第7回「一瞬の中の真実」

つながりを信じて〜村山さんによるイントロダクション

真実に出会う瞬間 宝物発見の醍醐味

旅することが好きです。部屋にこもっていると、自分の引き出しが空っぽになってしまう気がします。メディアの言葉は他人の価値観をフィルターにしていますから、できるだけ自分の耳で聞き、自分の目で見たいと思って、なるべく外へ出ていくようにしています。

昨年10月、初めてモロッコに行きました。タンジェという町のスーク(市場)はまるで香りの迷路でした。ミントの香り、首を切られた牛の血生臭さ、すれ違う男性のきつい香水、オレンジの香り……。そんなにおいのカーテンが幾重にも重なっているようでした。

夕暮れの市場がなぜこんなに殺気立っているのかなと思ったら、ラマダーン(断食月)だったんです。1か月間、夜明けのコーランの詠唱が聞こえた瞬間から、日暮れの詠唱が終わるまで、水も飲んではいけない。敬虔(けいけん)な人は、自分のツバさえ飲み込まずにペッと吐き出すんです。だからみんな、買い物をしても、高い塔からの「アッラーフ・アックバル」という詠唱が聞こえ終わるまで、食べるのを我慢しているわけです。

私も3日間だけラマダーンを体験してみました。空腹は割と我慢できる。のどが渇く方が、本当につらいんですね。ドライバーのアブドゥルさんが、「何でラマダーンがあるかわかるかい」と聞いてきました。私なりに考えて、「水とか食べ物に感謝を忘れないためでは」と答えたら、彼はうなずいて、「そうだけれど、もっと大きなことがある。ラマダーンは王様も貧乏人も等しく行う。すると、裕福な人も食べられない、飲めないというつらい気持ちがわかる。神様の前で、みんなが平等であることがわかるんだ」と、片言の英語で教えてくれたんです。

もし、この言葉を本で読んだなら、これほど胸打たれなかったかもしれない。でも、10月とはいえ日中は35度を超す暑さで、お互い生ツバを飲みこみながら、ラマダーンの意味を教えてもらうというのは、そこに行かなければ得ることのできない実感なんですね。

その後、サハラ砂漠にも行きました。夜は星明かりと月明かりだけの、無音の世界なんです。自分の心臓の音と、真空の中にいるようなキーンという耳鳴りが聞こえて、あとはラクダが砂を踏む、サク、サクという音と、わずかな風の音だけ。音がしないということが、これほど心細いとは知りませんでした。

イスラム教は、砂漠に囲まれた過酷な環境から生まれた宗教です。神の恩寵(おんちょう)とか恵みとか救いといったものは、ここでは即、生や死と直結している。私たちの恵まれた生活から見ると理解しにくい宗教でも、そこに行ってみるとすごくよくわかる。

私は千葉・鴨川の田舎で農作物を自分で作って暮らしてきましたから、この世には自分の力の及ばないものがあるという感覚を、都会にいるよりは強く持っています。100の事実を積み上げても追いつかない一つの真実、そんな一瞬の中の真実を、みなさんと共有したい。私の見つけたもの、私の感じるもの、私が悩むこと、悲しいと思うことが、私一人だけのことじゃなくて、だれかとつながっている。そう信じながら、私は文章を書いています。 

 「一瞬の中の真実」トークショー

映画と原作

【村山】 小西さんが、『天使の卵』の映画でヒロイン・春妃(はるひ)役を演じてくれると聞いて、私、小躍りしたんですよ。

【小西】 本当ですか。

【村山】 本当。小西さんしかいないと思ってたから。

【小西】 『天使の卵』は原作ファンが多くて、私もその一人なんですけれど、それだけに映像化は難しいところがある。村山さんにどう感じていただけたかと、すごく緊張しました。

【村山】 読んで下さった人には、それぞれの春妃像や物語の風景があると思うんです。もう私自身の手すら離れているところがある。でも、いつまでも12年前のデビュー作のことばかり言われ続けるのもなあと……。小西さんはどう?

【小西】 芝居を始めたきっかけは舞台ですけれど、生ものですから、未熟さも含めて、その瞬間の私が全部出たと思うんです。それを恥ずかしいとは思わないし、むしろそれを覚えていてくださるのは本当にうれしいことです。自分を振り返るきっかけにもなるので、大事にしたいなと思うんですけれど。

【村山】 うーん、えらいなあ。私は「『天使の卵』が一番好きです」と言われると、えー、その後のは?って思っちゃう(笑)。うれしい反面、複雑でもあったんですよ。でも、『星々の舟』で直木賞をいただいた後に、やはり読者に支えられてこそだと思い直して、続編の『天使の梯子』を書いたんです。それで、すごく吹っ切れた気がした。

【小西】 映画のスタッフみんなが原作を大好きなんですが、原作ファン100人すべてを納得させるのは難しい。やはり何かを飛び越える「勇気」が必要なんですね。言葉のない部分を表現するのが映画の良さですから、映画館に来てくれた人が、映画として良かったと感じてくれ、また原作を読み返した時に想像がふくらむといいなと思います。

【村山】 それは原作者として本当にうれしい言葉ですね。私、物書きになりたいという気持ちはずっとあったんだけれど、結婚して家に入った時、社会との接点がなくなってしまった気がして、その時出来ることは何かって考えたら、書くことしかなかったんですよ。

宇宙の入り口

【小西】 それまで書かれたことは?

