椙山女学園大学活字文化公開講座

基調講演「ステキをつくる本の魔法」 谷村志穂さん

 

あなたは どんな主人公?

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 20代の時に最初の小説を発表しました。大学の研究室を舞台に、心の中にあることをうまく表せず、先生の研究助手を務めながら淡い思いを抱え、揺れている主人公を描きました。
 それから20年以上、書いています。20年も続けていると大抵のことはうまくなる気がしますが、一向にうまくなったと感じません。ただ、書き続けていて気づいたのは、人間を描く時、アウトラインでは描けないということ。何年に生まれ、何年に椙山女学園大に入ったという、お見合いの身上書みたいなものでは、どんな人か見えてきません。
 誰かを描こうとする時、1日の中で何か大切にしていることを教えて下さいと聞いてみるんです。そうすると、「特にないんだけど」と言いながらも、「朝、暗いうちに犬の散歩に行くんだ。犬はこんな名前で、こういうコースを歩いて、この木のところで立ち止まって、町の景色を見る」と答えたら、その人のイメージは膨らみます。
 人間は社会のいろいろなところに属しています。家族、町内会、学校、会社。でも、属性とは違うところに個人の心の部分がある。それを丁寧に書いていくのが小説で、それが魅力であり、凄(すご)みだと思います。
 私は友達を探すように小説を読みます。描かれた一人ひとりが、自分とどこか重なっている、似ている、違うかもしれない。違うなら違うで、私はこう考える。そうすると自分が見えてくる。心の中があぶり出され、鏡に映し出されるようになっていきます。
 その鏡がよく磨かれたものであるために、作家たちは言葉を磨きます。一つの感情を表すのに、必死に言葉を探します。でも、言葉でなくても伝えられるのも活字の面白さだと思います。
 とても恥ずかしがり屋な人がいて、目の前に思いを伝えたい人がいる。言葉は出てこなくても、ほおが赤くなっているかもしれない。目が潤んでいるかもしれない。「さようなら」を言う時に、去りがたい余韻を残すかもしれない。言葉ではなくても、人が全身を用いて表す感情が、小説の中につづられていきます。
 本を読まない人が増えているとよく聞きますが、どうしてなんでしょう。家の中にいても、移動の途中でも、本を開くと、ふっと違う世界に行ける。誰かの気持ちに触れられる。とても豊かな想像が始まる。人間に与えられた大きな楽しみの一つです。
 最初に話した「1日のうち、どんな時間を大切にしていますか」というのを、みなさんへの宿題にします。もし、「私」を主人公に小説を書くとしたら、冒頭はここから書き始める。「私」という人を表す場面はここ、というのを考えて下さい。椙山 客席.jpg
 『シートン動物記』の中に、カラスの物語があります。私は『ぎんのしるしのあるカラス』と翻訳しました。ほおに銀色の印があるカラス(シルバースポット)は群れの隊長なんですが、時々、単独行動をする。シートンはそれを追跡します。
 そうすると、河原で一生懸命、小石や砂を掘り起こす場面に出合う。あちこちで見つけた宝物を埋めていたんです。去った後で見ると、白いボタンや貝殻、コップの取っ手とか、白いものばかり。時々見に来ては掘り起こし、楽しんでいたんです。
 大学時代、動物生態学を研究していました。動物たちにもそういう楽しみがあるようです。楽しみとか、ひそやかに自分だけで大切にしてきたこととかは、キャリアや学歴、出身地などよりも、皆さんの真ん中に通っている一つの屋台骨、骨格なのかもしれません。それを見つけてみて下さい。

 
 ◇たにむら・しほ 1962年、札幌市生まれ。北海道大で動物生態学を専攻。性や自然、旅などをモチーフに数々の小説を発表。『海猫』で島清恋愛文学賞を受賞。『余命』『尋ね人』『レッスンズ』など、映画、ドラマ化された作品も多い。
 

対談 谷村さん×中江有里さん(女優、脚本家) 
 

