第3回「こころと言葉」

「こころとことば」〜川上さんによるイントロダクション

「自分と言葉との一期一会」糸井さん 「何でも自由に想像できる」川上さん

一番密度濃いのが本

20051107_01.jpg なぜ私は本を読むのか。例えば音楽を聴くと、体が気持ちいい。それから、テレビや映画を見たりすると、気持ちが気持ちいい。気持ちいいだけではなく、気持ち悪いこともあって、それはそれでおもしろいのです。食べ物を食べるとやっぱり体が気持ちよくて、眠ると体がなくなる感じなのがおもしろくて、だれかを好きになると自分がなくなる感じなのがおもしろい。

本を読むときには、あんまり体は気持ちよくない。気持ちも気持ちよくならないかもしれない。むしろ気持ちが妙になったり、体も寒くなったり、その辺の物がゆがんで見えたりしてしまうことがあります。ジェットコースターに乗ったときや、ものすごく悲しい失恋をしたときや、嫌な人に会ってしまったとき、昨今の世界情勢に怒ったり、昔、友達に意地悪をされたり、失敗してものすごく恥ずかしかったり、そんなときのことを思い出させるような本も多いのです。

20051107_02.jpg けれど、本はおもしろい。まじっているからかなとちょっと思います。嫌なこと、きれいなこと、うれしいこと、悲しいこと、笑えること、痛ましいこと、役に立つこと、考えるヒントになるようなこと、いろいろなことが本の中には書かれています。映画だって、お芝居だって、ゲームだって、そういうものはいろいろ含まれていますけれど、多分、本が一番密度が濃いのです。

何回も繰り返して読むこともできます。電車の中でも、こたつの中でも、お手洗いでも、待ち合わせの相手が来ないちょっとした時間にも。途中でやめることも簡単だし、また読み始めることも簡単。どんなふうに読むのも自由自在。だれも文句を言わない。本は、ひっそりと1人だけで読めるものだから、読むのに道具の要らないものだから、どんな場所でも読むことのできるものだから、ことに自由な感じがします。マイペースな人に向くものと言ってもいいかもしれない。
いろいろな本があります。いろいろな読み方があります。これから糸井重里さんと私とで、いろんな本を、いろんな本の言葉を、どんな心で読んできたのか、これからどんな心で読んでいきたいのか、話してみたいと思います。

「こころとことば」トークショー

暗闇を歩く

20051107_03.jpg【川上】 吉本隆明さんと糸井さんとの対談集『悪人正機』を読んで、吉本さんの言葉はこんなによくわかるものだったんだとびっくりしました。私、若いころ『共同幻想論』を読んで、全然わからなかったから。

【糸井】 僕だってわかってるとは思えない(笑)。僕は本をたくさん買いますが、あんがい読まない人間なんです。よく「取材とか対談の前に、相手の本を全部読め」と言うでしょう。でも、全部読んでしまうと、出会いの偶然性を邪魔する気がするんですね。川上さんの作品も、本当にわかっているかどうか不安ですよ。

【川上】 私自身も、いったい自分はほんとうは何を書こうとしているんだろうと、半分ぼう然としながら書いているから。

20051107_04.jpg【糸井】 最近、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という、ワークショップ展覧会に行ったんです。真っ暗闇の会場に水を流したり、落ち葉を敷き詰めたり、バーカウンターを作ったり。参加すると白杖というつえを配られてね、全盲のリーダーの方が案内役をしてくれる。最初は怖いんですよ。でも、次第に様々な感覚が研ぎ澄まされてきて、わらに触ったり、水たまりを発見したりすることが、すごくうれしくなってくるんです。

【川上】 聴覚と触覚のみ、善光寺の胎内巡りみたいですね。

【糸井】 そこでは、リーダーの方の言葉を信じないと前へ進めないんですよ。暗闇の世界では、「言葉がうそでない」ことを前提にしないと生きていけないとわかりました。

【川上】 本にもそういうところがあるかもしれない。小説は言葉の並びしかないから、暗闇の中で触ったり声を聞いたりするような不自由さがある。でも、それが反対に自由さにつながるところもあって、言葉で何でも想像できるといううれしさがあるんです。

