軒の本屋さんが全国から消えていく。

あるいは本屋さんの中で、子どもの本のスペースが小さくなっていく。好きな本に出合い、ゆっくり読む。その時間や空間や仲間を大人がどれだけ保証しているかが問題ではないか。

【大塚】 学校で朝の読書をやっていると、生徒は、読書がこんなに楽しいとは思わなかったと言う。それまでの読書感想文には選定図書があり、自分の好きな本を選べるわけではなかったので、それで嫌になったという。朝の読書は、好きな本を最後まで読める。たかが10分間と思われるかもしれないが、まず時間の設定をしてやって、楽しいものだと分からせる。生徒は最初は幼いものを読んでいても、だんだん手応えのあるものを読むようになる。

教師は「私は学生時代にこんな難しい本を読んだ」などということを言わない方がいい。生徒によっては、「勉強と同じなんだ」「また序列なんだ」「どうせ私はこんな程度しか読めない」と感じてしまう。お母さんが小さい時に読んでくれた幼児の本を見ながら涙ぐみ、ほんとうはすごく愛されて育ったんだ、と思い出しながら読んでる子だっている。

【那須】 私がデビューしたのはもう30年前だが、当時は児童文学花盛り。読書運動が大変なブームで、地域の文庫活動も盛ん。それが1980年代後半になって急速に衰えてきた。自分の子どもの年齢が上がると、お母さん方が文庫活動をやめてしまうこともある。

子どもは物語が好きなのに、読めばそれで感想文を書かなくてはいけなくて、教育の一つになってしまう。自分たちで本の楽しさに出合えば、それは強いと思う。

【勝方】 現状分析を踏まえ、子どもに読書習慣をつけてもらうにはどうすればいいのかを聞きたい。

【落合】 アメリカの絵本作家モーリス・センダックが、子ども時代の自分の体験として次のように言っている。「初めて本をプレゼントされた時、私はまず、本を抱きしめた。次ににおいをかいだ。表紙をなでた。かんでみた。そして最後にその本を開いて、読み出した」。子どもにとっては、本があるところで走り回ったり、寝っ転がったりすることも読書体験だといえる。あらゆる「ねばならない」から自由になったところで、楽しみとしての読書は始まるのではないか。

子どもを本嫌いにする言葉は、第一に「本を読め」。強制されたら、あまり読みたくないと思う。第二に「早く選べ」。子どもは、座り読みをゆったりしたいと思う。もう一つは「もっと文字の多い本にしなさい」。学習としての本という位置づけがあるためだ。それから子どもの声として最も多いのは、本を最後まで読んだかどうかテストしないでということ。

【大塚】 昔ならば、読書なんてなにも学校でする必要はないと思われるかもしれない。けれど、私が今の時代に生きていたら、当然、読書よりテレビとかゲームの方に行っている。だからこそ、今あえて読書の時間を設定してやらなければならない。

よく評論家の方たちは、「勉強は学校、読書は家庭」と言うが、そんなきれいごとは通用しない。今の生徒には不登校やいじめの問題もある。朝の読書をやっている学校は、その取り組みに、こうした問題解消の願いを託している。家庭、友達、成績など、いろいろな問題を抱えている子どもたちが、自分なりに頑張っていこうと思ってくれるように。

クラスの中に普通はグループができる。読書によって、それがなくなり、いじめがなくなる。魔法でも何でもない。友達がなかなかできない子も入れて、面白い本を紹介しあう。朝の読書の本を媒介としていじめがなくなり、和やかなクラスができるから、生徒が休まないで学校に出てくる。遅刻もなくなる。「私もみんなと本を読みたい」という、積極的なホームルームだから楽しい。

押し付けは逆効果

【那須】 素朴な疑問だが、子どもを本好きにする必要があるのだろうか。活字文化の衰退は国民全体の問題であって、子どもにだけ押しつけるのはやめなさいよと言いたい。読書によって人間改造までできるというのは幻想じゃないかという気がする。ただ、本を読む環境づくりというのは大切だ。企業の休憩室のテレビのそばに本棚を置く、商店街の空き店舗に小規模な図書館をつくる、駅に貸し出しコーナーをつくって通勤電車に乗る人に本を貸す。大人が本を読む環境づくりを行えば、そのうち子どもも本を読むと思う。小学生時代は、外でどんどん遊んで、いろんな体験をさせる方が大切なのではないか。泥んこになって遊ぶなどの生活体験があって、初めて本の感動が生まれるのではないか。60歳になって本が好きになってもいい、いつか本と出合って好きになったらいい、と考えている。

