2005年11月03日
感動した言葉、書き写して〜出久根達郎さんが本の楽しみ方を学生に伝える
関西大学 読書教養講座 一般公開授業
基調講演「古本屋の本の読み方」/出久根達郎さん
私には、小説家と古本屋の親父(おやじ)という二つの顔がある。今日は古本屋の親父としてお話ししたい。
東京・神田では、毎年秋に古本まつりが行われる。今年はこれまでに1冊しかないと言われていた、藤村操の『煩悶記』の2冊目が出品された。日光・華厳の滝から明治36年(1903年)に投身自殺した一高生の著書といわれ、発禁処分を受けた。
天下一本を持っていたのは関西大学名誉教授の谷沢永一さん。25年前、古本屋の目録で購入したという。
自著『遊星群』に全文収録されている『煩悶記』を読むと、「社会問題は飢餓問題」など、社会主義に通じる表現が出てくる。本人をかたった偽書であるが、発禁となったのは、後追い自殺が相次いでいたためではなく、主張が過激だったからではないか。
この本に147万円の売値がつけられた。古本屋にはお宝が眠っている。もしかしたら、古本屋の百円均一の棚にあるかもしれない。ただ、知識がなければもうからない。
少年時代、貧乏で本を買えなかったため、移動図書館に父親が連れて行ってくれた。1人3冊の本を架空名義を使ってまで借り、漱石全集や江戸川乱歩全集を読んだ。
中学生の時には、新刊屋で立ち読みする楽しみを覚えた。邪魔だと文句を言う客に、女性のご主人は「あの子たちは、将来のお客さんなの」と言ってとがめなかった。本屋というのはいいなあ。貧乏人だろうとお金持ちだろうと、大人だろうと子供だろうと人を区別しない。就職先は決まったと思った。
学校に来た求人で東京・月島の本屋に就職が決まり、14歳で上京した。そこで初めて自分の勤め先が新刊書店ではないと知った。かびくさい15坪の店に上から下まで本が積んである。「出世できるような店じゃないな」とがっくりした。
今になってみると、私の幸運は、古本屋だったことだ。ヒマだから、たくさん本を読める。新刊書店では忙しすぎて本を読む時間などない。
午前8時から午後10時まで店があり、初任給は月給3000円。大卒が1万1000円の時代だから、かなり給料は良かった。主人は自分の蔵書をもとに一代で財を築いた人物で、よく酒を飲みながら、昔話や仕事の話をしてくれた。
古本屋の修業として、古典の内容をつかめと言われた。どうするか。解説を読めばいいと気づいた。
また、索引を見れば、好きな項目から読むことが出来る。例えば、源氏物語にしても、猫が好きな人は猫が出てくる女三宮の場面から読めばいい。関心あるものはだれでも読む。勉強はこうやればいいんだと、自分で方法を見つけた。
辞書を引くときには、引いた語に赤い印をつける。勉強すればするほど、増えていくのが楽しい。勉強というのは目に見えないものだから、赤い線をひくことで証拠に残すといい。
本を読んだ時、自分が感動した言葉を書き写すことを勧めている。自分で書いたものは後々必ず読み直すもの。本を読んで楽しみ、書き写して2度楽しみ、後で読み返すと3度楽しめる。自分の精神を培った過程を見ることができ、貴重な財産となる。
主人には、「君は商人には向かないかも」と言われた。金もうけをしようという気がないからだと言われた。独立開店したが、確かに客が来ない。発想を変え、高い本だけじゃなく、安い本も目録販売したらどうかと考えた。これが当たった。
また、巻末に書いた文章を面白いと、編集者が本にしてくれた。これがきっかけとなって、後に直木賞をいただくこととなった。
本が好きで好きで、古書店主になった私が作家になれて、こんなうれしいことはない。授賞式には、主人が来てくれて、手を取って泣いていた。行く先を心配していただけに、うれしかったんだろうと思う。
対談
夏は風呂場で書く/出久根さん 腹這いの執筆姿印象的/山野さん(法学部教授)
【山野博史教授】 出久根さんが経営する芳雅堂は、目録「書宴」による通信販売です。本の形態や内容の解説に特色がある。
【出久根達郎さん】 以前、「チャルメラ」と題した詩集が、楽器の吹き方を説明した本と誤解されたことがあった。お客様は目録販売では現物を見られない。だから、「こういう内容ですよ」と説明したかった。
【山野】 目録を1号作るのにかかる時間は?
【出久根】 約1か月で、売り上げは平均して40万円ほど。自分でワープロを打ち込んで作るため、必要経費は1万数千円ぐらい。部数は200部ほどで、50代以上の方が多い。
古本屋はリサイクル業だが、面白いもので、売った本が自分に返ってくる。お客様は買った本屋に売りますから。だから、よく言われたのは「いい本を売りなさい」ということだった。
【山野】 芳雅堂を開店される前日、お父上が訪ねていらした時のことを、エッセーに書いておられる。
【出久根】 夜、起きると父が店主の席に座り、何をするでもなく本を眺めていた。俳句などを雑誌に投稿し、その賞金で飯を食おうとした父親でしたから、息子が東京に店を持つということはおそらく、大変うれしいことだったのでしょう。
【山野】 雑誌「中央公論」に以前連載されていた「私の書斎」と題する巻頭のカラーグラビアに、腹這(ば)いになって執筆する印象深い写真が掲載された。どこででも原稿を書くらしいが?
【出久根】 そうですね。夏になると、風呂場で書いていた。暑くなればその場でシャワーを浴びればいい。猫というのは涼しいところを知っているが、猫がよくいる階段の途中でも書いた。
【山野】 新聞に入っているチラシ広告の裏に原稿を書いていたとか。
【出久根】 もったいないというか、昔人間としては、紙は貴重なものという意識がある。チラシ広告を押し入れいっぱいとっていたこともある。細かい字でびっしり書くと、原稿用紙4枚ぐらいの字数になるから、なかなか消化できない。最近は裏が白いチラシ広告が少ないこともあり、市販の原稿用紙を使っている。
【山野】 司馬遼太郎著「竜馬がゆく」の登場人物は1146人と数えたそうだが。
【出久根】 司馬さんが偉大なのは、どんな無名の人間も、何をしたとか、こういう人だとか、一人ひとりきちんと描いていること。どんな人間でも、歴史の中にいるんだという思想があった。そこに感動して、登場人物を数えた。
【山野】 ここに、初期の作品集『無明の蝶』がある。私が昔、古本屋で買ったもので、出久根さんの識語、署名、落款入り。さて、いくらで買ってもらえるか。
【出久根】 本当は、高くつけたい。しかし、一方でお金を出したくない。これが人間の弱いところですね。以前、実際に私だと知って著書を持っていらしたお客さんがいた。その心を考えると、やっぱりそれを、安く買っちゃいかんと思いますね。
(2005/11/03)

1944年生まれ。92年「本のお口よごしですが」で講談社エッセイ賞。93年「佃島ふたり書房」で直木賞。2004年「昔をたずねて今を知る 読売新聞で読む明治」で大衆文学研究賞特別賞。古書店「芳雅堂」店主。