新読書スタイル 松岡正剛さん×鵜飼哲夫 対談 「新書から始まる旅」

    新書が誕生して80年。様々な事象を取り上げる新書は、手軽に知的好奇心を満たしてくれる存在として親しまれてきた。並はずれた読書家で知られる編集工学研究所長の松岡正剛さんと、本紙で読書面のデスクを長年務めた鵜飼哲夫編集委員が「新書とは何か」をテーマに、岩波、中公の名著を振り返りながら、奥深い新書の魅力を語り合った。
 【大衆書の一歩先】
 鵜飼 松岡さんの書評サイト「千夜千冊」の第一夜は、岩波新書から出ていた物理学者中谷宇吉郎の「雪」(後に岩波文庫)でした。「雪の結晶は、天から送られた手紙である」。専門的なのに、新書らしい柔らかな文章が印象的な作品ですね。
 松岡 最初に新書と出会ったのは高校時代です。近代が分からず、日本近代史が専門の遠山茂樹らが書いた「昭和史」(岩波新書)を手に取りました。新書には小説がないし、単行本や文庫本でもない。テーマを絞っていて新鮮な感じがしました。
 鵜飼 私も高校時代から読み始め、経済学者、宇沢弘文の「自動車の社会的費用」(同)や人類学者、鶴見良行の「バナナと日本人」(同)などに打ちのめされた。英語のカルチャーには、文化のほかに教養、耕作などの意味がある。まさに自分のかたい頭が耕され、これぞ教養新書でした。

親書の魅力を語り合う松岡正剛さん(右)と鵜飼哲夫編集局編集委員(10月3日、東京都世田谷区の編集工学研究所で)∥秋山哲也撮影

 松岡 スーパーに並ぶバナナから日本と東南アジアとの関係を説いた「バナナと日本人」は画期的でした。
 鵜飼 「君たちはどう生きるか」を書いた吉野源三郎は、岩波新書創刊時の赤版に関わり、「電車に乗ると、あの人も赤い本を持っている、あの人もと目につかないとだめだ」と言っています。新書とは、書斎ではなく、通勤、通学で読む本という位置づけでした。
 松岡 ハンディーで持ち運びしやすい。かつ新書は中見出しも多く編集力がしっかりしている。専門書でもなく、かといって大衆向けの本とも限らない。
 鵜飼 同じくハンディーでも、名作文庫と違って新書は、書き下ろしが大半です。そのため、タイトル、著者選びでは編集力で差が出ますね。
 松岡 もう一つの特色は、一般書だと埋もれてしまうものを新書というユニホームの中に入れることで、忘れられた領域と問題意識をうまく目立たせることが出来ることです。同じ装いの中に意外な視野が入ってくるかもしれないことを編集者も版元もねらっています。読者もニッチを探すのが面白い。

 

