第13回「賢者は歴史に学ぶ」

基調講演/井沢元彦さん

文士劇、今も続く盛岡 井沢さんによるイントロダクション

20071211_01.jpg この「新!読書生活」が東京以外で開催されるのは初めてということなので、高橋さんと盛岡のかかわりについて少し説明します。

高橋さんは、日本でも指折りの物語作家です。普通成功すると、東京に住む作家が多いのですが、高橋さんは、大学時代に東京で学んだほかは、ずっと生まれ故郷である岩手県の盛岡に居を定めています。

高橋さんは非常に盛岡を愛しており、独自の文化を持つ都市にしたいと盛んに活動しています。

かつて文壇というまとまりが成立していた時代に、文士劇という催しがありました。長老作家がいい役を演じ、端役は若手作家に割り振られます。今はなくなってしまいましたが。

ところが盛岡では、高橋さんが中心となり盛岡文士劇が続いています。地元テレビ局のアナウンサーなどが出演するアマチュア芝居ですが、非常に完成度が高い。市民は年末の風物詩として楽しみにしており、毎回満員になります。

本日のテーマ「賢者は歴史に学ぶ」は、高橋さんからいただきました。とても深い意味を持っている言葉だと思います。人によって受け取り方がいろいろあると思うのですが、高橋さんはどのように実感されているのか、まず聞いてみたいと思います。

いざ歴史の世界へ 新しい自分を発見…トークショー

 コンプレックス

【井沢】 高橋さんは「歴史に学ぶ」ことを実感したときはありますか。

【高橋】 井沢君は昔から歴史に関心が強かったけど、僕は歴史をあまり学ばないで育ったんだ。歴史の勉強とは年号を覚えることみたいな感じがして、高校生になっても歴史が好きだったことは一度もなかった。

【井沢】 作家になる前は浮世絵の研究家だったわけでしょう。歴史とつながらない?

【高橋】 江戸時代の歴史は一応勉強しましたよ。でも浮世絵のときは、政治史にはほとんど関心がなくて、風俗史や文化史だけやってた。『写楽殺人事件』では田沼意次の時代の背景も描いてるから、担当編集者たちは歴史小説も書けると見込んだんだね。けれど全部断ってた。

【井沢】 どうして?

【高橋】 要するに20枚の短編のために20日くらい調べなきゃいけないじゃない。それは勘弁してくれと。もう一生歴史小説は書かないんだろうなと思っていたら、NHKから地方から見た東北の歴史をやらないかという話があって。

【井沢】 大河ドラマの原作となった『炎(ほむら)立つ』ですね。

【高橋】 史料がどれだけあるのか不安だったけど、東北地方が舞台なら関心が強い分だけやれるんじゃないかと思い引き受けたわけです。東北や蝦夷(えみし)の歴史を1年くらいかけて勉強したら、自分ががらっと変わっていた。それまで東北で生まれ育ったことに、どこかで卑屈になっていたわけです。東京で数年間暮らしたんだけど、アクセントとか直せなくて。

【井沢】 東北出身がコンプレックスだったんですか?

【高橋】 井沢君のような名古屋の人にはわからないよ。ところが『炎立つ』を書き上げたとき、自分が全然違う場所に立っていたんだよね。聞かれない限り出身地は言わないようにしていたのが、自分には蝦夷の血が流れているんだと積極的に言えるようになった。歴史を学ぶことで自分が変わった。歴史はものすごく大事だとそのときに実感したんだよね。

「炎立つ」

20071211_02.jpg【井沢】 『炎立つ』の執筆はどのように?

【高橋】 平泉の奥州藤原氏に関する史料は、読むのが大変なほどたくさんある。ところがそれ以前の時代に東北に君臨した安倍貞任の話は『陸奥話記』に少し出てくるだけ。アテルイにいたっては『続日本紀』に数行あるくらいでしょう。だけど史料がないからといって、想像だけで勝手に膨らませるわけにもいかない。

そこで、各地に残っている民間伝承を集めてみようと思いついた。NHKの支局を通じて東北6県の各市町村に頼んだら、半年の間に段ボール6箱分も届いた。

【井沢】 えっ、そんなに。

【高橋】 ちょうど自治体が郷土の歴史を熱心にまとめていた時期と重なったからね。でも全部伝承なわけだから、一つ一つを取りあげると荒唐無稽(むけい)なんだよ。ところが年代順に整理していったら、貞任やアテルイの戦った軌跡がきちんとつながった。

