第16回「二人のあいだを流れる小説という一本の川」

〜 トークショー 〜

何かを見つける楽しみ/辻  ページめくる感覚大事/江國

【辻】江國さんとは『冷静と情熱のあいだ』という作品を、ちょうど10年くらい前に計画して、それが最初のコラボレーション(共同制作)。あの時はラブストーリーだったんだけど、今度は生涯をまたぐような大きな話は書けないだろうかと。それが『右岸』『左岸』というタイトルの新しい作品です。辻2.jpg

【江國】6年近く月刊誌『すばる』に連載していたもので、小説の中に出てくる人たちが実際に知っている人みたいな気がする。それが10月15日に単行本として出版されるのでうれしいです。ぜひ読んでほしい。

【辻】小説家同士でこれほど長いコラボレーションをやっているのは、多分他にない。今、僕はパリに住んでいるからフランスの作家たちに言うと、みんな、まゆをひそめて「よく他人とそんなことができるね」って。

【江國】私も自分でもそう思うもん。作業ももちろん大変だし……。

【辻】 けんかしないのが大変なんですよ。相手が書いたのを読んで、「これ違うんじゃない」って言いたいんだけど言えないときに、どうやってこれを回避して書こうかなって。相手が作家として書いてきたものを尊敬しつつ、どうやって自分の我も通そうかということをお互い訓練しているような。

【江國】小説って、人生もしくは人生の一部を写しとるものだと思うんですけれど、視点が二つになることによって、すごく世界の見え方も違うし、リアルな人生に似るんですよね。

【辻】自分たちが書いてきた経験と法則とやり方というのはつかんでいるけれど、それとは違うところに踏み出す。経験したことのないところに押し出されて書く。毎回驚きの連続。

【江國】面白いですね。

【辻】うん、面白い。だから続けているんだと思う。
     
【江國】読む楽しさの話に変えましょうか。

【辻】読むことの楽しみは何かを見つけることだと思います。自分の好きな作家、好きな思想、好きな考え方に出会うために読む。そういう時に読む楽しみが生まれてくるんだろうと思う。僕の本の読み方はそれです。

【江國】私はもう、本は逃避ですから。本がないと人生、生きていかれないみたいな感じです。私の今回選んだ本は、ほとんど翻訳ものなんですよね。

【辻】 翻訳ものは、翻訳者によってまったく違うものになる。自分の本が外国語で翻訳されていて、会う人たちにいつも緊張するのは、本当に自分が書いたことがそのまま伝わっているのかどうか。

【江國】 あれはわからないですね。私の本は、アジアで翻訳されているものが多いんですけれど、知らないことばでは内容がわからない。タイトルさえ自分では読めませんから。

【辻】いくらフランス語だからって、この薄さはないんじゃないかと思って調べたら、僕に報告なしに宗教にかかわるところが、削除されていた経験がある。翻訳される作品はどこまで自分が責任を負えばいいのか。今、海外で翻訳されている僕の本については、ほとんどの翻訳者とメールでやりとりしているんです。

【江國】私のお薦めの本の翻訳は、全部すばらしいですよ。『空高く』は韓国系アメリカ人作家、チャンネ・リーのアメリカンな話なんです。アメリカではこれまでオリエンタルな作家が書くならば、オリエンタルなものが好まれた。それがなくなりつつあって、とても新しいと思った。よくできた面白い話です。長いのですが、すごく薦めたい本です。

【辻】僕は野崎歓さん翻訳のスタンダールの『赤と黒』。これがいいんですよ。すっごく読みやすくて。今、新しく翻訳し直すというのがはやっている中で、これはお薦め。ジュリヤンという美貌(びぼう)の青年が、華やかな社交界の中で翻弄(ほんろう)されていって衝撃的なラストがあるというスタンダードなスタンダールなんですけれど。スタンダールを選んだのは、実は野崎さんが好きなんです。フランス人の今の感覚を本当に皮膚で分かっている人だから。

