第14回「面白小説 見参!」

基調講演/児玉清さん

20080229_01.jpg 私が面白小説のファンになったのは戦争中、国民学校3、4年生のころでした。同級生が講談本を貸してくれたのですが、なんと面白い本が世の中にはあるものだと驚かされました。

伊東一刀斎や千葉周作など実在の剣豪を登場させながら、例えば悪人を投げ飛ばしたらアメリカまで飛んでいってしまったといったとんでもないフィクションを織り交ぜて話を盛り上げる。ばかばかしいのですが、楽しくてとにかく面白い。

活字から想起される魅力的な力

実は私は憶病な子どもで、虫がこわくてたまりませんでした。けれども主人公に感情移入すると、ヘビがいるようなおそろしい所にも平気で行ける。さらには悪いやつをこらしめることさえできる。時間も地理的な制約もない。本の世界では主人公とともに波乱万丈の人生を生きることができたのです。

本には悪人も善人も出てきます。世の中はかくも多様な人たちで満ちているのか。子ども心にも人間社会の不思議さが染みこんできました。活字から想起されるこの何とも魅力的な力で、私はすっかり“本の虫”になっていったのです。

めくるめくような恋愛

講談本の次は岩波文庫で、西洋の翻訳本や日本の文学などを読み進んでいきました。思春期の時に手にとったレイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』は少年と年上の女性の物語です。私は主人公の少年とともにめくるめくような恋愛を体験しました。

本には時間的な制約がないと申し上げましたが、面白小説はタイムマシンであるとともに、恋愛マシンでもあります。小説を読むことによって様々な人たちとめぐり会い架空の恋愛をすることができる。私もこれまでたくさんの女性に恋をしてきました。

面白小説今や「王道」

ところで『モンテ・クリスト伯』を書いたアレクサンドル・デュマは当時の市民から圧倒的支持を受けていました。しかし死後は、高邁(こうまい)な精神が作品に込められていないとの理由で、同時代の作家ビクトル・ユゴーに比べ冷遇されていました。

ところが2002年、フランス文化庁が生誕200年を期してデュマの棺を掘り起こし、国家的偉人が眠るパンテオンのユゴーの隣に改めて埋葬したのです。デュマの小説は今でも全世界の人々に読み継がれている。面白い小説としてきちんと評価しようという粋な計らいでした。

このような動きは世界中で起こっています。アカデミックな作品でなければ認められなかった文学の垣根がどんどん崩れ、面白小説が大きな潮流として立ち上がっている。大衆小説として片隅に追いやられていたものが、今や大変な王道を行くようになった。

スティーブン・キングは「本が売れることで大衆小説と烙印(らくいん)を押されてしまうがそうではない。我々こそ小説の騎士だ」と言っています。面白小説ファンを自任する私としては、大変喜ばしい状況となっているわけです。

面白小説 「書き手」対「読み手」トークショー

人物が自然に動き出す

20080229_02.jpg【児玉】 今、大勢の読者が佐伯さんの作品を待ちかねています。 僕も友だちに『居眠り磐音江戸双紙』を薦めたら、24巻もあるものですから「寝る時間がなくなって困る」と文句を言われた。 どのシリーズも同じです。どのようにしてこれだけの面白小説を生み出されているのか、お伺いしていきたいと思います。

【佐伯】 時代小説を書き始める前の売れない作家のころ、きちんとした小説を書くなら構成をしっかりしなければだめだとある方に言われたんです。 登場人物はこんな性格で、伏線と謎はこうで結末はこうする。 それを長い巻物に書いて構成を立てなさいと。

【児玉】 その通りにされたんですか?