20051107_05.jpg【糸井】 それはきっと、言葉と自分との関係が一期一会になることなんですね。

【川上】 同じ言葉でも、昨日読んだものと今日読んだものは違う。相手の差し出す通り、判断停止で受け止めれば、ある意味では楽。「限りなく自由に読んでいいよ」と言われる方が怖い。でも、怖さがなければ面白さもない。

【糸井】 真っ白な紙の前ではたじろぎますよね。

【川上】 よく「だれに向けて書いていますか」という質問を受けますが、だれにも向けてない。自分にも向けてないような気がする。要するに、暗闇の中で書いているんですよ。カウンターに触れたらカウンターを書く。わらに触れたらわらを書く。最初から光があって全部見えていたら、つまらないと思いませんか。

【糸井】 川上さんのすごさはそういう「進み方への確信の無さ」というか。読む人の速度と書く人の速度が二人三脚なんですね。

【川上】 すごくはないんです。ちょっと、やぶれかぶれなんです。ただ、手ざわりのあるもの、実際にそこにあるものをどう感じるか。反対に、読む時は、そこに書かれているものが、どう手で触れられるかということが、私にとって大事なんです。すごく簡単に言うと「生きていることは面白い」、それが本の面白さにつながっているような感じがします。

【糸井】 だから、川上さんの書くものは一見わかりやすそうなのに、どんどん路地の奥の方へ連れていかれる。

恋愛とお金

【川上】 『安心社会から信頼社会へ』を最初に読み始めたんですけど、最後まで誠実に説明をつくそうという気持ちの良さを感じました。

20051107_06.jpg【糸井】 これは、「正直者はばかを見ない」ということを実験で発見した社会心理学の本です。生徒に一種の商売ゲームをさせるんですね。商売や取引ではよく「ずる賢い人が勝つ」と思われてますが、実験を繰り返していくと、最後に一番もうけたのは、実は正直に取引した人だった。お互いの信頼を基盤に社会を作っていくのがいいんだと、科学的に論証してみせた。

【川上】 人情論ではなく、「人にも分配する人は結局、得なんだよ」とクールに言っている本ですね。かゆいところに手が届くうれしさがある。それは田辺聖子さんにも感じます。恋愛小説がシビアで怖くてね、読み終わるとゾッとして、絶対恋愛なんかしたくないとか思うんですけど、今までの恋愛で嫌だったこと、理不尽だったことに全部説明を与えてもらえて、あの時自分がうまくいかなかった理由がしみじみわかる。

20051107_07.jpg【糸井】 そういうことを長く考えてきたんだな、という感動がありますよね。

【川上】 『私的生活』で、主人公の女性が男と別れる方法をある男性に聞くと「お金をもらって別れるんですね。払って別れてもらう場合もあります」。これもクール!

【糸井】 お金の仕組みじゃないと思い込んで恋愛をしているときに、そんなセリフは暴風雨が来たみたいなものですよね。そういうことを言える大人を若い時には「何だい」って思っていたんだけれど。

【川上】 そこに心の痛みがないわけじゃなく、全部抱えた上で、パッと。田辺さんの泣きって、読み終えてしばらくして、突然やってくるんですよ。
恋愛小説は嫌いです。

20051107_08.jpg【糸井】 僕は恋愛小説が嫌いなんですよ。つい「勝手にしやがれ」という気持ちになる。『ロミオとジュリエット』だって、恋愛さえなきゃ平和だったのにという話じゃないですか。

【川上】 私もふだんなら、『安心社会ーー』はまず読まないと思う。でも、読んでみると「あー」って、恋愛小説を読むような気持ちで読んでしまって、何か所か泣きましたよ。恋愛もお金も、手に負えないという点では一緒です。

老いと少年

20051107_09.jpg【糸井】 人間というのはアメーバのなれの果てで、今までの生物進化の歴史のどうしようもないものを全部背負っているから。

【川上】 筒井康隆さんの『敵』は、老いるという、これも手に負えないことを書いている。不思議な小説です。シュールだとか幻想的だとか空想的だとかいう意味ではなくて、何か変。

