十文字学園女子大学 活字文化公開講座

外山滋比古さん基調講演 「我流読書のすすめ」

桑をはむ蚕のように

私が生まれた愛知県の片田舎は、当時、文化果つるところであって、周囲を見渡しても本のある家を見かけませんでした。私が教科書以外の本を初めて読んだのは、小学校6年のころ。大けがし入院した際に、父に『小学年鑑』を買ってもらった。データブックを何回も読み返したおかげで、日本一長い川や昭和初期の都市の人口などを次々に覚えていきましたが、これは読書とは言えません。しかし、不幸のときとか、何か困った際に読む本というのが自分にとっていい本であるということを経験しました。

外山滋比古バストショット.jpg 文章を読んで、初めて心を揺さぶられたのは中学3年生になってから。寺田寅彦の『科学者とあたま』という文章を教科書で読み、言葉の使い方を教わりました。科学では頭の良くない人が案外立派な仕事をするという内容にも大変興味を持ちました。

 その後、東京高等師範学校に入学し、寺田寅彦と再会することとなりました。寮の図書館に出版されたばかりの『寺田寅彦全集』がずらっと並んでいたので、全巻を読み通そうと考えて、半年以上、寅彦ばかり読んでいました。

 一方、英文科なので外国語の本を読まなければいけない義務感もありました。こちらは、英語と格闘のすえ、300ページぐらいの本を最後まで読み通す力がつきました。本の裏の扉に「何月何日読了」とかくときの達成感や自身は、いまだに忘れられません。と同時に貴重なことを学んだ。1冊の本を読むなら最後まで読む、もし読めないならなるべく早いうちにやめてしまうということです。真ん中あたりまでいってやめるのは一番悪い。これはいけるか、いけないか、すこし読んで見当をつければ、1日で2冊も3冊も読めます。そうやって数多くの本に当たってみると、一生の間で、「心の本」といえるような本に巡りあえると思います。

 その後、愛読したのが、内田百?の『百鬼園随筆』。美しい日本語で書かれており、繰り返し読めば、自分の持っている日本語力はかなりあがると期待した。そこで百?の文庫本8冊を選び、8冊目を読み終えるとまた最初に戻るということを25回から30回ほど繰り返しました。15年ほどかかりましたが、日本語の素晴らしさを実感することができました。

 わからないところが残った本、しかしどこか心を引かれる本は期間を置いてもう1回読んでみると、前よりはずっと理解でき、おもしろくなっています。百?を通じ、寝かせてから読む大切さを学びました。

 それから、読書は朝にすべきです。「蛍雪の功」という言葉があるように、昔から本は蛍の光と雪あかりで、夜に読むとされてきましたが、私はこれを一種の迷信だと思う。1日仕事をした後の夜に、疲労と眠さをこらえて本を読んでも非効率。そこで前日は早く寝て、6時までに起床し、30分ほど全身を集中させれば、難しい本でもかなり読めます。最近は学校でも朝の10分間読書が行なわれていますが、これはなかなかいい試みだと思います。

観客.jpg 本は自分なりの「我流」で読むことが大切です。それを繰り返していれば、知的個性が生まれてきます。正しい読み方はひと通りではないのです。1冊の本を誠心誠意読み、自分はこうだと思ったら、その判断、理解に自信を持つ。自分の努力、自分の知力、自分の経験などを総合して、火花を散らすように本にぶつかり、今まで気がつかなかったところが見えたりすれば、本というのはかけがえのないものになるはずです。

 私は、読書というと蚕(かいこ)を思い出す。蚕はものすごい勢いで桑の葉を食べ、あっという間に大きくなる。本もそのように猛烈に読まなければならない。そして、青い桑を食べた蚕は純白の糸を出して、繭(まゆ)を作る。借り物ではないまったく異なったものを作り上げていくのです。そういった点で、蚕にあやかりたい。一心不乱に本を読み、一心不乱に考えて、自分なりの世界を紡ぎ出す—–読書を通した自己創造こそが明るい未来を切り開くと思います。

◇とやま・しげひこ 1923年愛知県生まれ。47年に東京文理科大学英文科卒。東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授を歴任し、89年同大名誉教授。文学博士。十文字学園理事、十文字女子大附属幼稚園園長も務めた。英文学のほか日本語論、教育論の著作も多く、『思考の整理学』はミリオンセラーになった。

鼎談 外山滋比古さん + 十文字一夫さん + 横須賀薫さん

読書は「人間力」の源

 【横須賀】 十文字学園女子大学は、2011年度から教育体制改革の核として、教育と学生が1冊の本を読むゼミナール「読書入門」をスタートさせ、学生のコミュニケーション能力強化を図ります。本日大きな示唆をいただいた外山滋比古先生と、東京教育大学附属中学時代から外山先生の薫陶を受けた本学園の十文字一夫理事長に、「言葉と活字による教育の充実」について、お聞きします。

