北九州市立大学で活字文化公開講座、藤原智美さんが講演

基調講演「取材する文学」/藤原智美さん

活字を読む人たちのために書き続ける

20041022_01.jpg 芥川賞を取った『運転士』は1991年ごろ、書きたいと思った。バブルの時代で、世は浮かれていて、小説の主人公もカメラマンとかデザイナー、名前もカタカナ、ニックネームみたいなものが多かった。

僕はそれが嫌だった。職場に根ざした小説を書きたいなと思い、地下鉄の運転士を取材させてもらった。変なこと言わないように区長が横で聞いてるし、広報の人から、いっぱい赤線を引いた絵本のゲラ見せられたが、それは無視して、運転士が仕事しながら雑念、妄想だらけの小説を書いた。受賞したときは、立派な祝電が地下鉄から来て、映画化の話もあったが、いつの間にか企画が流れた。地下鉄のトップが小説を読んで「どうも困る」とロケを断ったらしい。取材するということは常に社会とつながっていて、必ずリアクションがあるんですね。

次の小説は、超高層ビルにネズミが繁殖するという話で、ネズミ捕り業者を取材した。地下の飲食店街にいっぱい、ネズミ捕りを仕掛けてあった。粘着剤にくっついて動けなくなる。朝の6時半ぐらいに行って、みんなが来る前にとらないといけない。

脳血栓になった人の血管を広げるようなものを大量にネズミに与えると、血管が切れて死ぬと言われていたんですが、それが効かなくて、食べてどんどん太って大きくなったネズミが出てきちゃったというんです。これはすごい話だと思い、小説の中で「スーパーラットの出現」と書きました。

かつて小説が描いた世界とか、そこから出てくる言葉というものが、時代を如実に反映している時代があったんですね。例えば石原慎太郎の『太陽の季節』で「太陽族」という言葉が出てきて、その時代の若い人たちの文化みたいなものがきちっと説明された。今はなかなかそれがない。

僕はノンフィクションも書きますが、フィクションの取材とは全く違う。例えば、運転士を小説化するとき、「その連絡というのは何時ごろやるんですか」とか、「仮眠は何時間ですか」「どんなベッドですか」。そんなことを1時間も聞くので、向こうはあきれるわけです。もっと深遠なことを聞かれるかと思っていたようです。

でも、「あなたは何で運転士になったんですか」なんて僕は聞かない。それを書くのが小説なんですよ。ただ、リアリティーをつくる道具立てとして、取材が必要になってくる。

ノンフィクションは逆です。「あなたはなぜ運転士になったんですか」「子供のときには、やっぱり機関車で遊びましたか」と聞くことで運転士というものをドキュメンタリーにできるわけです。

フィクションの取材にも2つあり、1つはテーマを追った取材。もう1つは、何となく取材することです。

4年ぐらい前、イエメンに1か月半いました。アデンという港町で、ポール・ニザンとか、アルチュール・ランボーがかかわった町で、すごく広いところで暑いし、ほこりがすごい。湿気もあり、1時間歩くと倒れる。いろいろ取材したが、帰ってきて書き上げた作品には、ほとんど生かされていない。だけど、行かなかったら書けなかった。そういう取材の旅もあるんです。

私たちの人生というのは日常体験の集積で、そういう日常体験がなぜ小説にインスピレーションされていくのか、あるいは自分史とかになっていくのかというと、それは書こうという意欲、意識が強いかどうかなんですね。

雨が降って車のしぶきが飛んだ、その一瞬を何となく見ているのと、何かを感じるというのは、その人間の自分や社会に対する執着心と表現する意識がどれぐらい強いかによって変わってくる。それが強いと、どんなつまらないことでも材料になる。

情報時代、インターネット時代について、ある有名な作家は「文学は情報だ」と言ったが、文学は果たして情報なのか。情報には2つの特徴があります。1つは、鮮度、新しさ。古い情報は、どんどん鮮度が失われ、価値のないものになる。もう1つは、希少価値。情報社会といっても、価値のある情報は意外と高いものです。

問題は、文学、本の鮮度です。今、書店もしなびたキュウリなんか売れないわけで、どんどん八百屋化し、鮮度のないものから排除していく。すべての本に鮮度が求められ、文庫の名作みたいなのはほとんど売れない。

ところが、小説と鮮度は対立するんです。長編を300枚、400枚書こうとすると、資料を集めたり考えたり、メモやノートをとったりして、1年かかる。執筆に2か月、単行本にするには1年2か月くらいかかる。もうしなびてるわけで、鮮度では勝負できない。

これに対抗する何かがあるか。1番思い出すのは、夏に取材した運転士3人の汗臭いにおいですね。運転席は暑くて、汗をかく。これが情報社会が最も苦手なものです。それから、意味のないノイズ、肌触り。空気もある。ある製鉄会社を取材した時、見学者が高さ30メートルくらいの壁際の通路を通る。そこに溶鉱炉から出てきた熱い鉄の塊が板チョコレートみたいな形をして流れていく。オレンジ色でグワッと光ってて、透明に見えるが、熱いんですよ、空気が。大きなストーブが流れていってる感じ。

そういうものを表現するのが非常に難しい社会になってきている。すべてが記号化、言葉化され、その言葉化もセンテンスが短くなって、微妙な、あいまいなものを拒絶する。これからはメール文学、携帯で小説を読む社会になります。小説が情報化すると、消費財になっていくわけで、僕はこれじゃいけないと思ってるが、それを食い止める力はない。ただ、活字を読むという人たちが必ずいるので、書き続けたいと思っています。長い文を書くというのは時代と対抗することです。意欲がある方は、戦う気持ちでぜひ書いていただきたいと思います。

