桜庭一樹さんの講演「職業としての物語作家」 in関西大学

 読売新聞社は活字文化プロジェクトの一環として、各地の大学と協力して読書教養講座を開催している。今回は関西大学で一般にも開放して作家の桜庭一樹さんを招いて「職業としての物語作家」をテーマに講演及びトークセッションを行った。

 

 今日は学生の方もいるので、まず、本の読み方についてお話したいと思います。私は子供の頃から本を読んでいましたが、最初にしたのは「本の中に自分を見つける」ということでした。「赤毛のアン」など女の子が主人公の本をたくさん読みましたが、当時、面白いと思った本はなぜか、みなしごの少女が出てくるものが多かった。今思い返してみると、自分はみなしごではないけれど、親や大人の知らない寄る辺ない自分というものがあったんだろうと思います。それを小説の中に発見して、さらに主人公たちが周りの人と仲良くなったり、試練を乗り越えたりする強さを見て、自分も勇気を得ていたんだと思います。私の「ゴシック」という小説は、そんな風に本の中に自分を見つけたいという読者のために書いたように思います。

 その次に、私は本の中に「他者を見つける」ということを始めました。私たちはいつから自分以外の視点でモノを考えることができるようになるのでしょうか。例えば自分に仲の悪いお姉ちゃんがいたとします。でもその姉の立場から見たら私みたいな妹がいるってどんな感じだろう、お母さんから見たら私たちのような子供がいることってどうだろう。そんな風に考えてみることを、私は読書をすることで覚えていった気がします。主に世代の違う人が書いたものや、海外文学、古典などから学んだと思います。読書というものは人間を多面的にしたり客観性をもたせたり、相対化できるようになったり、良い意味で複雑にすると思います。お若い方にはぜひ、自分から少し遠い立場の人の本を、ちょっとずつ読んでいってほしいと思います。

 自分が読んだ本について人と話すと、全く違う感想を持つ人がいたりして驚きます。コミュニケーションのツールとして、本や映画などのフィクションはとてもいいものだと思います。いまはネットやSNSがあると思うので、会ったこともない人とでも話すことができる。本を読んだあと、人と話して、全く違う意見にも触れて欲しいなと思います。

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 こうしていっぱい読んだことがどう作家になることと結びついたのか。今でも覚えているのは、小説には構成があると気付いたときのことです。20歳くらいのころ、シドニィ・シェルダンというアメリカのミステリー作家の作品を読んでいました。2人の主人公のお話が交互に出てくるんですが、関係のない話を交互に読まされていると思っていたら、後半にその2人が出会って、大きな事件があって・・・という風に展開していく。その構成が「Yになっている」とすごく驚きました。そうして改めて本を読んでみると、登場人物たちが、あみだくじみたいな形でつながっていくものもある。構成が形として見えたとき「こうやって小説って作るんだ」とわかった気がします。それまでは小説を書こうとしても自分が好きなシーンばかりばらばらに書いてまとまらなかったのが、構成を作っておけば最後まで書けるというのがわかりました。いきあたりばったりでラストまで書けない人は、参考にしてもらえたらと思います。

 物語には昔からのパターンがあって、それを使うこともあります。たとえば、「貴種流離譚」というのがあります。高貴な王子様が殺されそうになって川に流されたりして、そこを貧しい人に救われ、自分は王子様だと知らずに生きてきただけれど、いざ戦争が起きたときに王子になって元の場所に戻って戦争に勝って王様になる・・・というような古今東西のひとつの物語のパターンです。みんなに分かるパターンというのが、ずっと繰り返して書かれていて、それがギリシャ神話からきているんだとわかったりすると、と書くことも読むことも楽しくなってきました。

 それから、いますごく腹が立ったけどなんでだろう、感情としてあるんだけれど伝えられない、と感じた経験がみなさんにもあると思います。有名な話ですが、昔の日本人に「恋愛」という観念がなく、外国から「LOVE」という言葉が来るまでは「情」と「欲」しかなかったといいますよね。でもそういうふうに言葉がないけれど普段からもやもやしているものがきちんと書かれた小説って、読者からすると「わかる!」となります。もやもやを必ず覚えておいて、あるときそれが物語になることを信じてそっと大事にしておくといいと思います。

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 そういう風に読むことが書くことにつながっているので、私が次に何を書きたいかを最後にお話したいと思います。いま私は新聞で古典を読んで紹介する連載をしていて、今までバラバラに読んでいたフランス文学を年代順に読んでいます。フランスでは貴族が主人公の古典主義という時代をへて、18世紀末にフランス革命が起きて、庶民の時代がきます。自分たちも夢を叶えられるし何でもできると庶民が思うようになって、その頃書かれたのがロマン主義と呼ばれる「レ・ミゼラブル」とか「三銃士」とか「モンテクリスト伯」で、私は昔、こうした本を読んで長い小説を書くようになったのだと思い出しました。いまようやく第2次世界大戦の頃まで読み進んできて、人間社会の不条理を描いたカミュの「異邦人」を読みましたが、若い頃にはわからなかった「不条理」が、今は面白く感じられるんです。なぜかと考えてみると、今、私は年をとり始めているんですが、年を取るということは「不条理」なことだからではないかと思うんです。だから自分も、そうした小説を書いてみたいと思い始めたところです。

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