【佐伯】 だって売れないですから誰の話でも聞きます。 でも巻物を作った時点で話を書くことに興味がなくなってしまった。

同じことを繰り返すのが苦痛なんです。

【児玉】 俳優の立場としても2度目の演技はつまらないです。 最初の本番が一番面白い。

これからどうなるかわからない時の演技の方が迫力が出ます。

【佐伯】 パソコンの前に座るまで物語の展開など何も考えない。 スイッチを入れて書き始めるとようやくエンジンがかかるんです。 起承転結もほとんどの場合、書いているその場で決まりますね。

20080229_03.jpg【児玉】 ネルソン・デミルとかシドニー・シェルダンに聞いても、人物が自然に動き出すと一様に言うんですよね。

【佐伯】 作家になる前はそんな話を聞いても、何をそんなばかなと思っていたんですが、読み物をたくさん書いていくとそう表現せざるを得ないんです。 ここで磐音が登場するぞとか、絶対におこんさん登場させなければまずいぞ……と。 まず壮大なる歴史の流れが背景にあって、登場人物をその時代に入れてしまえば、勝手に動いていくような感じです。

信州伊那で

【児玉】 それにしてもシリーズのどれもが多くの読者の支持を得ています。『吉原裏同心』の神守幹次郎、『密命』の金杉惣三郎と主人公はみな剣の達人でかつ魅力にあふれています。『古着屋総兵衛影始末』の総兵衛の生きた時代は柳沢吉保の元禄期、磐音は田沼意次の時代で、舞台設定もそれぞれ異なります。

20080229_04.jpg【佐伯】 どうも最近では、僕のもとには執筆グループが幾つもあってシリーズごとに分担しているとうわさまでたって(笑)。貧乏性なものですから、最初から最後まで一人でやらないと気がすまないタイプなんです。

【児玉】 ネルソン・デミルによると、本が売れ出すとネタが向こうの方からやってきて、大変楽になるということですが。

【佐伯】 僕の場合は自分から行きます。1万石以下の小藩に江戸屋敷と国元を行き来する交代寄合衆という旗本がいたんです。調べていくと信州の伊那に座光寺家があった。石高わずか1413石。現代の貨幣価値に換算しても3000万円ほど。これでどうやって暮らしを立てていたのか、名前の響きにひかれたこともあり、車を運転して伊那に向かいました。

【児玉】 いきあたりばったりに?

【佐伯】 ほとんどそうですね。現在の行政区でいうと下伊那郡高森町に郷土資料館があるのは知っていた。そこに飛び込んで「座光寺家って今でも存在するんですか」と聞いたら「ありますよ」と。江戸時代に戻ったような古い屋敷が散在するそのあたりを歩いていたら、お葬式をやっていた。「どなたかお亡くなりになったんですか」と尋ねると、何と座光寺家のお葬式だったんです。

【児玉】 へえー、それは奇遇ですね。

【佐伯】 いや本当に。座光寺家は幕末官軍側に付きましたが明治の新政府に登用されず、神主として地元に残っていたんです。亡くなったのはご当主さんでした。竹藪(たけやぶ)の中にあるお墓に手を合わせていると、何となくこれで書けるなという気になった。そうして出来上がったのが『交代寄合伊那衆異聞』です。

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どうしても紹介したい本

【児玉】 ここで話を変えましょう。普段は余暇にどのような本を読んでいますか?

【佐伯】 児玉さんに怒られそうですが、読書歴は偏食なんです。現代の作家のものはほとんど読みません。小説ではないのですが、今回どうしても紹介したい本があります。カントの『永遠平和のために』です。最初に手にとってパラパラめくりました。「平和というのは、すべての敵意が終わった状態をさしている」という文章があり、藤原新也さんが撮った、雨の降る中、両手で頭を覆うブラウスの娘の後ろ姿の写真が添えられている。カントってこんなに易しい言葉で哲学を語っていたのかと本当にびっくりしました。

20080229_06.jpg【児玉】 私も驚きました。

【佐伯】 黄金時代の日本版『プレイボーイ』編集長を務められた池孝晃さんが、編集者生活の最後に作った本です。池さんはカメラマンだった僕に『闘牛士エル・コルドベス 1969年の叛乱』を書けと勧めてくれ、文章に転向するきっかけを作ってくれた人でもあります。

【児玉】 極悪人もいれば善をなす人たちもいる。『永遠平和のために』は人間という存在の本質が見事に描かれています。哲学も面白小説も通底しているものは同じですね。

【佐伯】 児玉さんの推薦本にあったので『祝宴』と、『終決者たち』を読みました。ものすごく面白くて徹夜してしまいました。

【児玉】 ディック・フランシスは80歳で夫人を亡くし執筆をやめていましたが、6年間の中断を経て出したのがこの本です。息子のフェリックスが「おやじ、このままだとかみさんが書いていたんだと言われ続けるぞ」と。不撓(ふとう)不屈のジョン・ブル魂というか、ベッドシーンが出たりして急に若返りました。ところで『恋文』と『恋日記』、これ僕、昔熱中した本なんですよ。