対談

どこかに出る生活体験/藤原さん 小説の基盤やはり「人」/赤塚さん

20041022_02.jpg【赤塚】 最初の『王を撃て』は、豚を育てて交配させる施設が舞台で、題材がむちゃくちゃ変わっている。

【藤原】 無菌の豚をどんどんつくっていく工場が実はありまして。人間も殺菌して入らないと いけない。菌がついたままだとすぐ豚は死んじゃうわけです。これはおもしろいと思い、話を聞きに行った。すぐに結びついたのは、コンピューターゲームで、ゲームのように飼育をやらされて、最後には復讐(ふくしゅう)されるというイメージでした。

【赤塚】 我々も自由に生きているみたいだけど、実はかごの中のニワトリや飼育されている豚のように生きているんじゃないか。

——そういう意味を持たせたのですか。

【藤原】 15年くらい前、マニュアル人間という言葉が出回った。自分でゼロからつくっていくことができない若者のイメージとダブっていると言えますね。

【赤塚】 『家族を「する」家』などはもろに生活現場の話ですね。生活のにおいのしない小説とのつなぎ目はどうなっているんですか。

【藤原】 よく言われるんです。家族と住宅とか、子供の教育を言う自分と、生活感がない、孤独な主人公が出てくる小説とのギャップが大きいと。何でそうなっちゃったのか、わからない。自分を分析的に眺めるということがなかなかできなくて、どこかでつながっているんだろうけど。

【赤塚】 突っ込みにくい答えだ。(笑)

【藤原】 単純に言うと、ノンフィクションとフィクションの違いがあって、構え方、取材の仕方の違いからこうなってしまうということだったんですね。ただ、ここだけの話を1つ言いますと、『家族』の中に出てくる精神科医のKさんは架空なんです。架空の人物を想定して、私という人間と対話しているわけです。会話の方が読みやすいのと、メディア的な権威のある精神科医に僕が思っていることを言わせて、僕がそれに反論する方が、読者は受け入れやすいだろうということです。ここだけの話です。(笑)

【赤塚】 『運転士』ではマネキン人形、『R』ではダミーという人形が出てくる。男の主人公がダミーと一緒に暮らしていくという書き方はやはり、家族なんかに通じる。家族というものを見ていくその裏側のような形で、人形との共生が出てくるのですか。

【藤原】 ちょっと違うところからその話に到達したいと思うんです。

作家には2つの方法があって、自己をいかに恥ずかしげもなくさらけ出すかという勇気みたいなもので書いてる人もいますよね。もう2つは全然違って、作っていくという方法。僕はその中間でとどまっているなと思った。それは『運転士』を読んだ人たちが、ものすごく気持ち悪いって言うんです。なぜかというと、トンネルとか廊下とか、狭いところの表現がものすごく多いんですよ。

何でだろうと考えたら、小さいころ住んでいた家が隙間(すきま)を通らないと表に出られないという変な家だった。父親がその隙間を通って自転車で職場に行く。それを僕は母親と見送った経験があるんです。幸せな家族像がそこにあって、狭いところに幸福体験があるから、書きたいんだろうなと思います。どんな作品もどこかに作家の生活体験が生かされているというのは間違いない。ゼロからは書けないと思います。

【赤塚】 やっぱりトータルな、その人というものを基盤にして詩や小説というものはできるんですね。読者としては大変おもしろい話です。『群体 クラスター』で、超高層ビル、近代的なビルを森だというのは、それこそネズミの視点じゃないと絶対出てこない発想ですね。近代的システムにも防御できないものがあるという、反近代的なものをイメージしながら書いたのですか。

【藤原】 ネズミの群れがインテリジェントビルの根幹である情報線を食っていくというアイデアが浮かんだことが1つ。ネズミがインテリジェントビルを森として縦横無尽に生活する、暮らしているというのはおもしろいなということです。はっきり言うと、インテリジェントビルに行って、そこで仕事をするのが豊かさなんだ、というのがあんまり好きじゃなかった。

【赤塚】 『R』は非常に恐ろしい話で、松本サリン事件のように、身に覚えのないことなのに警察含めて世の中が寄ってたかって犯人だ、となっていく恐ろしさに通じるものがありますね。

【藤原】 カフカの逆を書こうと思ったんですね。ある日突然変な状況に追い込まれ、それがエスカレートしていく。相手が見えない、その世界の向こう側にいる何かがわからない。しかし自分はどんどん追い詰められていく——ということに非常に魅力を感じていた。

【赤塚】 藤原さんの作品には、現代に生きる我々の身近な問題が書かれている。「人生は短い。時間はそんなにあるわけじゃない」という言い方をされているが、いかによりよく生きるかということが、例えば家族とか、家をつくるという問題だとか、そういう形としてあらわれているんだろうな、そういう風に思います。

(2004/10/22)

藤原智美(ふじわら・ともみ)
1955年、福岡市生まれ。明治大卒。90年に『王を撃て』でデビューし、92年に『運転士』で第107回芥川賞を受賞。小説創作のかたわら、ドキュメンタリー作品も手がけ、住まいと家族関係を考察した『「家をつくる」ということ』はベストセラーになった。続編に『家族を「する」家』。そのほか、『「子どもが生きる」ということ』『モナの瞳』などの著作がある。
赤塚正幸(あかさか・まさゆき)
1948年、八幡市(現北九州市八幡西区)生まれ。九州大大学院修了。日本近・現代文学専攻で、岐阜女子大、皇學館大を経て北九州市大へ。90年から現職。松本清張記念館運営委員。
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