第22回「古典文学の楽しみ方」

対談 夏川 草介さん&横里 隆さん

漱石、鏡花音読したい/暗いのに面白い賢治
 

夏川・横山.jpg       松本城を背に談笑する夏川さん(写真右)と横里さん

草枕 

―夏川さん自身は夏目漱石を敬愛され、「神様のカルテ」の主人公である若手医師も「草枕」を全文暗唱できるほど、漱石ファンという設定になっています。

【夏川】 小6の時、初めて「吾輩は猫である」を読みました。あまり面白くなかったのですが、中3で読み直してみると、全くイメージが違っていました。聞いたことがないんだけど、なぜか情感が伝わってくる言葉の魅力にすごくひかれました。

【横里】 読む年齢によって感じるモノが違うというのが、古典文学の深さなんでしょう。

【夏川】 大学時代、漱石のことを調べてみたのですWEB夏川.jpgが、子どもの頃から漢文の素養があったんですね。イギリスに留学してからは英語も話せるようになる。禅の勉強をすることによって仏教用語も習得し、日本人なら使わないような漢文も出てくる。いろいろな言語を身につけることによって、漱石らしい新しい文章の骨格が生まれ、他では味わえない魅力になっているのではないでしょうか。

【横里】 日本文学の黎明(れいめい)期の文豪たちは、まねをするとか、教えてもらうということがなかった時代に、海外の文学や、ほかの表現物を吸収して、自分で基礎をしっかりと作っていかなければならなかった。漱石にしても森鴎外にしても言葉がすごくきれいなことに加えて、明治、大正時代の作家は、文章に「幹」がある感じがします。

【夏川】 鴎外の文章も好きですが、どちらかと尋ねられたら、やはり漱石が好きです。二人の人間に対する目線の違いでしょうか。ちょっと距離を置いているようなところがある鴎外に対して、漱石の人間に向ける目線は、いつでも真剣な感じがして、個人個人の内面にどんどん入っていくような気がします。

【横里】 漱石の小説は、クールに見えるけど、ちょっと優しくて、ユーモアがある。夏川さんの小説と共通しているところがありませんか。

【夏川】 僕自身の性情と似ていて波長が合っているのかもしれません。

【横里】 漱石を読むのなら、何から入るのがいいでしょうか。

【夏川】 入り口としては「坊っちゃん」「三四郎」からで、「それから」「彼岸過迄」でしょうか。「吾輩は猫である」は読みにくい文章があったりするので、一冊目には向かないと思います。いずれにしても順序よく読んでいくと、人間に対する漱石の目線の変化がよく分かります。

よだかの星

WEB横里.jpg【横里】 私が文学の深さを感じた原体験は宮沢賢治です。小学5年の時、教科書をあまり使わない個性的な担任が、教科書に載っていない「よだかの星」をコピーして配り、チームに分けて読解させたんです。自分も含め、クラスの皆が大泣きしました。

【夏川】 宮沢賢治は難しいところがあると思うんです。「よだかの星」、「銀河鉄道の夜」は、まだ何をしようとしているのか伝わってきますが、もっと小さな短編だと、情景描写だけが続いてストーリーがなかったりして、大人の視線で読むと、混乱するようなところがあります。子どもの患者さんで、賢治が好きな子も、何がいいのかはうまく説明できないようです。

【横里】 透明な悲しみに満ちているモノばかりで、幸せなものがない。自己犠牲とは何かを問い続けていて、この暗さを子どもに面白いと思わせられるのはすごいとしか言いようがないです。

【夏川】 童話として残ってきたのは奇跡じゃないかと。

【横里】 それでも自分には宮沢賢治の文体が一番しっくりくるんです。賢治の魂を一部継いでいる夢枕獏さんの文章がしっくりくるので、文章が合うか合わないかの生理感覚みたいなものが人間には備わっているのかもしれません。

高野聖

―お二人共通で、名前が挙がったのが泉鏡花です。

【夏川】 鏡花の作品も、古文と言っていいくらい読みにくいし、だらだらと終わりのないような文章です。だけど、なぜか覚えたくなる文章だし、言葉と共にどんどん情景が広がっていくようなところも好きです。