 【著者の本音】
 松岡 初期のカッパ・ブックスの本には目からうろこが落ちる思いでした。仏文学者・渡辺一夫が書いた「へそ曲がりフランス文学」、後で「曲説フランス文学」(岩波現代文庫)になっていますが。次が小説家・中村真一郎の「小説入門」(後に光文社文庫)、仏文学者・澁澤龍彦の「快楽主義の哲学」(後に文春文庫)。
 鵜飼 加藤周一の「読書術」(後に岩波現代文庫)を学生時代に読み、西洋の本を読むならキリスト教の根底的理解がないと西洋の民主主義など本当に理解できないとあり、谷底に落とされた感じでした。
 松岡 著者も新書となると、少しリラックスして本音が出る。よろいかぶとに身を固めた単行本にはない面白さです。東洋史学者・岡田英弘の「倭国」(中公新書)には、二、三度、はっと気づかされることがありました。歴史学者・上田正昭の「帰化人」(同)もすごかった。
 鵜飼 思い切って新しい書き手を発掘しているのも新書の特色ですね。最近だと「多数決を疑う」(岩波新書)の坂井豊貴。今や古典になりつつある「国際政治」(中公新書)は高坂正堯32歳の作品で、北岡伸一「清沢洌」(同)も著者30代の傑作です。あと新書でよくお世話になるのは理系の本。本川達雄「ゾウの時間ネズミの時間」(中公新書)や福岡伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)とか。
 松岡 理系の新書というと、講談社ブルーバックスが大きい。科学好きはもちろん、科学を知らない人にとっても手に取りやすいシリーズです。
 鵜飼 一口に科学といっても色々。化学から量子力学まで、「どこでもドア」みたいな感じですね。
 松岡 鍵がかかっていない「どこでもドア」ですね。普通、知や教養というと、自分が鍵を持っていないので困ると思いがちだけど、新書は、大丈夫、どうぞお入りくださいと言ってます。
 鵜飼 新書は、全部どこも同じ装丁で、テーマの硬軟、著者の老若を問わず、えらそうなところがないから、うれしい。
 ■見出しがヒント
 松岡 やはり新書は中見出し、小見出しが頑張っている。章と節でできていますが、それ以外にも細かく中見出しが付いています。編集者の頑張りをもう少し評価してあげたい。
 鵜飼 見出しを見て一度新書を閉じて、自分なりに中身を推測する。これは考える力につながると思います。今年のノーベル賞の本庶佑・京都大特別教授は「教科書に書いてあることを信じない」とし、疑う心の大切さを力説しています。考える読書は、その第一歩です。
 松岡 どんな本も著者と読者の間に編集力が躍っているので、新聞や雑誌だって編集がなければいいものにはならない。どこで編集が行われているのかに着目した方が、リテラシーが上がるのは当然です。新聞も見出しの大きさで価値が分かるように、本も目次の構成や見出しで価値が分かる。
 鵜飼 見出しだけを読み、本を閉じるのもあり、ですかね。哲学者ショーペンハウアーは「読書について」で、良書を読むための条件として「悪書を読まぬこと」と書いていますし……。
 松岡 あえて言いますが、やはりろくでもない本も多いんですよ。プロ野球の相当の打者でも打率3割2~3分です。本もプロが書いているとはいえ、7割ぐらいはイマイチ。まして一人一人の読者にとってぴったり来るような球が飛んでくるとは限らない。そのときにつまらないと思うのも一つ、放っておくのも一つ。もう一つはリスペクトすること。リスペクトすることは放棄ではなく、次の知的なパターンになるところが読書の面白さ。自分がどのような読み方が出来るのかをエクササイズするには、新書は非常に有効だと思います。
 【好きなテーマから】 
 鵜飼 多くの出版社から新書が出ています。どう選ぶのか、読者へのアドバイスをお願いします。
 松岡 出版社がまとめている目録から自分が好きなものに関する新書がどのくらいあるかを探し、丸を付ける。その中のいくつかを書店や図書館で手に取ってみる。基本的に読書は「既知と未知の往復」です。既知がないと未知は分からない。専門書だと離れすぎてしまうけど、新書は既知と未知の間をちょうどいい具合に漂っています。ざっと読んで、これと思う事柄を見つけたら、それに関する新書を探す。ここで焦点を絞り込むことが大切です。誰にでも既知はあるんです。岩手県で育てば岩手に詳しいとか、スシが好きでスシには詳しいとか。むしろ自分の既知のランドスケープが見えていないんです。
 鵜飼 知るほどに未知が広がり、また読みたくなるのが新書。何か要望は?
 松岡 哲学者の中村雄二郎が出した「術語集」(岩波新書)は現代思想に関するキーワードが載っています。一種の「知のカタログ」になっている。知が知を読み解くカタログのようなものがもう少し増えていいかな。それから、サブカルチャーとかポップカルチャーをもっと取り上げてほしい。「萌(も)え」を岩波、中公新書が知的な感じの中に取り込んでほしいです。
 鵜飼 まじめに知的、ではなく、ポップな知的。いいですね。(文中敬称略)
 
 ◇まつおか・せいごう 1944年、京都府生まれ。71年に「工作舎」を設立し、雑誌「遊」を創刊。87年に編集工学研究所を創設。2000年には、書評サイト「千夜千冊」をスタート。編集工学をカリキュラム化した「イシス編集学校」も開校した。著書は「擬」(春秋社)、「読む力」(共著、中公新書ラクレ)など多数。18年5月、文庫シリーズ「千夜千冊エディション」(角川ソフィア文庫)の刊行を開始。
 
 ◇うかい・てつお 1959年、名古屋市生まれ。83年に読売新聞社入社。91年から文化部へ。主に文芸を担当し、書評面デスクを経て、2013年から編集委員。著書に「芥川賞の謎を解く」(文春新書)、「三つの空白 太宰治の誕生」(白水社)。
 
 ◆編集長おすすめ◆ 
 岩波新書と中公新書の編集長に、お互いの新書からお薦めの3冊を選んでもらった。
 永沼浩一・岩波新書編集長 
 ◇「満州事変」臼井勝美
 私の「新書」原体験は中公新書です。高校では日本史を昭和から逆に教わり、興味がわいて中公新書の昭和史ものは全部読みました。
 ◇「取材学」加藤秀俊
 中公新書には実学の系譜があると思います。「発想法」「理科系の作文技術」「『超』整理法」……次なるベストセラーはこの系譜からでしょうか。
 ◇「物語シンガポールの歴史」岩崎育夫
 歴史ものは中公新書の十八番。「物語シリーズ」はそのノウハウの結晶ではないでしょうか。読めば行きたくなる。行けば理解が深まる。
 田中正敏・中公新書編集長 
 ◇「現代社会の理論」見田宗介
 大学に入学して間もなく手に取り、情報化社会の見方に刺激を受けました。スケールの大きな議論は、たびたび再読したくなります。
 ◇「知的生産の技術」梅棹忠夫
 やわらかな文体で開陳される「秘伝」。刊行から約半世紀が過ぎて、知的生産をとりまく環境が激変しても古びないことに驚きます。
 ◇「多数決を疑う」坂井豊貴
 社会的選択理論という馴染(なじ)みの薄い分野を、豊富なエピソードと平易な解説で興味深く紹介。「新しい岩波新書」を感じた1冊です。

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