20051107_10.jpg【糸井】 僕も筒井さん大好きです。また、僕が中学1年生の時に最初に夢中になったのが、川上さんが挙げた北杜夫なんです。『どくとるマンボウ昆虫記』や『航海記』。『ツバメ号とアマゾン号』は少年文学ですね。

【川上】 いい児童文学は、大人が読んでも絶対面白いんです。4人兄弟がヨットに乗って一夏を無人島で暮らす話ですが、一番下の子は小学校に入ったばかりくらい。それをOKと送り出す両親もすごい。

女性は嵐

【糸井】 僕の場合、父親が本を買うのは全部ツケにしてくれて、『眠狂四郎無頼控』とか、そんなのばっかり読んでいたんですが、その中にアリバイのようにドストエフスキーを紛れ込ませて、高校2年の時に『白痴』を読んだら、面白かったんです。

20051107_11.jpg【川上】 私、高校生で『罪と罰』読んで、さっぱりでしたよ。「何でおばあさん殺して、こんないばっているのかこの人は」と思って。『白痴』の方が読みやすいかもしれないですね。主人公のムイシュキンがかわいいんですよ。

【糸井】 ナスターシャという女が男どもを振り回すんです。「女はか弱いから守ってやるべき対象だ」と教えられてきた高校生としては「えっ?」。でも、僕は男の子は早い時期に「魔性」の存在を知っておくべきだと思う。今の若い男は、都合よく、自分のサイズで女性を解釈している気がするんです。女性は嵐ですよ。

川上さんの書く女性だって、大雨は降らさないかもしれないけれど、強い風を吹かせる感じ。

20051107_12.jpg【川上】 しぶとい雨は降らすかもしれませんね。停滞前線みたいな。

【糸井】 恋愛のような理不尽なものからは逃げたいし、どこかで「まあ、いいか」の部分がないと生きていけないけど、ほんとは違うんだよなと思っていたい。

【川上】 この中で言うと、殿山泰司さんの『三文役者あなあきい伝』。あっちの女からこっちの女へ、逃げ続けているように書いているけれど、全然逃げてないで向き合っているのが、行間からだんだんわかってくる。

20051107_13.jpg【糸井】 この人を野放しにしていた時代が豊かだったですよね。紙をあぶって畳イワシのかわりに食べた稲垣足穂の伝説とかね。

【川上】 殿山泰司は、ほんとにすてきです。

20051107_14.jpg【糸井】 次は『ガープの世界』。アーヴィングの作品は、読みやすいのに奥深い。僕らはニュースで伝わってくるアメリカしか見ないし、ハリウッド映画を見れば「うまいけど、商売になれば何でもいいのかよ」とか思ってしまうんだけど、こんな小説を読むと、真剣に何かをじっと見て書いている人がいるという底力を感じますね。

【川上】 学生時代にこういう一代記を書こうと思って2枚ぐらいで挫折したことがあります。『楡家の人びと』も斎藤茂吉をモデルにした医者とその義理のお父さん、その子供と4代ぐらい出てくるんですが、とにかくみっしりと面白い。しかも、北さんがこれを書いたのは今の私より若い時。嫌になっちゃった。

【糸井】 笑わせる部分が必ずありますね、川上さんの選んだ本って。

「笑い」とても難しい

20051107_15.jpg【川上】 笑いってその作者がそのくらい余裕を持っているかに関係するから、ものすごく難しいと思うんです。『ガープ』と同じころ知ったのが、スティーヴン・キング。『小説作法』の中でキングは「僕は先を決めないで書く」と書いているんです。

【糸井】 暗闇でも転ばないような足さばきがキングの魅力。『タリスマン』は、それをあえてピーター・ストラウブとのリレー小説という形をとることで邪魔しているわけですね。

【川上】 どこがつなぎ目なのか全然わかりませんね。

非言語の世界

20051107_16.jpg【糸井】 『香水』は、キングの話と真逆で、つまり構想を綿密に立てて書いた小説のような気がします。目をつぶっても、においで世界が描けてしまう人のお話なんです。