【井沢】 へえ。

【高橋】 町史だから、自分のところの話は深く掘り下げるけれど、アテルイが負けて隣の町に逃げてしまったらもう関心がないわけだ。だけどアテルイや貞任がこの洞穴に何日かこもってあっちの方にいったという伝承に沿って、逃げていったとされる町史を見ると同じことが書いてある。

道がつながるということは単なる伝承というレベルではないよね。歴史を封じ込まれてしまったために、東北には物語を言葉として伝えてきた文化があるんじゃないのかな。

【井沢】 『古事記』だって稗田阿礼が全部覚えていて口伝したことになっている。

【高橋】 今は活字が当たり前だから、口承の重要性は軽視されがちだけどね。

【井沢】 そういう歴史もあってしかるべきだと思います。

仰天の新事実

【高橋】 井沢君が『逆説の日本史』的なものを書くようになったのは、実は僕のアドバイスもあるんだよね。

【井沢】 そうですね。

【高橋】 井沢君の小説は、仰天の新事実を突き止めていたりするわりには、その大事さがあまり伝わっていない。文芸評論家は歴史の専門家じゃないから、すごさが今一つわからない。読者もわりと気がつかない。

【井沢】 フィクションの中だと、作ったお話だと思われてしまうんだね。何かを参考にして書いたんだろうと。

【高橋】 そこが井沢君の謙虚さだと思うんだけど。僕だったら、主人公に「これは僕だけが考えたことだ」と言わせるもの。すると読者も、あっ、これは高橋さんが考えついたことなんだとわかる。それを井沢君は書かないから(笑)。

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小学生で泉鏡花

【井沢】 ではそろそろお薦め本の紹介を。源義経が衣川では死なずに蝦夷地(えぞち)に逃れジンギスカンになったという昔からある話を小説化した『成吉思汗の秘密』。高木彬光さん、この人は天才だよね。

【高橋】 若いころ読んだときはただただ驚愕(きょうがく)だったけど、今見ても非常によくできてるね。義経北行説が明(めい)晰(せき)に書かれているので感心するよ。大先輩に感心したなんて失礼だろうけど。

【井沢】 だけど不思議なのは『樅ノ木は残った』にしても『燃えよ剣』にしても高橋さんが歴史に目覚めたという『炎立つ』執筆以前の歴史小説じゃないですか。

【高橋】 歴史小説の読書は勉強ではないと思ってたんだね。司馬さんの作品を大衆読み物とは言いにくいけれど、味わいとしてはそうだよね。だから自分が歴史好きとは思えなかった。

【井沢】 シュリーマンの『古代への情熱』だって歴史ノンフィクションじゃないですか。

【高橋】 小学生のころ布団をかぶって『江戸川乱歩全集』に夢中になっていたのですよ。そうしたら祖母に見つかり「こんなもの読むような子どもに育てた覚えはない」と、薪に火をつけられ目の前で焼かれてしまった。

乱歩の随筆でほめられていたので、小学生から泉鏡花や谷崎潤一郎を読んでいた。でも乱歩から教えられたという気持ちがあるから『走れメロス』のような教師が推薦する本とはどこか違うと思っていた。高校生になって、小説を書いている仲間に「鏡花読んでる」と言ったら「随分、読書家だね」と。そのとき初めて自分が本好きだったんだと思った。

【井沢】 歴史小説に対する関係と同じだね。

【高橋】 シュリーマンも小学生のころわくわくしながら読んだしね。僕は通史を読んでなかったから、歴史に興味がないと思い込んでたんだ。

【井沢】 『遠野のザシキワラシとオシラサマ』の著者佐々木喜善は、『遠野物語』に書かれている話を柳田国男に教えた人です。

【高橋】 喜善さんが集めた膨大な話を柳田さんが取捨選択した。そのとき二人の間で民俗学へのアプローチの仕方が明確に分かれた。そこで柳田さんと決別するような形でこの本がまとめられた。もちろん『遠野物語』は岩手県人にとって支えというか誇りだったけれど、喜善さんの本を読んで僕は衝撃を受けた。

【井沢】 シュリーマンも素人出身の学者だしね。

【高橋】 つまり在野の研究家が好きなんだね、僕って。

【井沢】 松本清張の作品のなかで『Dの複合』を選んだ理由もそれでわかった。浦島太郎伝説を基軸に郷土史家の苦悩が描かれている話です。素材が高橋さんの好みにあっているんだ。

