活字文化公開講座 in 近大フェア「文芸漫談ー笑うブンガク再入門」

対談「文芸漫談—笑うブンガク再入門」

言葉で感情に訴え/奥泉さん お金使わず心つかむ/いとうさん

20070729_01.jpg【奥泉】 今日は「文学力」という概念について考えてみたい。

【いとう】 老人力とか鈍感力のようなもの?

【奥泉】 少し似ている。文学は人を外から動かす力だ。小説を読んで感動したり……。

【いとう】 泣いたり、笑ったり。おれもこんな風に生きたいと思ったり。

【奥泉】 文学力以外にも、力にはいろんな種類がある。暴力、経済力、法律、政治、宗教の力……。でも、文学力にはほかの力と違うところがある。

【いとう】 文学だから、当然言葉でできている。

【奥泉】 それをいうなら、法律も政治も言葉だ。

【いとう】 確かに宗教も言葉で成り立っている。

【奥泉】 文学力の最大の特徴は、言葉で人間の感情に訴えかけてくることだ。

【いとう】 例えば?

【奥泉】 ここは大阪なので阪神ファンが多いはず。もし阪神ファンを楽天ファンに変えることができたら、それはすごい力だ。

【いとう】 暴力で「楽天ファンになれ」と脅すとか、経済力を使って「楽天ファンになったら100万円あげる」とかできる。

【奥泉】 文学には何ができるのか?

【いとう】 例えば楽天の野村監督がいかにすばらしい人間かということを訴えたドキュメンタリーを読ませる。感動して楽天が好きになるかもしれない。

【奥泉】 そこで重要なのは理屈じゃないこと。理屈で阪神ファンを説得しようとしてもなかなか難しい。仮に100万円もらって楽天ファンになったといっても、心の中では阪神を応援しているかもしれない。でも文学は感情のレベルで人を動かすことができる。心の中まで楽天ファンに変えられる。

【いとう】 それは恐ろしい。洗脳と似ている。

【奥泉】 その可能性はある。それがほかの力にはない文学だけの可能性だ。

例えば今日から僕が八尾の独裁者になったとする。反抗する人は強制収容所にいれ、支配しやすい法律を作るだろう。市民は怖いから僕の言うことを聞くかもしれないけど、心の底では怒っているかもしれない。

20070729_02.jpg【いとう】 ではどうやって八尾市民の心をつかむのか。

【奥泉】 僕の伝記を作って「奥泉はすばらしい人だ」と思わせ、文学の力で支配する。

【いとう】 お金も暴力も使わなくても、文学は人の心をつかむことができる。

【奥泉】 文学を利用しない政治勢力はない。例えば太平洋戦争に向かう中で、日本はさまざまな形で文学を使い、国民を戦争へと駆り立てていった。

【いとう】 「鬼畜米英」という言葉がそう。日本が米英と戦ったのは事実だが、その前に付けた「鬼畜」は文学だ。「鬼畜」によってイメージを植え付けた。

【奥泉】 文学の力はいいものとは限らない。文学をやるのは危険物を取り扱うようなもの。僕が提唱する文学力は、そんな圧倒的な力に対して、一人ひとりが対処する方法だ。

【いとう】 どうすればいいのだろうか。

【奥泉】 簡単に感動しないことだ。感動は人間の生を豊かにするが、レベルの低いものに感動していると、文学の恐ろしい力に流されてしまう。近ごろは安易に感動しすぎる風潮があって気になる。

【いとう】 抗体を打って免疫をつけるようなものだ。そうすればいい文学を見分ける力が出てくる。

【奥泉】 つまり文学力とは、感動する力であり、同時に批評する力でもある。感動するなというのは無感動になれということではない。より大きな感動を得られるための体力を付けようということだ。

【いとう】 文学力を付けるためには何をすればいいのか。

【奥泉】 大きな感動をもたらす作品に出合うしかない。文学力が弱いと、すばらしい作品があっても読めない。小さく凡庸なもので感動してしまう。

【いとう】 それでは誰かが意図した感動の物語に流されてしまう。

【奥泉】 人を幸せにするのが文学。幸せの根本にはより大きな感動がなくては。

【いとう】 中学の時の先生に、モーパッサンの「女の一生」に感動して、本を天井に何度も打ち付けたという人がいた。

【奥泉】 僕はドストエフスキーの「悪霊」を寝ながら読んでいて、感動のあまり体がよじれた。

【いとう】 泣くのではなくって?

