村山由佳さんの講演「別れが教えてくれること」 in関西大学

    読売新聞社は活字文化プロジェクトの一環として、各地の大学と協力し読書教養講座を開催している。今回は、関西大学の学生限定での講座に作家の村山由佳さんを招いて「別れが教えてくれること」をテーマに講演を行った。

 

私は小さいころから、何度か本に救われるという経験をして、お友達が「ケーキが好きだからケーキ屋さんになりたい」と言うのと同じように、「本が好きだからお話を作る人になりたい」と言いながら大人になりました。作家デビューしたのは28歳のとき。デビュー作「天使の卵」は映画にもなって話題になったけれど、作家に「なる」ことより大変なのは「作家でいること」です。カレー屋さんやラーメン屋さんだったら、今日と同じ味のものを明日も出すことが使命。でも作家は2度と同じ球は投げられない。どうしたら毎回、読者の予想を裏切り続けることができるのか。結局は自分の引き出しを増やしていくしかなくて、それが実は一番しんどいことです。そのために自分の知らない世界へどんどん飛び込んでいき、自分の常識を覆してくれるような人と出会ってきました。

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    28歳でデビューしたとき、私は結婚していました。先に言っておきますが、今まで2度結婚して、2度別れています。最初のだんなさんは教師でした。デビュー作の「天使の卵」が話題になり、こちらの稼ぎがどんどん増えていったとき、だんなさんは目くじらたてたりしませんでした。むしろ職を辞めて主夫になることを選び、私が書くことを支える側に回ってくれた。ありがたかったです、すごく。そうして10年たったとき、私はたまたま、直木賞を受賞しました。受賞後第1作を出すとなったとき、私は、読者に恩返しできるような小説を書きたい、と思いました。その過程で彼と、大げんかをしました。 彼は私が書いた第1章を読んで、「読者が読みたいのはこんなものじゃない」と言いました。当時の私は脱皮をしたい時期で、自分にはこんなものも書けると証明したくてしょうがなかった。それと同時にいままでの自分の殻が窮屈になっていた。私が書きたかったのは、体から始まる恋愛だった。トラウマがあって最初から心で恋愛できない女性のことを書きたくて、第1章を書いたんです。でも結局、一番大事なことを譲ってしまうという結果になりました。いまは、書き直したもので良かったと思っていますが、そのとき「これから先、本当に書きたいと思って勝負をかけたとき、この人の検閲を通らないと世に出せないんだ」ということが骨身に染みてわかりました。私は自分で自分のことをすごく普通だと思っています。そしてまたそれが武器だと思っている。普通のところがあるから多くの読者とつながれるんだと。でも、物書きとしてこういうものが書きたいと強く思ったとき、私はそれまで支えてくれただんなさんへの感謝とか、今ある暮らしの幸せを優先することができなかった。猫1匹を連れて、生まれて初めての一人暮らしを始めました。

   「放蕩記」という小説に書いたように、私の母親は厳しい人でした。小学生の頃から文章の書き方を手ほどきしてくれた人ですが、ちょっとでも口答えすると平手打ちがさく裂する。エキセントリックで、その反面、魅力的な人でもありました。その母の支配を逃れたいと思って結婚した相手もまた、同じような人だったんです。

 根っからの恋愛体質なので、その後もいくつかの恋愛をし、血を吐くような恋もしました。でも作家というのは命汚いというか、「この気持ちもこれで書ける」って思うんですよ。経験していないことって言葉にならないですからね。

    話すとか書くっていうのはひとつの翻訳です。自分の経験をぴったりくるような言葉に置き換えて相手に伝える。私は自分の中にあるものを翻訳して小説にする。色合いや匂い、もやもやするものを、言葉を選んで順番も選んで文章を作ってみなさんに伝えます。それをみなさんが、もう一度翻訳しながら自分の体の中に落とし込んでいるんです。私の野望は、私の中にある情景や匂いをそのまま受けとめてもらうこと。絶対無理なんですそんなこと。でも、なるべく近い形で伝えたい。そのためにみなさんに優しく浸透するような言葉や物語を選んで、託すと言うことができたらいいと思う。

    みなさんは恋愛をしていますか?余計なお世話かもしれませんが、一生に一度くらい、馬鹿になれるような恋愛をした方がいいですよ。恋愛って本当にうまくならない。年を重ねても、相手を変えても同じところでつまずく。結局は自分の抱えている問題につまずくんだと思う。そうしていくつかの恋愛で失敗したのちに、私は2度目の結婚をしました。9つ年下の人でした。ものすごく相手に尽くしましたが、大借金を作ってくれて、それでお別れました。今、そのお金を返すためにいま、デビュー以来、一番働いています。しんどいけれど、火事場の馬鹿力みたいにして書ける小説があると思っています。

 本を書くには、取材が必要です。これまでロシアに行ってシベリア鉄道に乗ったり、アフリカのケニアに滞在して国立公園を訪ねたり、モンゴルを馬でゆくということをしました。理屈でわかっていることと、体で感じて臓腑(ぞうふ)にたたき込まれてわかることは違います。ぜひ皆さんにも、旅をして、一期一会の経験をしてもらいたいと思います。自分でバックパックを背負って、一人旅をしてほしい。できたら自分の常識が通用しないところへ。何のナレーションもついていないまっさらな状態で、あなた達自身が最初のインパクトを感じる経験。終わったあと、絶対生まれ変わっているはずだから。

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    みなさんの親御さんは健在ですか?私はこの4月、父がいる千葉の南房総にサプライズで会いに行こうとしました。途中で電話をかけたら連絡がつかず、いやな予感がして家のドアをあけたら、倒れている父の頭がみえました。私は父が大好きだったので本当に泣きました。お葬式のときに、認知症で施設に入っている母に、棺の中の父を見せました。すると、誰が誰かもわからないはずなのに「あ、お父ちゃんか。よう寝てはんねんなあ。起こしてあげたらかわいそうやなあ」と言ったんです。私はいまだに母のことを「愛している」とは言えないくらい鬱屈があるんですが、たぶんあのとき、私は生まれて初めて母と同じ気持ちを共有したのだと思います。そういう瞬間を父は自分の死と引き換えに与えてくれた。そういう別れもありました。

 言葉っていうのは不完全です。だけど、物書きの私が諦めたら終わり。東日本大震災のあと、小説なんかで何が伝えられるんだろうと悩んだこともありました。そんなとき、仙台でサイン会があって、ある男性がボロボロになった私の本を持ってきてくれた。そして、「避難所でこればかり読んでいました。あの現実から目を背けるには、フィクションに逃げるしかなかった。僕を正気でいさせてくれたのはこの本です」と言ってくれた。私はあの人の、あの言葉に支えられて今も作家をしています。

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