【高橋】 おとぎ話として当たり前のように刷り込まれていることがひっくり返されるのが、歴史を学ぶ快感に通じるんだよね。

日本人と宗教

20071211_04.jpg【井沢】 ところで歴史を研究していると、日本人はどんな民族なのか、なぜこういう考え方をするのか、もっと直截(ちょくせつ)に言えば、日本人の宗教ってなんだろうという点に話が収斂(しゅうれん)してくるんです。でもこれはすごく難しい。

日本に限らず、キリスト教ではこう考える、イスラム教ではこうと宗教の違いにより、ある国では当たり前のことが、別の国では当たり前ではなくなってしまう。もっとみんな宗教に関心を持つべきだという思いで『仏教・神道・儒教 集中講座』を書きました。

【高橋】 ダンテを取り上げたのも同じ理由ですね。

【井沢】 そうです。ダンテの『神曲』を読むと、キリスト教とイスラム教は決して相いれないであろうことがわかる。だけど日本では、ダンテは西洋の偉い詩人で『神曲』というのはダンテ自身が主人公となって天国や地獄を巡る話であるという表面的なことしか教えない。宗教を知ることは大切なんだよと教えてもらったのが小室直樹さんの『日本人のための宗教原論』です。

【高橋】 そうですか。

【井沢】 『親日派のための弁明』を書いた金完燮さんは生まれたときから、日本が大嫌いだったという。ところがオーストラリアで英語の文献などを読んで考え方を変え、この本を書いたそうです。

戦場での感覚

【井沢】 山本七平さんの『ある異常体験者の偏見』は、戦場にいる感覚とはこうなんだということが論理的にわかりやすく書かれている。例えば、銃後の作曲家が作った戦場の兵士をたたえる歌は、実際に命を的にして戦っている人にとってはものすごく嫌なことなんだそうです。

【高橋】 「爆弾三勇士」の歌なんてのもそうかな。

【井沢】 平時の感覚ではなかなかわからないですね。戦場感覚と言えば、上杉謙信が単騎、武田軍に突っ込んだという話があります。そんなバカなことあるわけないじゃないかと一般には否定されていますが、私はやったと思っている。多くの将兵を失い、なおかつ自分のことを毘沙門天の生まれ変わりだと信じている謙信が大将の責任を果たそうと思うのが実は当然なんですね。

司馬さんの本を読んだことがない人には『国盗り物語』を薦めます。歴史の本筋を外しておらず小説としても面白い。

経験に学ぶ

【高橋】 ずっと聞いていて改めて思ったんだけど井沢君の歴史好きには驚くね。そろそろ締めにもっていこうよ。

【井沢】 「愚者は経験に学ぶ」という言葉もあります。第1次世界大戦で悲惨な経験をしたイギリス国民は、台頭するヒトラーを早くつぶすべきだというチャーチルの主張を受け入れず結果的に多くの人が死ぬということになってしまった。限定された知識の探求に偏らず歴史を大きなつながりで見ることが大事だと思います。

【高橋】 人間の行動とか思いは、何百年もほとんど変わっていない。自分が今直面していることは、歴史の中で必ず誰かが同じことをしてるんだ。歴史を読んでいると、なぜこんな愚かなことが繰り返されるのかといろいろ考えるよ。

歴史を堅苦しいものとは考えず、小説でもあるいは漫画でもいいから、ざっと目を通して川の流れを一度体感してみればいい。その中で気持ちのいい浅瀬を見つけたり、もう少し深いところで泳いでみたりという形でどんどん広げていくと、歴史の本当の面白さがわかってくると思います。

(2007/12/11)

高橋克彦(たかはし・かつひこ)
1947年生まれ。『写楽殺人事件』で江戸川乱歩賞、『緋い記憶』で直木賞、『火怨』で吉川英治文学賞に輝くなど受賞歴多数。NHKの大河ドラマ『炎立つ』『北条時宗』の原作を執筆。
井沢元彦(いざわ・もとひこ)
1954年生まれ。TBS報道記者時代に『猿丸幻視行』で江戸川乱歩賞を受賞。歴史推理、ノンフィクションに独自の世界を開拓する。著書に『言霊』『隠された帝』『逆説の日本史』『黎明の反逆者』など。
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