【村山】 高校生くらいまでは、ノートに物語を書いて友達に回し読みしてもらっていました。早く大人になりたかった……。小西さんの『手紙』にも、14歳の時の心境がありましたね。

【小西】 思春期の時は、エネルギーはすごくあるのに、どうしていいかわからないじゃないですか。でも、どういう方向にも行ける時期でもあって、夢を持って、自分は必ず何かになれると信じる気持ちを表現したかったんです。

【村山】 それは若さの特権ですね。でも、何かを選ぶことは、別の可能性を捨てることでもある。それを怖がる人も、いまものすごく多いと思うんです。人は幾つもの人生を生きることはできないけれども、書物や映画、絵画など、色々なものを通じて別の人生をかいま見たり、その人の気持ちになったりすることができる。そういう意味で、映画でも小説でも、宇宙の入り口のような役割を持っている気がします。

【小西】 人生の中ではたくさんの出会いや色々な感情があるけれど、それがすべていい方向につながるということはないと思うんですよ。でも、だからこそ、一瞬の出会いとか、一瞬感じた真実とか気持ちとか、その一点だけで人は生きていける。そういうものに出会える瞬間が、私は本の中に感じることがたくさんあります。

【村山】 自分だけの発見という感じがしますよね。ベストセラーだから手を伸ばしてみて面白かったというのもあるだろうけれど、なぜかこの本を読んでみたいと思って手にとった一冊の中に、自分が求めていた一行を発見したときの喜びは、何ものにもかえがたい。

【小西】 話題になっている本を読むこともありますが、本屋さんにふらっと行って、○○賞の候補作だと知らずに、何となくタイトルがピンときたり、直感だけで選ぶことが多いです。

【村山】 でも、それが一番確かでしょう。本屋さんによく一人で行くんですか。

【小西】 はい、行くとつい長い時間いてしまう。あんなにたくさんの本が一つのフロアにあるなんて、それだけでワクワクしますよね。自分がいつも読むもの、見るもののジャンルを超えた世界を知ってみたいとも思って、いろいろと回って、最終的に手にとる本は直感で選びます。

分厚い扉

【村山】 あのワクワク感は、本の扉の向こう側に広がる世界の楽しみを一度でも知っている人なら、みんな感じていると思う。でも、今の若い人には、その扉が結構分厚くて重いんですよね。活字離れと言われて久しいですが、何で中学生や高校生に夏目漱石とか、武者小路実篤とか、志賀直哉から読ませるかなと、いつも思うんです。

【小西】 そうですね。

【村山】 人は物語を自分の経験で翻訳して読んでいくものだから、まだ自分の中で経験を積んでいない子供たちや、本をあまり読んだことのない人たちに、名作だからといきなりそういうものを読ませても、どうなのかなって。私が『おいしいコーヒーのいれ方』というシリーズを10年以上書いているのも、これを扉にして本の世界の楽しみを知ってほしいなと願う気持ちからなんです。

あとがきの力

【村山】 私が今日お薦めする本は、とにかく自分が物書きであることも忘れて、引きずりこまれてしまったものばかりです。まず、『体の贈り物』。私、本屋さんでは最初にあとがきから読むんですよ。

【小西】 私もあとがきは必ず読みますね。

【村山】 この本は柴田元幸さんが訳していらっしゃるんですが、あとがきで「どれでもいいから、短いから、一編読んでみてくれ」と書いていらして、それじゃあと、『汗の贈り物』という最初の一編を読んでみました。エイズ患者の人たちをケアしているホームケアワーカーが語り手で、「暗い話はちょっと」と引いてしまう方もいると思うけれども、見事にそこから自由で、胸を打たれました。そのままレジへ持っていったんです。

【小西】 私は、まず『SPEED』を紹介します。どこにでもいて、色々なことに悩んだりする普通の女の子が、あることをきっかけにどんどん精神的にたくましくなっていく。ワクワクするってこういうことなんだなという感じです。読み終わって、独り言で思わず「おもしろい」って言っちゃったんですよ。誰も聞いてないのに。

【村山】 活字を追うことの苦痛をまるで感じさせないんですよね。『黄金の羅針盤』は、はやりのファンタジーですが、この世界では、人間に必ずダイモンという動物の形をした相棒がいて、それと引き離されてしまうと生きていけない。子供のための物語のようでいて、人が宗教を求める心の根源にあるものは何か、生きていく上で人が最後に守らなければいけないものは何かを、少女が冒険をしながらつかみとっていくんです。その過程がワクワクします。

【小西】 じゃあ私も、ワクワクつながりで。『空中ブランコ』は、精神科医の先生のもとにいろいろな患者さんが来て悩みを相談するのですが、その悩みが吹っ飛んでしまうくらい、その医者が飛び抜けた返し方をするんです。