文字理事長アップ.jpg【十文字】 お茶の水女子大学附属幼稚園を経験され、幼児教育にも精通しておられる外山先生は、1991年から15年間、十文字学園理事、97年度には本学附属幼稚園園長を務めてくださいました。長年のご経験から、「言葉の習得」という教育の起点をどのようにお考えですか。

【外山】  子供は全く言葉を知らずに生まれてくるのに、40か月ぐらいで母国語をほぼ不自由なく使うことができる。先生の教え方と無関係の素晴らしい能力です。しかしそれをいいことにして、人類は今まで生後40か月の言葉の教育を真剣にしてこなかった。母親の教えが十分になされず、子供は不幸な状態のままです。言葉を最初に覚えるまでの苦労を軽くして、よい言葉を身につけさせるのが人類共通の課題なのです。

【十文字】 家庭環境、特にお母さんの影響が非常に強いということですね。

鼎談アップ.jpg【外山】  私は、中学生に英語を教えたことがあります。その際、外国語を勉強する前に自分の母国語をしっかり身につけているかどうかが大切だと気付きました。今の家庭では、小さい子供の向かって、主語と動詞と目的語のある完全なセンテンスで、きちんと話している大人はほとんどいません。子供はフレーズと短い句があれば言葉ができると思い込んでいる。我々の話し方が不十分なのは、「魂としての言葉」を十分に相手に伝えられないからです。家庭の子育ての責任は重大です。

【十文字】 子供が大人へと成長していく段階で、読書は極めて大事です。「読書には正解がない」という洞察や、「本を読んで何か自分なりのものをつかもうとする」読書の方法はとても参考になり、読書教育や国語教育における方法論を見つめ直す機会になりました。学校教育での「本の読ませ方」をどう受け止めておられますか。

【外山】  国語の教科書の文章は、切れっぱなしで短い、しかも物語が中心です。かつては小学校の国語の先生は大体、文学青年・文学少女でした。文学的な作品教材には一生懸命になっても、そうでない散文になると力が入らない。本来、散文が基本であって、そのうえで創作的な小説や物語を読ませるのなら結構ですが、まず小説・物語・創作から入っていって、そこから出ない。たいへんな欠点です。

横須賀薫アップ.jpg【横須賀】 おっしゃる通りですね。特に小学校の国語教育の教科書の教材が気になります。戦後から今日に到るまで、いわゆる文学趣味に彩られているのです。教える先生には嫌がる子供たちの気持ちが分からない。むしろ論理的文章をしっかりと読む訓練こそ大切です。

【外山】 国語教育を受けたからといって、哲学に興味を持つ可能性はゼロに近い。いろんなものに興味を持てばよいのに、そうなりません。言葉はオールラウンド、オールウェーブですから、いろいろ幅広く学校で教えて、「本を読む」土台を作っておくべきです。「本を読む」経験は、教科書の1000字程度の文章を読むのとは別。国語の試験で良い点を取っても本は読めないかもしれません。

【横須賀】 私たちが「本を読む」意味はどこにあるのでしょう。

【外山】 子供のころ、母親がとっていた婦人雑誌の恋愛小説をこっそり読みました。母親が買い物から帰るまでの間だけ(笑)。「禁じられた本」は面白いですね。しかし活字に飢えていた昔と違い、腹いっぱいの現代の子供たちに読書の面白さを教えるためには、「本を読めば自分という人間を高めることができる」大切さをはっきり分からせ、意欲を高めるしかないでしょう。「本を読む」価値は、自分で発見しなければいけません。大学での勉強でその意義を体得できれば、人生にとって大きな意味を持つはずです。

【横須賀】 この外山先生のお話を受けて、今後の十文字学園として力を入れる点をお聞かせください。

【十文字】 教員養成は、十文字学園女子大学にとって重要な課題です。本学では、小学校教員採用試験に合格した23人を含めて小学校教諭、幼稚園教諭、養護教諭そして保育士の資格を取得し約200人が、教育関係者として今春の卒業式で巣立っていきます。卒業生たちは、これからが正念場であり、“本物”の先生になれるよう本学として今後の支援を考えています。
 鼎談全景.jpg

◎主催 十文字学園女子大学、活字文化推進会議
◎主管 読売新聞社
◎後援 文部科学省、文化庁

活字文化公開講座の一覧へ戻る ビブリオバトルとは

ご登場いただいた著名人