東海大学で井上ひさしさんが熱く語る

基調講演「情報から知識集め知恵を」/井上ひさしさん

「言葉の力」

20051210_01.jpg まず、我々人間はどのように言葉を獲得していくかということをお話しする。
人間の脳だけ、誕生してから大人になるまでに3倍から4倍に成長する。その理由を、学者は競って研究してきた。

昭和30年代にNHKが10人の赤ちゃんの言葉を5年間追跡して「言葉の誕生」という番組を作った。

それによると、幼児が一番見ているのはお母さんの顔、特に舌の動きだ。そして、母親の発音を聞いて母音を覚えていく。10か月目ぐらいからアーアーウーウー言い出し、言葉を習得していく。

3歳くらいには3000から5000くらいに増え、区切るということを覚える。おんもとおうち、自分とお母さんというように。これが1回目の言葉の爆発期だ。

20051210_02.jpg 2回目は、接続詞を覚え頭の中に文法書が完成して考えることができるようになる小学校に入る前後。

中学校の1、2年生のころにもう一度、脳が成長して、10万、20万にも語彙(ごい)が膨大になる。そして、銀河系があり、地球があり、日本があるというように、いろいろな言葉を瞬間に並べ替え、体系付ける。

脳の成長と同時に人間は言葉の力を身につけていくのだ。言葉が人を育てる。ほかのものでは育たない。言葉の力は世界観をどう持つかということだ。辞書や、それぞれの脳の中の文法書によって世界像をどう描き、自分はそれにどう立ち向かうか、どう乗り越えるかということを言葉で判断していくのだ。

実は一方で、言葉を徹底的に悪く活用する人たちがいっぱいいる。古今和歌集の序に、五・七・五・七・七というたったこれだけの言葉で、天を動かし地を揺るがすくらいの力がある、と書いてある。

20051210_03.jpg 昔から言葉の力に気がついていた人たちがいて、現在までそれが連綿と続いている。一番有名な例はヒトラーだ。「生存」と「圏」というどこにでもある言葉を2つくっつけて「生存圏」という言葉を作った瞬間に、ドイツ国民が生きて行くにはこの範囲が必要だという意味をくっつけてしまうのだ。ドイツ国民は、この生存圏を確保しないと生きていけないと思いこみ、戦争に賛成していった。

このごろ、テレビの日本語バラエティーで「知っている」「知らない」を競う番組が多いが、情報だけ知っていても何にもならない。情報から知識を作り、知識を集めてそこから知恵を作っていかなければならない。

皆さんも誰か偉い人がぽんと取り出す言葉は、いったんまゆつばだと考え、その中身は何かと検討してから動いてください。

てい談

混沌を整理する言葉と物語

20051210_04.jpg【湯川】 井上さんの基調講演をベースに、話を少し飛躍して進めたい。お話の通り言葉には悪用される面がある。悪用するとなると、される側もあるわけだ。個人の中に言葉を見極める抵抗力を、どのように養っていけばいいのだろうか。

【井上】 日本語にはあいまいなところがある。例えば「ある政治家がこう言った」と書かれた場合、それを強調したのか、意図的にひょっと漏らしたのか、確認したのかがはっきりしない。その違いを、文筆家が細かく書き分けていくことが日本語を強くする。

【辻原】 実は言葉があいまいなのではなく、僕たちの頭の中があいまいなのだ。日本語は、多様な日本の風土と歴史に影響を受けている。稲とか米については、きちんとした言葉が細かく分かれている。

井上さんは丸谷才一さんとの対談で、外国の言葉を翻訳することで、日本語は新しい言語能力を獲得したのだ、ということをおっしゃられた。日本語と、できたら何か一つ外国語で物語を読むことが、一番大きな力になると思う。それとも古典を。それは、いま使っている言葉をつかみ直すことだ。

20051210_05.jpg【井上】 物語ということは非常に重要だ。私たちの周りはいつも混沌(こんとん)としているが、それを言葉や物語によってある整理をするわけだ。世の中はこうなっていますよと。

僕は辻原さんの小説が好きだ。物語を大切にしているからだ。文章がよくて話が面白ければ、読者はもう完全に作者の立場に立って、ああこういう世界もあったんだと立体的に世の中を把握できる。そこが小説の面白さだ。読めば読むほど、たくさんの世界に立つことができる。

【湯川】 現代の日本語の文章は、非常に意識的に作られている。まず明治政府が標準語を作り、それに対応して森鴎外や夏目漱石たち文学者が、近代日本の文章を作った。それは常に物語とともにあったといえる。

我々が日常的に使う言葉の中には、物語が逸すべからざるものとして備わっている。そういう能力が個人個人にあるから、小説を読んで面白いのではないだろうか。

【辻原】 赤ん坊が言葉を獲得する過程とは、同時に物語を作る能力を持つ過程だ。井上さんが基調講演で触れた「区切る」ということ自体が、世界を物語としてとらえようとすることだ。

20051210_06.jpg【井上】 その通りだ。世界を言葉と物語で細かく切って組み立て直しているのだろう。

【辻原】 井上さんは作家でもあり劇作家でもある。小説の世界で物語を組み立てることと、劇作との違い。劇場空間にはウィットがある、とおっしゃっておられる。そのウィットとは?