【川上】 ともかく面白い物語です。

【糸井】 例えば無口でも踊りの上手な人は、言語化する前に、踊りで表現できる。この主人公は嗅覚(きゅうかく)だけで世界を組み立てようとしているから、こちらも読んでいるうちに、全然違う脳みそが動き出す。僕らは非常に頭でっかちな、言語を中心にした勉強をさせられ過ぎたということを、また、本によって知らされる。

20051107_17.jpg【川上】 糸井さんが、いろいろな分野の方と対談されているのはきっと、何かそういうものの一部を切り取って伝えたいからですね。

【糸井】 最近の中沢新一さんの仕事は、結構それなんですよ。中央大学での講義が、『カイエ・ソバージュ』という5冊本で出て、その次に『アースダイバー』という本が出て。

【川上】 今回、糸井さんが挙げて下さった本のいくつかは、これから私たち人類がどうして生きていったらいいかということを示唆してくれる。それも大上段に構えてじゃなくて、もうちょっと手を引っ張ってもらう感じで。

20051107_18.jpg【糸井】 僕は問題解決型の人間らしくて、これは恋愛小説嫌いに通じるんだけれど、ぐずぐずしないで解決しろよと言いたくなるんです。僕が作家になれなかったのは、文章を書くのがつらいからですよ。

【川上】 それは精神が健康なんですよ。文章を書くことって、いいことも嫌なことも全部含めて、意地悪な目で見たりとかしないと書けないので、そのつらさはあるかもしれない。

20051107_19.jpg【糸井】 で、わざと混ぜたのが『経営者の条件』。エグゼクティブということばを経営者と訳しちゃってるんですが、社長の読む本じゃなく、全体を考えて組織を動かす人は、何を考えるべきかという本なんです。『木のいのち木のこころ』は宮大工さんの話。奈良時代の建築って、設計図もない状態で造るんですね。あうんの呼吸、踊りですよ。現代の宮大工さんが天井裏とかを見ると、当時の人たちがどこで何を思ったか、全部わかるらしいです。

【川上】 格好いいな。すかっとします。

【糸井】 『情報の文明学』は1962年の本ですが、今の時代を考える大元になった名著。これをみんなが読んでいたら、あんなに右往左往して間違ったことを言わなかっただろうな。

結婚と事実婚

【川上】 『日本ノ霊異(フシギ)ナ話』は『日本霊異記』を元にした小説ですが、言葉それ自体のエロスというのかな、それが好きで。著者の伊藤比呂美さんの若いころの詩で、中に平仮名で「あ。」というのが1行入っているものがあって、何て色っぽいんだろうと思いました。

20051107_20.jpg【糸井】 そういう、皮膚のほんの小さいところを触った感触を描ける人が、長い話を書くこと自体、遠泳して太平洋を横断するような、途方もない仕事ですね。
【川上】 本って1人でできるものじゃなく、編集者や校正者、装丁も含めていろいろな人の手が磨き上げて作る。インターネット上の文章とは、そこが違うなという気はします。

【糸井】 印刷する紙の本が正式に入籍する「結婚」なら、インターネットの文章は「事実婚」みたいなもの。僕はインターネットでは、こんなんでいいの?というものもどんどん出そうと思っているんです。

【川上】 どっちがいいかということではなくて、両方魅力がありますね。でもやっぱり、私は一瞬で手に取ることのできる本につい手がのびます。そして、いつもいつも思うのですが、本はやっぱり面白い。それに尽きちゃうかな。

(2005/11/07)

川上弘美(かわかみ・ひろみ)
東京生まれ。中学、高校の理科教諭を経て94年、『神様』で作家デビュー。日常に潜む危うい心象を描いた『蛇を踏む』で96年、芥川賞を受賞。2000年『溺レる』で女流文学賞。01年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞。最新作に小説『古道具 中野商店』(新潮社)、エッセー集『東京日記 卵一個ぶんのお祝い。』(平凡社)など
糸井重里(いとい・しげさと)
群馬県生まれ。71年コピーライターとしてデビュー。ファミコンソフト「MOTHER」(89年)、プロ野球巨人軍の公式応援歌「ジャイアンツ・ファイアー!」作詞(94年)など、活動は多岐にわたる。98年からインターネットサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を主宰。最新刊は鼎談(ていだん)集『さらに経験を盗め』(中央公論新社)。 
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