【大塚】 もちろん、朝の読書さえすれば、何でも良くなるわけではない。私が朝の読書を勧めるのは、本を毎日読むことで自分の心を落ち着かせてほしいと願うからだ。子どもたちには希望を持って生きてほしい。その希望を携帯電話に求めるよりは、本に求めて、その中で自分と対話しながら、いろいろな人生があるんだ、あきらめないぞと思ってほしい。

【俵】 「困ったときには本がある」と知っていることが、どれだけ人生を豊かにしてくれるか。その点では大塚さんの意見も那須さんの意見も一緒だと思う。小さい時に読まなくても、仕事で必要になったら読み始める。家庭で苦しいことがあった時には、本が自分を違う場所に連れていってくれる。大人の役割というのは、「本は誰にでも与えられた宝なんだ」ということを、子どもに伝えることではないだろうか。

私も、本を読むことを勉強にしてはいけないと思う。読書感想文は本好きの私にもすごく憂うつなものだった。私は小さいとき、親たちが毎日、新聞を楽しみにしているのがうらやましかった。子どもって、押しつけは嫌だが、大人が楽しそうだと自然と興味がわく。だから、大人はこっそり本を読むといいんじゃないかと思ったりもする。

【勝方】 小学生のときに結構本を読んでいても、中学、高校と進むにつれ読まなくなる。中学1年生に読書離れの溝みたいなものがあると思うが、一時読まなくなってもまた読むようになると楽観視していていいのか。

【落合】 基本的に、子どもを信じなくては。「本を読む子がいい子」という強迫観念に大人がとらわれたとき、本嫌いの子供をつくってしまう。本が果たしてくれる役割はたくさんあると思うが、本を読むことがすべてになってしまうのは怖いことだ。「本こそすべて」も「本なんてつまらない」も一方的。いかに柔らかくバランスをとれるかが大切。子どもがゆったりと本に出合える様々な環境をちょっとだけ保証することができたら、と思う。

【勝方】 きょう会場にお越しの皆さんの中から、「子供時代に読書環境なしで育った大人でも読書を楽しめる方法を教えて下さい」という質問が来ている。

【那須】 自分で本当に本を読んでみようかなという気持ちになることだ。例えば病気で入院するとか、テレビのない無人島に流されるとか(笑)。要するに、本を読む環境だと思う。子どもは素直だから、本を読んでごらんと言えば読むが、大人はなかなか読まない。本は1冊読んだだけですごく感動した、というのはなかなかない。根気よく読んでいくことが必要ではないか。

【勝方】 一番多かった質問だが、小さいとき本好きだったのに成長するとともに読書嫌いになってしまった子どもへの働きかけはどうすべきか。

【俵】 子どものころは、面白かった本を何回でも読む。面白いと分かっているからこそ、もう1回読もう、と。ところが、大人になるにつれ時間や効率を考え、もう分かっているから、次のものを、というふうになる。けれども、同じ本をもう1度読むというのは、良いことだと思う。昔読んで面白かった記憶があるが、あまり内容を覚えていない本を読み直すことは、あまり本を読まなくなった人を、もう1度本の世界に連れ戻してくれる一つのきっかけになる。

パネルディスカッション〜「お薦めの本とその理由」

【勝方】 最後に、子どもたちにぜひ読んでほしい本とその理由を語っていただきたい。

【大塚】 『みんな本を読んで大きくなった』は、朝の読書推進協議会で作ったもの。人気作家の先生方が小さいとき、どんな本を読んでいたのか、どんな思いを育ててきたのかが描かれた、すばらしい内容だ。2冊目は『暁の超特急』。運動が好きな子は希望と夢を持って、自分を信じて欲しいので。それから、『きっと明日は』。この方は学生の時に筋無力症になられて、生死を何度もくぐり抜けて、それでも作家として頑張っておられる。生徒たちには、人との比較ではなしに、自分の運命に挑戦して頑張ろうという意味で、ぜひ読んでいただきたい。

実は、学校の中には、図書室がなく、ほとんど本がないところもある。国は学校の図書整備費を各都道府県に出しているが、いろいろな物に消えていく。子どもたちの豊かな読書環境を整えるために、地域のみなさんが一声ずつ出して行政に働きかけてくださると、学校に本が増えていくようになると思う。よろしくお願いします。