【井上】 絶対にそんなばかなことはないよというばかばかしいことが、舞台では完全に成立する。生身の人間が演じている限りうそではないというリアリティーが保証される。劇場の持っている不思議なメカニズムだ。

いい芝居をすると、終わっても客席がなかなか動かない。再現できない宇宙で1回しかない奇跡が起こったことに気づくのだ。客同士の目と目が合って、もう会えないかもしれないけど、お互い元気でやりましょうねと、別れがたく別れていく。

小説はあくまで、自分一人で作っていく。演出家にもなって俳優にもならなければならない。そういう意味では、芝居よりも力が必要かもしれない。

【湯川】 辻原さんは、現代の小説におけるストーリーの重要性をどう考えているのか。

【辻原】 最近はあまり、近代文学の成立過程といった文学史的なことを考えなくなった。何千年という時間と距離と空間を全部飛び越えてしまう力が物語にはある。文学の知識も必要だが、本当の物語には関係ない。

建築物には構造が必要だ。例えば神に至る構造がないと、教会として成立しない。物語で重要なのは、その柱であり構造である。これがストーリーだと考えている。

【湯川】 活字離れが進むなかで、今後、本の運命はどうなるのだろうか。

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【井上】 面白い小説やいい文章で書かれた作品は絶対に残る。私は全く悲観していない。犬、山、川とか、食うとか走るとか、生活に必要な基本的な語彙は、平安時代の前からずっと使っている。人間にとって大事なのは、時代のはやりで押し流されないことだ。ちゃんと生き残っていくことを信じて字を書いている。

【辻原】 物語がどういう形で表現され、どう読まれるかという変化はあると思う。ただ本は残る。日本語には欠点もあるけれども、外国の文化を翻訳することで力を増している。1000年前に書かれた源氏物語を、3か月ぐらいトレーニングすれば誰でも読むことができる。こういう言語は世界で日本語しかない。もっと誇りをもっていい。

【湯川】 僕は楽観できない。物語はほろびないとしても、活字文化を支えてきた基盤が大きく変化している。そこをもっと意識しなければ。

【井上】 サッカーのサポーターのように、読者が作家を応援してほしい。いいものはちゃんと読む、つまらないものは捨てるという、互いに支え合う責任が読者にはある。日本語と日本文学と活字のサポーターになってほしい。

ーーてい談の後、聴講者から、井上ひさしさんに対する質問がありました。

20051210_08.jpg【質問】 芝居を書くときのスタンスを教えて下さい。

【井上】 小説は読むのを途中でやめることができるが、芝居は最後まで見続けなければならない。だから芝居は面白いことが、第一の条件だ。

3時間の舞台では、1200くらいあるセリフのすべてがつながっている。ぼくは、一番最後のセリフが浮かばないと、最初のセリフを書き出すことができない。最終表現者は俳優なので、作者はできるだけ冷めて計算ずくである必要があるなど、窮屈な制約がある。

しかし、役者も切符を売る人も掃除をする人も、みんなの仕事が一つにまとまって初日を迎える。その時に生まれる素晴らしい感動が芝居の魅力ですね。

(2005/12/10)

井上ひさし(いのうえ・ひさし)
山形県生まれ。「手鎖心中」で直木賞、「吉里吉里人」で読売文学賞。「東京セブンローズ」で菊池寛賞などを受賞。近著に「イソップ株式会社」。日本ペンクラブ会長。
辻原登(つじはら・のぼる)
和歌山県生まれ。「村の名前」で芥川賞、「翔べ麒麟」で読売文学賞、「遊動亭円木」で谷崎潤一郎賞受賞。2001年から東海大学教授。近著に「枯葉の中の青い炎」(川端康成文学賞)など。
湯川豊(ゆかわ・ゆたか)
新潟県生まれ。文藝春秋社に入社後、「文學界」編集長、編集総局長、常務取締役などを歴任。2003年から東海大教授。著書に「夜明けの森、夕暮れの谷」など。
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