【村山】 奥田さんが直木賞をとられたときに読んだんですが、奥田さん自身が一番イカレているんじゃないかと思ったくらい(笑)。

【小西】 そうですね。でも、そう返されたら、すごく重く悩んでいたことも、そうでもないかと思えちゃうことってありますよね。

生きる切なさ

【村山】 『露の身ながら』は、重めの扉かもしれないんですけれども、それをこじあけてでも読む価値がある。免疫学者の多田富雄さんと、生命科学者の柳澤桂子さんの往復書簡ですが、お二人とも、人生の途中で重い障害を体に負った方で、その苦しみの中でもう一度生まれ直すことの意味を、時にユーモアをまじえながらつづっています。人が生きていくということはこういうことなのだなあと。一時は自殺まで考えた方たちの言葉なので、私の知らない世界をたくさんかいま見せてくれました。

【小西】 『記憶の中の一番美しいもの』は、自分の息子だと思っていた子供の、本当の父親を探すというテーマ。全編せつないんですけれど、最後はすごく希望があって、あとがきの中にもすばらしい言葉がたくさんあります。内容はあえて言いません。決してハッピーエンドではないけれども前向きだし、そこにすごく強い愛情を感じる本でした。

【村山】 『あなたはひとりぼっちじゃない』。ゲイの人がたくさん出てくるんですが、それがじつに等身大に描かれている。どの短編も大好きという感じではないのですが、何か引っかかる。読み返すたびに違う感触が残るという意味で、とても広がりのある小説集だと思いました。

【小西】 世の中、情報とか物とか、いろいろ新しいことがあふれている中で、それがすべてじゃないということを強く感じたのが『ある愛の詩』。変わっていくことも大事だし、変わらないものを持ち続けることも大事だと感じた作品です。

【村山】 次は、『夢見つつ深く植えよ』。アメリカの名エッセイストが老年期に書いたエッセー。人生、こんなふうに老いていくなら怖くないなと思わせてくれました。『水の国を見た少年』は、目の見えない少年が、その分だけ、音とかにおいとかで人に見えないものを「見る」ことができるという冒険譚(たん)です。あとからじわーっと効く感じのいい小説です。

だくだく泣く

【小西】 じゃあ、私は最後に、『西の魔女が死んだ』という作品です。

【村山】 私も大好き。

【小西】 いいですよね。悩みを抱えた中学生の女の子が、おばあちゃんの家に行って、いろいろなことを学んだり感じたりして生きていく。中学に進んだ多感な時期は、何々をしなくてはいけない、これはこうしなきゃいけないみたいなことに絶対にぶつかると思うんですけれども、そこをやんわり取り除いてくれる、この「西の魔女」なるおばあちゃんがほんとうにすてきで、最後はもう涙がとまりませんでした。

【村山】 おばあちゃんが、人生は生きていくに値するということを、目の前が真っ暗になっているような気分の孫娘に伝えていく。その言葉一つ一つがものすごくきらきらしているんですよね。

【小西】 そうなんですよ。そして、やっぱり人生経験でいろいろなことを感じながら生きてきたおばあちゃんの言葉だから、何だかすんなりと入ってきて、それがすごくすてきなものとして、自分の中に蓄積されていった作品です。

【村山】 タイトルで買ってしまったのが『豚の死なない日』。私、ブタが大好きなので、いい題名だなと(笑)。今までいろいろな本を読んで「ぼたぼた」泣くとか、「ぼろぼろ」泣くことはあったんですが、「だくだく」泣いたのは初めてでした。物語が、これほど赤の他人であるこちらの気持ちをつかんで揺さぶるものか。そういう可能性があることを知ると、自分の力になるんですよね。

自分だけの一瞬

【小西】 子供のころは、お花を見るだけで色々なイマジネーションを膨らませられたのに、大人になると、忙しかったり、色々な人とかかわったりする中で、どうしても想像力が少なくなってしまいがち。でも、本の世界では、それはどこまでも自由ですよね。

【村山】 この人生でない別の人生を生きるという意味で、フィクションもノンフィクションも区別がない。そこから自分の気持ちを動かされる瞬間や、自分だけの宝物のような一瞬を見つけることが、本を読むことの醍醐味(だいごみ)だし、一生の財産になると思う。読書の楽しみを知らないのは、人生の楽しみを半分捨てているのと同じじゃないかな。

【小西】 想像力を膨らませることは、人とかかわったり、思いやることにもつながる。そんなきっかけが本屋さんにはたくさんあるって、すごいことですよね。ぜひ手にとって、その宇宙をのぞいてほしいな。

(2006/7/25)

村山由佳(むらやま・ゆか)
1964年東京都生まれ。93年『天使の卵〜エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞。2003年『星々の舟』で直木賞。他の小説に『海を抱く』『すべての雲は銀の…』。エッセーに『楽園のしっぽ』など。
小西真奈美(こにし・まなみ)
1978年鹿児島県生まれ。98年「北区つかこうへい劇団」入団。2002年公開の映画「阿弥陀堂だより」で注目される。テレビドラマやCMでも活躍。8月公開の映画「UDON」、10月公開の「天使の卵」に出演。  
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