中江さん 脚本は建物の設計図/谷村さん やっぱり紙が好き

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 脇田 中江さんは脚本を書く時、どんなことに気をつけたり、心を込めて表現されたりするんですか。
 中江 小説と違って、脚本は建物の設計図みたいなんです。ト書き、場面の説明があって、登場人物のせりふがある。主人公なら、1時間のドラマである程度描けますが、2シーンしか出てこないような登場人物もいる。その人を短いシーンの中でいかに描くか。やっぱり人間を描くということだと思います。
 脇田 動物生態学を学んでいた谷村さんが、小説の世界へ入っていかれた経緯は。
 谷村 北海道大学農学部で野生動物の生態を学んでいました。大学院に残ろうと思っていたんですが、あるとき、教授に「(大学を)出た方がいいんじゃないか。論文は面白いけれど……。作家になったらどうですか」と言われました。その教授が、森鴎外の孫の森樊須(はんす)先生。それで、出版社に1年半勤めてから、小説を書き始めました。最初の小説が出た時、とても喜んで下さり、森鴎外全集と極太万年筆を贈って下さいました。森先生は亡くなりましたが、不思議な出会いをいただきました。
 脇田 中江さんも、20代の頃は試行錯誤されたんじゃないですか。
 中江 15歳で大阪から上京しました。初めての一人暮らし。東京には親戚も知り合いもいません。標準語で話さなきゃというストレスとホームシックで、本屋に駆け込みました。すがるような気持ちで手にしたのが、宮本輝さんの『泥の河』『道頓堀川』。関西弁で書かれているというだけで自分のために書かれているような気がして、本に救われたと思いました。
 脇田 脚本を書き始めたのはいつからですか。
 中江 28歳の時ですが、中学生の頃から書きたいと思っていました。夢のままでとってあったんです。28歳の時、決まっていた映画がクランクインの1週間前になくなってしまった。撮影期間の2〜3か月が丸ごと何もなくなってしまった。その期間を何かに変えようと思った時に思いついたのが、脚本でした。何かなくしたことによって、生まれたエピソードです。
 脇田 谷村さんは先ほど、言葉だけじゃないと話されましたが、小説は結局、言葉で表現しますよね。
 谷村 文章力がないと描けない領域がやっぱりあるんです。例えば、劇的なことは書きやすいけれど、胸の内にある静かな情熱みたいなものは、どうしたら描けるのか。本当に難しい。私は今日、そういう本を1冊、持ってきたんです。
 脇田 お薦めの本ですね。
 谷村 『火山のふもとで』という本です。大学生のみなさんに読んでほしいと思ったのは、大学を出て、設計事務所に入ったばかりの「ぼく」が主人公だからです。この事務所は毎年夏に1か月、火山のふもとで共同生活をするんです。彼が入った夏は、大きなコンペティションに挑む年でした。静かな情熱を秘めた人たちがひと夏を過ごしていく場面の美しさが随所にあり、建築家たちの数奇な人生がつづられています。
 脇田 中江さんからもお薦めの1冊を。
 中江 トーマス・トウェイツさんという英国の大学院生が書いた『ゼロからトースターを作ってみた』という本です。芸術大学の大学院修了実習で選んだテーマが、ゼロからトースターを作ることだったんです。鉄や銅、ニッケル、断熱材。秋葉原あたりで材料を買ってきて組み立てるのではなく、鉄だったら鉱山に行って掘り出してくる。
 市販のトースターは約4ポンド。ゼロからつくったトースターは約1187ポンド(約15万円)かかったそうです。トースターは壊れると、修理するより新しいのを買ったほうが安い。そうすると壊れたトースターはごみになる。壮大な、ばかばかしいような実験を通じて、私たちの社会って何なんだろうと考えさせられる。ぜひ若い方に読んでほしいノンフィクションです。
 脇田 これからの時代は電子書籍も含めて、いろんな本の可能性があるのかもしれません。谷村さんは携帯小説にもトライしていますよね。
 谷村 でも、やっぱり、紙が好きです。活字が好きというのは、紙が好きというところに行き着くような気がします。肌触りとかスピード、字を追う楽しみとか装丁や重さ、厚み。そういうものを含めて、本の雰囲気を感じていたいです。
 脇田 今日のタイトルは「ステキをつくる本の魔法」。みなさんに魔法の一言を。
 谷村 (タレントの)ピーコさんと仲良しなんですが、ピーコさんがよく「鏡ばかり見ている暇があったら、デートの前の晩に1冊、本を読んだだけで、もっといい表情になるのに」と言っていました。本への応援の言葉だと思うんです。好きな本について話す人は、きっといい顔をしているんじゃないかな。
 中江 やっぱり、面白いから読んでほしいなという気持ちがあるんです。この気持ちを分かち合いたいと思います。読書って、個人の楽しみ、自分一人の楽しみという部分もあるんですが、いい本があれば、ほかの人にも薦められ、そこで会話が生まれたら、もっと楽しいなと思います。

 
 ◇なかえ・ゆり 1973年、大阪生まれ。多数の映画、ドラマに出演。2002年、『納豆ウドン』で第23回BKラジオドラマ脚本懸賞最高賞受賞。著書に小説『結婚写真』。NHK―BS「週刊ブックレビュー」で長年、司会を務めた。

 

知識、知性、感性育てる本を森棟公夫学長 椙山.jpg

 ◇森棟公夫・椙山女学園大学学長

 若者の活字離れは社会現象になっています。私は教えていた現代マネジメント学部の1年生を必ず図書館に案内し、本を借りなさいと指導しています。1週間、本を借りて、その本の感想を聞かせて下さいと言うと、薄い本を借りている。『どうしてその本を選んだのか』と聞くと、『重いのより軽い方がいいから』という理由なんです。重さよりも、知識、知性、感性を育てる本を選んで読んでほしい。そういう意味で、この公開講座は非常に重要な機会です。
 

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