第29回 小説にできること

きっかけ
 

――川村さんは映画プロデューサーとして活躍されています。今回、小説を書こうと思ったきっかけを教えてください。
 川村 ベストセラー小説『悪人』を映画化するとき、原作者の吉田修一さんと1年半にわたって、一緒に脚本をつくっていきました。その時、「小説と映画で表現できることはこんなに違う」と気づきました。猫が消えた世界を映像で表現するのはものすごく難しいけれど、文章だと、読者が想像してくれる。そういう実川村元気2.jpg体化できないことを僕も文章でやってみたいと思いました。
 ――水野さんの『夢をかなえるゾウ』は自己啓発、ビジネス書のジャンルで語られる一方、ファンタジー小説と紹介されることもあります。
 水野 自分は「これをやりなさい」と読者に伝えたい。つまり、読者におせっかいをしたいタイプなんです。だったら、実用書を書いていればいいんですが、実用書っていろんな課題を抱えているんです。たとえば、本屋さんで恋愛マニュアルをレジに持って行くという行為は、結構“負荷”がかかるじゃないですか。
 川村 すごく恥ずかしいですね。確かに。ニーチェの本などで間に挟みたいかもしれない(笑)。
 水野 そうでしょう。それに、成功した人がその方法を書くタイプの本も自慢話に聞こえるから嫌だった。そうやって課題を一つ一つ乗り越えていったら、結局、キャラクターを登場させて、小説という手段を選ばざるを得なくなりました。
 川村 大事なことほど、説教されるより、ストーリーで語られた方が説得されますよね。
 水野 ただ、ストーリーが強すぎると、自分のこととして捉えられない読者も出てくるかもしれない。小説を書く上では、いつもそのことを考えています。
 川村 僕は「これをやりなさい」というより、「日常にも豊かな発見がある」ということを知ってほしいという感じでしょうか。携帯電話を落としたことがあります。公衆電話で友達や母親に電話しようとしたら、誰の電話番号も覚えていなくて、自分の記憶を携帯にすべて預けていたことに気づかされました。ぼうぜんとして電車に乗って、ふと窓の外を見ると、きれいな虹が出ていました。それで周囲を見たら、みんなスマートフォンを見ていて誰も虹に気づいていなかった水野敬也2.jpg
 水野 「顔を上げないと、虹は見えないよ」というチャップリンの名言の世界だ。
 川村 まさにそんなシーンが目の前で起きていたわけです。嫌なことがあっても、必ずその裏にはいいことがあるし、その逆もある。「何かを得るためには、何かを失わなくてはならない」、そんなことに気づかされた瞬間でした。日常に転がっているささいなことにこそ、生き方のヒントが転がっていると思います。
 水野 そういえば名作といわれているものは、身近な発見や自分の小さな体験を普遍化して、上手に読者にのみこませています。
 川村 児童小説でも、ドストエフスキーでも、生活実感の延長線上にあるものこそ、読者の共感を得て、名作になりうるんだと思います。
 ――2人の書きたいテーマは違うように感じます。
 水野 人間は何かを手に入れたい、もしくは何かを避けたいという欲望の延長線で成長すると思うんです。たとえば、お金を稼ごうとした時に、人間は現実の中でドラマを生み出すはず。だから、「こうした方がいいよ」と、具体的なアドバイスを自分はしたくなります。
 川村 そこは水野さんと真逆かもしれない。僕が興味があるのは、その欲望の“すき間”です。人間は基本的にお金や衣食住があればいいのに、映画や音楽、小説など、別になくても生きていけるモノに執着してしまう。そのすき間の魅力をどう伝えていくかが僕の終生のテーマかもしれません。

可能性

川村・水野2.jpg
 ――小説を書いていて感じたことはありますか。
 水野 どう書くか、どう伝えるかという面で見ると、小説はすごい力がありますよね。
 川村 映画をやってきた人間として、小説の世界を見ていて、ずっとうらやましいなと感じていたことを全部やろうと思いました。まずは「何かが消えた世界」をたった1行で作り上げてしまうというところから始めました。
 水野 一番感じる小説の強みは何と言っても、延々とセリフをしゃべらせることができるところ。『ドン・キホーテ』なんか、何ページにもわたって延々としゃべってます。伝えたいことを違和感なく投入できるというのは最大の強みだと思います。
 川村 紙ならではの“空間”もあります。今回の小説では、文字組みや改行に相当こだわりました。たとえば、行間を1行空けるか、2行空けるかで印象はがらりと変わります。それから装丁。デジタルだと気付かない。実際に本を手に取らないと発見できないデザインの魅力がそこにあります。本はすごいエンターテインメント性を秘めている。
 ――『世界から猫が消えたなら』は、主人公の名前、地名が出て来ませんね。
 川村 映画だと、レオナルド・ディカプリオが登場したら、何を演じていてもディカプリオでしかない。せっかく小説を書けるのなら、読者がいろいろと想像できるような形にしようと、とにかく省いていこうと思いました。名前を使わないで最後まで書ききれるだろうかと最初は不安でしたが、すごく面白かったです。
 ――水野さんの前作も主人公は「僕」で名前はなかった。
 水野 読者自身に主人公を重ね合わせてほしかったからです。読む側がいろいろと考えたり、自分のことに置き換えて考えるうえで、活字の力というのは強いですが、情報が増えれば増えるほど、客体化していく面もありますからね。