20080229_07.jpg【佐伯】 内田百?は子どものころから文士志望で、あらゆる文章を活字化を前提にして書いていました。これだけは例外で、極めて個人的な内容ゆえに推敲(すいこう)もされていない。でも16、17歳とは思えない見事な文章です。

【児玉】 もらっている側の後に百?夫人となる清子さんもすごいですね。まだほんの子どもなのに。

【佐伯】 これも明らかに面白小説、それも大面白小説です。

【児玉】 『リンカーン・ライム』シリーズで知られるジェフリー・ディーヴァー。僕は悪人を書かせたらこの人より優れている作家はあまりいないのではと思います。『ウォッチメイカー』に登場するのも悪人なんですがその見事さといったら。ディーヴァーの容姿は火星人みたいに頭だけ大きくて脳だけで生きているみたいな感じなんです。異相にひかれて読んだら本も劣らずにすごかった。

【佐伯】 僕下手なんだ、悪人書くのが。

【児玉】 いやいや、そんなことはありません。それから『依頼人』は、法廷劇として最高傑作の一つです。ジョン・グリシャムはジャンクフードだなどと評する人もいますが、実はそうではない。弁護士経験のあるグリシャムは実際の体験をもとに、読者の知らない世界をえぐり出して壮大なフィクションとして提示してくれるわけです。

20080229_08.jpg【佐伯】 『夜愁』の表紙は魅力的です。

【児玉】 ストーリー展開の見事さが評価された前作の『荊の城』とは異なり、人間の心の闇を探りました。サラ・ウォーターズが作家として本来挑みたい分野で力量を発揮した作品といえるのではないでしょうか。

【佐伯】 『ジュラシック・パーク』は映画でも有名ですね。

【児玉】 マイクル・クライトンはハーバード大学の医学部を出て医者になろうとしましたが、学資稼ぎのために小説を書きました。遺伝子工学やナノ・テクノロジーなど現代科学の先端で何が行われ、近未来にどのような事態になるのか検証することがテーマです。しかし根底には、人間は科学だけでは割り切れない存在であり、神秘的な考察を加えなければ何も見いだせないのだという考えがあります。

時代小説の世界

【児玉】 ところで最近、時代小説が改めて脚光を浴びていますね。

【佐伯】 僕が書く麗しき世界、古き良き暮らしは、現代には存在していません。少し前なら、リアリティーがありませんと編集者から突き返されていた。それだけ現代は深刻な時代だと思います。現代に欠けているものを書いているような気がします。

20080229_09.jpg【児玉】 佐伯さんの描く主人公は、事に当たって安全な方へ逃避しません。読者としてうれしいところなのですが、敢然と困難に立ち向かっていきます。

【佐伯】 そのような強さに対するあこがれが作者にあるんです。

【児玉】 欲深い読み手としてはどのシリーズもずっと続けてもらいたいのですが、終焉(しゅうえん)することもお考えですか。

【佐伯】 昨年少し体調を崩したとき、結末をつける責任もあるのかなと、ちらっと頭をよぎりました。吉川英治さんが池波正太郎さんと講演旅行に出られて、明け方、まだお酒を飲んでいた池波さんに「終わった」と一言。「あ、『宮本武蔵』が終わったんだ」とわかったそうです。でも僕の場合はまだ近未来ではないです。『居眠り磐音』も50巻いけると思う。待っていただいている読者がいる限り書き続けようと思います。死ぬ日の朝まで書いていられたら幸せだな。

(2008/02/29)

児玉清 (こだま・きよし)
1934年生まれ。学習院大学独文科卒。東宝映画ニューフェイスとしてデビュー。芸能界きっての読書人として知られる。著書に『負けるのは美しく』『寝ても覚めても本の虫』など。
佐伯泰英 (さえき・やすひで)
1942年生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒。50代半ばで時代小説に転向して次々と大ヒット作を連発、当代きってのベストセラー作家となる。さわやかなヒーロー像が広い世代の共感を得ている。 
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