【落合】 『はなのすきなうし』は、ある農場に1頭だけ、みんなと違うものが好きな牛がいた、という話。みんなは闘牛の牛になるのが最高の出世だと思っているのに、彼は闘牛なんか嫌で、花の香りをかいでいるのが一番好き。

いろいろな読み方があると思うが、私には価値観を一つにするのは怖いことだよね、と読めた。花の香りをかぐのが大好きで、けんかが嫌いな男の子がいたっていいじゃない、と。この絵本が戦争中に書かれたのは、象徴的だ。

『あおくんときいろちゃん』はロングセラー。青と黄色の気持ちが重なって緑になった。けれども、それぞれの家で、「うちの子は緑ちゃんじゃないよ」って言われて、わーっと泣いたとき、元に戻る。あなたは自分色に生きていこうよね、だから、相手の自分色も大切にしようよね、と。これも読み方の一つだが、そんな呼びかけをしてくれる本として大好きだ。

『アンジュール』は車の窓から捨てられた犬の、切ない物語。文字は一つもない。最後の最後で、犬と1人の少年が出会うことで、それまで傷ついてきた、奪われてきたものを再生し、お互いに受け入れ合う、というお話。

十数年前、「クレヨンハウス」で、髪が緑と青と黄色と紫の男の子が、これを立って読んでいて、鼻をすすりあげて泣いていた。あとで彼は、本を大事そうに抱きかかえて、「これ」って持って行った。

それから数年たって、当時、彼が不登校で周囲になじむことができず、「捨てられた犬は僕だ」と思い、少年と出会うシーンでとてもほっとした、ということが分かった。本というのは、その人がとても揺れた時、つまようじ1本ほどの支えをくれるものかもしれない。少年にとって、『アンジュール』は、そういう本だったんだろうと思う。

ロングセラーは、国籍や年齢、人種などによって、入り口を閉ざさない。いつでもどうぞ、と門を開いていてくれる。

【俵】 有無を言わせぬ魅力的な登場人物の出会いというのが最初にあると、本と仲良くなれると思う。『長くつ下のピッピ』のような物語は、本当に良いと思う。『星の王子さま』は、中学生時代に大好きだった先生から貸してもらって以来、大人になっても折に触れ、読んでいる。中学生の時は、ここに出てくる大人のばかばかしさがすごくおかしかった。もう少し年がいくと、王子さまとバラの花の関係、つまり恋愛のようなものにドキドキしたりして。最近読み返したら、全然違うところが心に響いた。作者が考え事をしていて、上の空で話を聞いてしまうところがあるが、そのことに王子さまがすごく傷つく。「自分もこんな感じで会話しているかもしれないな」なんて思うこともあって、読むたびに発見がある。繰り返し読む本としてお薦めしたい。

高校時代、田辺聖子さんの『新源氏物語』を読んで、古典ってなんて面白いんだろうと思った。教科書に出ているのは本当につまらないところばかりで、「大人は隠しているな」と思った記憶がある。瀬戸内寂聴さんの『源氏物語』は全訳なので、大変刺激にもなると思う。昔の人は、試験に出るから古典を読んでいたわけでも、大人に強制されたわけでもなく、本当に面白いから読んでいた。多くの人が面白いと思ったから残っているという説得力がある。

辞書とか文法書とかを手にする前に、古典の世界にダイレクトに触れられるものとして、こういう現代語訳がそばにあったらいいなと思う。

【那須】 子供たちにぜひ読んでもらいたいというリクエストを受けた時に、自分の作品を3つ並べようとしたら、きょうの主催者の人がちょっとまずいからやめてほしいと(笑)。『次郎物語』は、自分が最初に出合った本なので挙げた。『いしぶみ』は、子どもよりむしろ大人に読んでもらいたい本。中学生で被爆した子どもたちの話を読んで、感動してほしい。僕も広島で被爆しているので、この話には思いがある。

『だんだんやまのそりすべり』は、感動したというか、ひょっとするとわしよりうまいんじゃないかと思った作品(笑)。技術ではなく、あまんさんの人柄だろうと思う。僕はどう逆立ちしても書けない作品で、僕自身が「読んで得した」という感じがした本だ。

【勝方】 情報化が進むにつれ、本以外の楽しみも多くなるなど読書を妨げる要因は増えている。しかし、そうした時だからこそ、子どもたちが優れた本と出合えるよう、大人たちが知恵と力を出し合っていくことが必要だと思う。本日はどうもありがとうございました。

(2003/3/27)

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