書店の楽しみ
 

――子供の頃から本は好きでしたか。
 川村 小さい頃から寓話(ぐうわ)ばかり読んで育ちました。年に300冊以上読んだときもありました。映画プロデューサーなので、映画化する原作を探すための読書もあり、それは本来的な読書の楽しみ方とは異なるのでしょうが、今回、自分で書くということに関しては役に立った気がします。
 水野 すごい多読ですね。どういう読み方をするんですか。
 川村 本当に勢いがついてくると写真を撮るように読んでいく感じですね。
 水野 速読術みたいじゃないですか(笑)。自分は1週間に2冊ぐらいです。ただ、本を書くときに情報を集めたいときは、1週間で何十冊も読むことがあります。
 ――水野さんは大学1年の時に「本はすごい」と思った出来事があったそうですが。
 水野 自信喪失に陥り、東横線の綱島駅前の本屋にふらっと立ち寄ったとき、何となく手に取った恋愛マニュアルの本に、延々と「男は顔じゃない」とつづられていました。なぜか、すごく元気がわいてきました。そのとき、自分もいつか人に希望を与えるような本を書いてみたいと思いました。
 ――川村さんは本屋に行くのが好きだそうですね。
 川村 何か目当ての本を買いに行っても、隣にあるものがたまたま目に入って購入したりする。この本を好きな人は、これも好きかもしれないという、書店員さんのたくらみというか、プレゼンテーションが楽しみなんです。
 水野 本屋って、ちょっとしんどい時に、「ここだったら何か解決の手がかりを与えてくれるのでは」と思わせてくれる場所のような気がする。
 川村 本を買うというのは、自分の嗜好(しこう)をさらけ出す、ある種パブリックな行為ですよね。レジに持って行った瞬間、その本が、その人を形作っていくことになる。映画館で、どの映画をチョイスするのかという行為にも似ている気がします。

本の力

 ――水野さんの新作で、神様が主人公に「悩みを解決したいなら図書館に行け」と命令する場面があります。
 水野 人類はみんな過去に同じ悩みを抱えてきたから、その解決法は本に集約されているという意味です。
 川村 あれは、いいセリフですね。
 水野 ネットの情報って、結局、一部の情報がぐるぐる回っているだけで、深いところにはたどりつけないことが多い。活字を読むというのは正直しんどいし、“負荷”は強いけど、問題を解決するツールとしては最強じゃないですか。リサーチして読むというスキルさえ身に着ければ、現実がもっと華やかになるし、ゲームのように楽しめるようになるはず。
 川村 この前、本屋に行ってふと書道の本を手に取りました。そのとき、そういえば僕は字がうまくなりたいと思っていたことに気づきました。本屋さんに行くと、何となく手に取る本から、自分が抱えている悩みや、興味を発見できることがある。それは電話やメールのやりとりではなかなか気づかない。特に20代や30代の頃というのは、自分が本当は何をやりたいのかが一番分からない時期だと思う。そんな時に、本を読んで、人の価値観に触れる時間を持つというのは非常に大切なことではないでしょうか。