【江國】お薦めのミルハウザーはすごく辻さんっぽい。

【辻】ミルハウザーは昔から大好き。『バーナム博物館』は柴田元幸さんの訳です。柴田さんの翻訳がすごく好きなんですよ。

【江國】訳者で選ぶんだ。

【辻】僕、訳者で選ぶ。ミルハウザーは柴田さんの訳だったから読んだ。本当に翻訳者と作品の出会いというのは大きいと思う。

江國1.jpg【江國】ブローティガンの『芝生の復讐(ふくしゅう)』って、長いこと手に入らなかったんですよね。

【辻】あ、復刻しているんですか、文庫で。

【江國】すごく短いチャプターでできている本で詩みたいに美しいんですよね。詩人だから、「詩みたいに」というのがいいのかどうかわからないけど。大好きです、これ。

【辻】江國さん推薦のティム・オブライエンは僕も好きだよ。この人は長編を力業で書く作家で、すごく迫力があるし。

【江國】『世界のすべての七月』というのは、60年代のアメリカの学生たちが2000年に同窓会を開いて再会する話なんですけれど、とてもいいんです。苦くて面白い。

【辻】 その「面白い」。読者に会って「どうでしたか」と聞くとたいてい「面白かった」と言われるんだけれど、いつも頭を抱える。「どう面白かったのかな」って。「自分はこう思ってこうでこうだった」とはっきり言った人は一人もいない。ただ1回だけ、パリでお世話になった日本の女性にある本を差し上げ「どうでしたか」と聞いたとき、「あんまり人を殺さないでください」って言われた。歩いて帰れないぐらい衝撃的だった。

【江國】そうなんだ。

【辻】あれから、小説の中に出てくる死というものを、いっそう、注意深く書くようになった。同時にあれから、もう読者に「どうでしたか」と質問しなくなりました。

【江國】私は逆にあんまり具体的に言われると、返事ができなくなっちゃう。

【辻】『パリ時間旅行』の著者、鹿島茂さんとはパリの裏町で偶然お会いしたことがある。初対面なんだけど、雑誌などでお顔は知っていて、5メートルぐらい前で互いのピントがあって、同じタイミングで「鹿島さん」「辻さん」って。彼は翌月出る本のゲラを持って、自分が書いた場所が間違っていないかどうか、読者のためにチェックして歩いていた。

【江國】すごいね。

【辻】かつて書いたものに、自分はそこまで責任を持っていただろうか、と驚きました。パリ好きな人には読んでもらいたいと思って。

【江國】『ベルカ、吠(ほ)えないのか?』は古川日出男さんの長編小説。古川さんを私は天才だと思っているんですけれど、特にこの本はめちゃくちゃ面白いです。止まらなくなる。「面白い」って言っちゃった。

【辻】『寂聴伝』は瀬戸内先生にもらったんです。実は「寂聴」という映画を撮ろうとしていて先日、先生の所へ行って「映画化権を僕にください」ってお願いした。そのとき先生にこれを参考に読んでごらん、と手渡された。「この人、寂聴さんじゃないのに、何で寂聴さんのことがわかるの」っていうぐらい緻密(ちみつ)に描かれている力作です。

【江國】レイモンド・カーヴァーの『頼むから静かにしてくれ』は定番ですが、初期の短編が集まっていて、とっても短いから、すっと読めます。でも一編ずつが完璧(かんぺき)に小説なの。すばらしいです。

【辻】僕の最後の『私たちがたがいをなにも知らなかった時』はペーター・ハントケの戯曲。『ベルリン・天使の詩』というヴェンダースの映画の脚本家なんですよ。小説では『左利きの女』というすごくいい短編がある。

【江國】これで全部紹介。バリエーションがすごかったですね。
    

【辻】本棚買ったんですよ。

【江國】本棚なかったの。

【辻】いっぱいあるけれど、フランスでは本棚と書物はすべて経費扱いになります。それと、国から一部税金が返って来たんです。会計士さんに聞いたら「図書館ではただで本を貸している。作家に申し訳ないから一律に税金(公共貸出権による補償金)を返すんだ」という説明だった。聴衆3.jpg

【江國】そうなの。

【辻】ちょっと感動した。今、本が読まれないとか出版物が危機だとか言われている。それは作家にも責任があるけれど、システムの問題もある。いい小説を残したければ、みんなで方法を考えなければ。それほど売れない本のなかにもすごくいい作品があるのだから。

【江國】インターネットは便利だけれど、みんながそればかりだと本屋さんがなくなってしまう。紙の本ってすごく大事。背表紙だとか、お話を読み進めるためにページをめくっていく感覚とか。

【辻】最後にひとつだけ。僕、「活字」というのは「活(い)き活きした字」だと思う。でも、今本当に活字文化がいきいきしているのかどうか。自分が日本を出ちゃって、違う言語を見ているうちに気づいた日本語の良さ。平仮名と片仮名を作ったという文化があり、日本人として活字にきちんと触れていくことは大切だと思う。

 

◇辻仁成(つじひとなり)さん
 1959年生まれ。89年「ピアニシモ」ですばる文学賞、97年「海峡の光」で芥川賞、99年「白仏」で仏・フェミナ賞の外国小説賞を日本人で初めて受賞した。アントニオ猪木主演映画「ACACIA」2009年公開予定。

 

◇江国香織(えくにかおり)さん
 1964年生まれ。2002年「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」で山本周五郎賞、04年「号泣する準備はできていた」で直木賞を受賞。小説、童話、詩など、みずみずしい感性で幅広い作品を生み出している。
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