【横里】 お経に近いような文章は、声に出して読んだら、すごくきれいに読める。「高野聖」もそうだし、「外科室」にしても、読んでいる人を縛り付けていくような力があります。

【夏川】 日本語がリズミカルで、声に出して読むと楽しい。鏡花に限りませんが、文豪たちの文章は覚えようとしなくても、ワンフレーズがふっと頭に浮かぶ。今の若い人たちが現代文学の短編の一つでも朗読できるかというと、多分そんなことはないでしょう。

【横里】 それにしても夏川さんの作品からすると、幻想文学的な鏡花が入ってくるのはちょっと意外な感じです。漱石はすごく分かるのですが。

【夏川】 自分が表現したい世界は鏡花の方かもしれません。でも、人の命を扱う医者を主人公にしているので、幻想的にしてはいけないという感覚があるんですね。

―古典文学の魅力を。

【夏川】 現代は推理小説が売れているように、日本語よりストーリーを楽しむ傾向があるのに対し、古典文学は、言葉の持つ独特のリズムなどストーリーではない部分で、非常に大きな力を持っていると思います。あらすじで読む古典文学というのがありますが、「吾輩は猫である」を、あらすじで書いても何も残りません。音読に堪えて、耳から入ってきて覚えられ、自分自身の日本語が豊かになるというのは大きな魅力だと思います。

(司会は、活字文化推進会議事務局・和田浩二)

22回おすすめ本.jpg

『神様のカルテ』の世界  「医療の今」へ問題提起

「良心に恥じぬということだけが我々に与えられた報酬だ」

「神様のカルテ」の主人公栗原一止(いちと)は「24時間、365日」を掲げる民間の救急病院の内科医として奮闘する。続編では、厳しい職場環境に置かれる女性医師、病院経営のコストに厳しい事務長らが登場し、医療が直面する問題点も色濃く描かれている。
 
 デビュー作の刊行後、「医療の実情をもっと書いてほしい」といったオファーが相次いだ。「最初の作品の執筆に際しては、医療小説にならないよう何度も書き直したが、目の前にある問題から目を背けてばかりいると、かえって誤解を招くのではないか」と思うようになったという。
 
 続編のゲラに目を通し、泣き通しだったという横里さんは「問題提起の部分を、しっかりエンターテインメントにして、ヤマ場に持ってきた力量はすごい。現状に希望が持てないお医者さんは多いかもしれないが、気持ちの着地点を示してくれている小説ではないか」と感想を語る。
 
 日常的に患者が亡くなり、休日もなく院内を駆け回る日々。「もっと患者にしてあげられることがあったのでは」と悔いることもしばしば。医師に向いていないのでは、と悩んだ時期があった。そんな時、「何か文章を書いてみたら。気持ちが変わるかも」という妻の一言が執筆のきっかけとなった。「小説を読んで元気をもらった」という感想を寄せてくれる“同業者”の存在が一番うれしい。

  「良心に恥じぬということだけが我々に与えられた報酬だ」。栗原が頻繁に口にする言葉だ。先輩ドクターから聞かされた「現場を支えているのは、システムでも給料の高さでもない。世の中が持ち上げてくれるからでもない、医師たちの良心だけで今の医療は成り立っている」という言葉が背景となっている。
 
 四季折々の信州の美しい自然をバックに、ストーリーはめまぐるしく展開する。映画化も決まっており、来年公開予定。栗原を櫻井翔さん、四六時中、急患で呼び出される夫を献身的に支える妻を宮?あおいさんが演じる。夏川さんは「自分の描いた人物を、別の人が動かしてくれるというのは、すごく不思議な感覚」と語る。

◇なつかわ・そうすけ 作家 1978年、大阪府高槻市生まれ。信州大学医学部を卒業後、長野県内の病院に内科医として勤務。学生時代から夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介を愛読。デビュー作が第10回小学館文庫小説賞を受賞した。
 ◇よこさと・たかし 「ダ・ヴィンチ」編集長 1965年愛知県生まれ。信州大学卒業後、リクルート入社。2001年から本の情報誌「ダ・ヴィンチ」編集長。 

 

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