お薦め本 お薦め本2.jpg

――とっておきの本を紹介してください。
 水野 『となりの億万長者』、衝撃を受けました。タイトルからすると、「俺は成功したぜ」のような、一冊丸ごと自慢話を聞かされそうな実用書をイメージするじゃないですか。ところが、億万長者を緻密に研究してデータベース化していったら、みんな普通の人だったという話です。
 川村 「億万長者の因数分解」という感じで、すごく面白そうですね。僕からはまず『猫語の教科書』を。「猫が人間について書いた小説」という設定の本なんです。「人間はひとりでは何もできない。プライドは高いが孤独。でも、愛というスペシャルな感情がある」みたいなことが猫目線で書かれていて、人間とはどういう生物なのかが猫の目線だからこそ、あぶりだされていく。もちろん映像化は不可能なわけですが、そんな大ウソが、本だと通ってしまうというのが面白くて、今回、小説を書くに当たっても相当影響を受けています。
 水野 今の話で思い出したのがミヒャエル・エンデの『はてしない物語』。小学校の時、先に映画を見て、その後に原作を読んで衝撃を受けました。本の中に本が入っているというダイナミックな設定にもかかわらず、みんな読んでいないといけないぐらいの古典ではないですか。
 川村 僕もエンデの『モモ』を持ってきました。難しいことを簡単に語る人こそ知恵がある、とよく聞きますが、エンデのような児童文学の秀作は、まさにそうですね。難度の高い哲学を、モモというキャラクターを使って展開し、かつ平易な文章で書いていて、大人になって読んでからも発見があります。
 水野 エンデのように家族全員を喜ばせることができれば、物書きにとって究極の形じゃないですか。松尾スズキさんの『同姓同名小説』はサブカルチャーの極めつきと言ってもいいかもしれません。もっと多くの人に知ってもらいたい。
 川村 僕も松尾さんは大好きだから読みました。笑える小説は極端に少ない。映画の世界でも泣かせるより、笑わせる方が難しいと言われます。それを文字でやるのはさらに難しい。
 水野 発明品と言ってもいいかもしれません。
 川村 僕の3冊目は『観光』です。作家は僕と同い年のタイ系アメリカ人。都会の大学に進学する息子が、失明間近の母親を連れて、観光旅行に出かけるのですが、最後に2人が川を一緒に見に行く場面があります。母親が最後に息子と一緒に見た景色はどれだけ美しいのだろうと読者に想像させる、そこの預け方にうなりました。
 水野 美しい話なんですね。しかし、観光というタイトルからは、川村さんが話された本の内容は全く想像できないです。
 川村 原題は『Sightseeing』、確かに日本語に訳すと観光です。ちょっと地味なタイトルの連作短編集なのですが、描かれている世界はどれもすばらしく美しいんです。
 (司会は、活字文化推進会議事務局・和田浩二)

◇映画プロデューサー 川村元気さん かわむら・げんき 1979年、神奈川県生まれ。上智大学文学部卒業。2001年、東宝に入社、映画プロデューサーとして活躍。興行収入37億円を記録した『電車男』をはじめ、『告白』『悪人』『モテキ』など話題作を手がけている。

      
 本屋大賞ノミネート

 「世界から、もし猫が突然消えたとしたら。この世界はどう変化し、僕の人生はどう変わるのだろうか。」
 意表を突く書き出しで始まる、川村さんのデビュー作『世界から猫が消えたなら』(マガジンハウス)は、医師から余命わずかと告げられた30歳の郵便配達員の男性の前に、アロハシャツに身を包んだ悪魔が出現、「世界から何かひとつを消せば、1日命を延ばしてやろう」という取引を持ちかけられ、電話や時計、映画などを消していく1週間を描いた作品だ。書店員が「お客に薦めたい」と思った本を選び、投票する「本屋大賞」にもノミネートされた。鈴木成一さんが手がけた装丁もファンの間で静かな話題になっている。猫が半分顔を出すグレーの色調のカバーを外すと、黄色を主体にしたアロハシャツのようなデザイン画が鮮やかな色彩を放つ。
 

 

 

◇作家 水野敬也さん みずの・けいや 1976年、愛知県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。2003年、『ウケる技術』でデビュー、07年発行のファンタジー仕立ての自己啓発本『夢をかなえるゾウ』(飛鳥新社)は200万部を突破。10年には仲間たちと出版社「文響社」を設立。

   
 「ゾウの神様」再び 

 200万部を突破するベストセラーとなった前作は、自分を変えたいと思っている若いサラリーマンの前に、インドの神様ガネーシャが出現。ノウハウを教わりながら、夢に近づいていくという内容だった。新作『夢をかなえるゾウ2』(飛鳥新社)の主人公は脱サラして、子供の頃から憧れていたお笑いの世界に飛び込んだ男性。再びガネーシャが出現し、様々な助言を与え、お笑いコンテストの優勝という目標に一歩ずつ近づけていく。
 5年ぶりとなった新作では、ガネーシャのほかにも貧乏神、お釈迦さま、死に神などが登場。「何かを手放す覚悟がない人が成功することはありません」といった印象的な言葉がちりばめられているほか、巻末には、偉人たちの数々の名言なども収められている。
 

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