西南学院大で町田康さん、ロバート キャンベルさん講演

町田 康さん講演 「内面の作成」

何種類もの人生 小説で体験

掲載紙 町田氏2.jpg 「何で小説書いてるの?」と言われます。正直言うと頼まれたからです。その前に詩を書いてたのも頼まれたから。その前は歌詞です。

 これは初め、変だと思われた。ロックの歌詞と違う文法というか、ロック的な、凶悪な感じとかのイメージから外してた。そういうのがおもしろくなかったので、それから派生して小説を書くようになったんです。

 小説とは何か。一つには内面を書くことと言えますね。しかし、内面って何のことだかわからない。そこで、ウィキペディアで調べてみると、「それがあることを分かりながらもそれそのものを決して知ることが出来ないというニュアンスで用いられる事が多い」とある。

 あるのはわかってんねんけども絶対に知ることができないものは書けない。そのとき、他人の内面やからあかんので、自分の内面やったら書けるのではないかと思いました。他人から見たら、自分は他人、読んでる人からみたら他人の内面を書いてることになる。

 ただ、自分のことをまじめに書こうとすれば、だんだんその内面というのがないんだってわかってくる。生まれてからのことを順番に並べるのは内面とは違う。じゃあ、どうやっているのか。つくってるんです。書きながら内面を無理やりに。書いていると、内面みたいなものが、ないものが生まれていってるんです。

 個性も、内面の作成とちょっと似ています。自分の純粋な世界をつくるって難しいことで、時々美しかったり感動したりもするけど、逆の面もある。自分の気に入ったものしか置いてない部屋みたいで、自分はすごく居心地がいい。だけど、ノイズとか、雑の要素を拒むということはその個性のなかにとじこもって、他人を知ることとはすごく遠いところに行ってしまうおそれがあるんですよね。

 自分の中に、いろいろな雑なもの、毒がまざってくることを歓迎したい。生きてると、つねに何かにまみれます。読書というのは内面を聖域に置かないことです。そうすることで決して知ることができないというものの、感触、気配を一瞬垣間見ることができるんじゃないでしょうか。

 小説家の稲葉真弓さんが谷崎潤一郎賞のインタビューで、「小説は、登場人物に託して様々な人生を描ける。本を書くたびに、生き直している気分になります」といっています。すごく深い言葉です。読者も小説を読むとき、何種類もの人生を生きていくっていうことなんですね。

1962年大阪生まれ。19歳でパンク歌手デビュー。97年に小説「くっすん大黒」で、野間文芸新人賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞、2000年には「きれぎれ」で芥川賞を受賞。その後も「権現の踊り子」が川端康成文学賞、「告白」が谷崎潤一郎賞、「宿屋めぐり」は野間文芸賞を受けた。 

町田 康さん × 西南学院大 学生 トークセッション

言葉のテンポ魅力「個性って、苦しみ」

トークセッションは、率直でスピード感のある応酬だった。興味をそそられるテーマがいくつもあったが、学生が町田さんを招くきっかけにもなった、言葉のテンポの魅力もその一つだ。
 中島教授が、音楽がもつ音の自律性と絡めながら、音のテンポと結びつく読書体験を尋ねると、町田さんはまず筒井康隆さんの「夜を走る」を挙げた。「タクシー運転手の大阪弁のモノローグ。独白体がすごくおもしろいと思ったのが中学生ぐらいかな」
 次に、久生十蘭さんの短編「姦(かしまし)」や落語「寄合酒」。独白体が共通で、「デビュー作なんかの語り口に影響があるとすればそういう読書体験だろう」と話した。
 感動ストーリーを町田さんならどう描くだろう。そんな期待も寄せられた。
 「読者の感情をこっち側に持っていこうとか、あんまり思ってなくて」と町田さんは切り返した。書いているとき、その人がどっちに行くか読めないという。「人間の感情って、そんなに簡単なものじゃないと思うんですよ」
 視線はやわらかく、鋭く、たとえば、会話についても向けられた。「言葉は大学のなかとか、自分の属している業種、業態、業界の人同士でなんとなく通じているだけ」で、ベーシックなところではほとんど通じてないではないか、と指摘。
 就活などに戸惑う学生には、「なんかええことみたいに言うてるけど、苦しみなんですよね、個性というのは」と伝えた言葉も印象的だった。

掲載紙 聴講客.jpg

ロバート キャンベルさん講演
「能古島の上にも『枕草子』の月はおどる」

時代超えた示唆 古典の中に

掲載紙 キャンベル氏.jpg 日本語、日本文学に出会ったのは大学で小説の歴史を学んだときです。世界最古の小説は西洋ではなく、「源氏物語」と聞き、19歳の私は11世紀の日本の、京都の、貴族というせまい世界で生み出されたことに感動したのを覚えています。

 中学生の頃から小説が好きでフランスの小説をよく読みましたが、源氏を英訳で読み、時代も文化基盤も遠いのに時空を超えて訴えかけてくるリアリティーみたいなものを感じました。

 源氏の次に読んだ「枕草子」や「徒然草」にでてくる月は、私にとって人間の心情を呼び覚ますイメージと連動していました。景色が自分の心と重なっていくような体験でした。フランスの小説では、たとえば、フロベールの月だと感じたことはありませんね。

 最近の日本は閉塞状況にあると言われます。高齢化や少子化、世界の金融危機。日本はどう生き残っていくのか、悲観的な論調が多いようですが、私は少し長いスパンで、社会を、自分の立ち位置を考えてほしいと思っています。

 新聞を毎日読むのは大事ですが、そればかりでは気がせいてしまう。ときには10年前、200年前に書かれたものを読む。困ったときに人はどう振る舞ったか、高揚と屈折を乗り越えながら現在があることを確かめられる気がします。

 橘曙覧(たちばなあけみ)という歌人は幕末、いまの福井県で読み書きそろばんの塾をし、古典を学び、それを土台に武士たちに発信をつづけました。

 その人に、「独楽吟(どくらくぎん)」という52首があります。「たのしみは」で始まり、「時(とき)」で終わる。間を自在に組み替え、幸福とは、生きるとはこういうことだと感じさせてくれます。

  たのしみは珍しき書(ふみ)人にかり始め一(ひと)ひらひろげたる時
 
 珍しい本を借りてきて1枚目を開くときのワクワク感が伝わってきますね。

  たのしみはあき米櫃(こめびつ)に米いでき今一月はよしといふとき
  たのしみは家内(やうち)五人(いつたり)五たりが風だにひかでありあへる時

 物質的には恵まれませんでしたが、貧しいなかに見いだす小さな幸せ。家族を率直に描き、思いやる作品も江戸時代の男の作家では珍しい。いとおしく感じます。

 読書を通じて、言葉も場所も時代も離れている世界を知ることができます。それが、大震災のような難しい事態に直面したとき、何を糧に、どんな姿勢で未来へ歩めばいいのか、示唆を与え、背中を押しつづけてくれるのだと思います。

1957年ニューヨーク生まれ。ハーバード大学大学院博士課程修了。2007年から東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は江戸から明治期の日本漢詩文。著書に「Jブンガク」など。編著書に「読むことの力 東大駒場連続講義」がある。テレビの教育番組、クイズ番組にも出演している。 

キャンベルさん × 西南学院大 学生 トークセッション

 漱石作品の情景リアリティー追求

夏目漱石の「こころ」を読み直した学生たちとのセッションで、作品の舞台となる下宿というものとの距離感について興味深いやりとりがあった。
 キャンベルさんはアメリカで読んだとき、外から声が聞こえてくる下宿とはどういう家なんだろうと思ったそうだが、じつは現代の学生にも想像しづらい空間であるらしい。ふすまの向こうから漏れてくる声、伝わってくる人の気配。そうした感覚にリアリティーをもてないようなのだ。
 西洋と日本という遠さ、明治と現代という時の隔たりをどう埋めるのか。キャンベルさんは、言葉を知りその地を訪ね、イメージを結べるようになったと語った。学生たちはインターネット上で見つけた「こころ」の下宿の間取り図を手がかりにした。そこに登場人物の人間模様を重ねてみる。新鮮な試みに映った。
 キャンベルさんが学生たちに、「いまは幸せ?」と問いかけた場面も面白かった。20代男女の7割前後が今の生活に満足と答える一方、同じくらいの割合で不安を感じているという内閣府の調査結果を挙げた。
 それについて、一人の学生は「自分より不幸な目にあっている人に比べればということで、心から幸せと思っている人はあまりいないのでは」と述べた。
 どう受け止めればいいのか。三宅准教授は文学のあり方に触れながら「満足感と不安感の間にあるはずの葛藤を、じつは見たくないものとして蓋をしているのではないか」と指摘した。
 掲載紙 キャンベル+学生.jpg

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