【奥泉】 泣かない。泣いてもいいけど、泣くだけではないさまざまな感情を惹起(じゃっき)されるのが感動の本質だ。文学の理想はそれまで我々が知らなかった新しい感情を発見することだとも言われている。

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【奥泉】  それではみなさんにお勧めする文学ベスト3を。

【いとう】 レーモン・ルーセルの「アフリカの印象」は、僕の人生を変えた。文化人類学の本かなと思って大学生の時に読んだら、とんでもない本。起承転結も何もなく、言葉遊びだけで物語ができている。そのクールさに、「すげえ、おれもこんなことやってみたい」とあこがれた。

【奥泉】 それが3位?

【いとう】 そう。奥泉さんの3位は?

【奥泉】 夏目漱石の「吾輩は猫である」。小学校6年の時に読み、僕の運命を決した本だ。小6から中3までの4年間、夏休みの感想文はずっと「猫」にした。では2位は?

【いとう】 中上健次の「日輪の翼」。切ない物語だ。代表作の「枯木灘」より読みやすいと思う。

【奥泉】 僕はさっきも言った「悪霊」。最初は退屈だったが、100ページを超えたらジェットコースター状態。途中で降りることができなかった。

【いとう】 1位はローレンス・スターンの「トリストラム・シャンディ」。本の1ページが真っ黒に印刷してあって、「闇であった」なんて書いてあったりする。18世紀の昔にこんな前衛的な本が既にあったとは。

【奥泉】 今の方がむしろ、小説の型にとらわれすぎている。もっと自由にやっていいし、やれることがあるはず。

【いとう】 では1位は?

【奥泉】 「旧約聖書」。キリスト教徒やユダヤ教徒以外の人にとっては、ものすごく小説的なテキストだ。「旧約」で感動できれば文学力は相当なもの。僕は30年かけて読んできたが、まだ読み終わっていない。今後30年かけても読み終わることはないだろう。

いとうさんのベスト3

1.レーモン・ルーセル「アフリカの印象」(平凡社)
アフリカのとある帝国で、皇帝の聖別式が行われる。広場で処刑される3人の囚人、魅力的な見せ物の数々……。ヌーボー・ロマンに大きな影響を与えた1910年のフランスの小説。

2.中上健次「日輪の翼」(小学館文庫ほか)
故郷・熊野の路地から立ち退きを迫られた7人の老いた女性が、若者たちの運転するトレーラーに乗って、全国を放浪する。

3.ローレンス・スターン「トリストラム・シャンディ」(岩波文庫、上中下巻)
ヨークシャーの地主階級に生まれたトリストラムが、半生を回想する形式をとりつつ、脱線に次ぐ脱線で奇妙なユーモアの世界を作り上げている。

奥泉さんのベスト3

1.夏目漱石「吾輩は猫である」(岩波文庫ほか)
中学教師の苦沙弥(くしゃみ)先生と、その書斎を訪れる紳士たちの交遊を、飼い猫の視点から風刺的に描き出す。

2.ドストエフスキー「悪霊」(新潮文庫ほか、上下巻)
実在のアナキスト革命家による転向者のリンチ殺人事件に材を取り、さまざまな登場人物同士の思想的葛藤(かっとう)が展開する。

3.「旧約聖書」(中央公論新社ほか)
ユダヤ教、キリスト教の聖典。前12世紀から前3世紀までの間にイスラエル民族が生み出した記録。アダムとイブやカインとアベルなど、日本人にもよく知られる物語が収録されている。

(2007/07/29)

いとうせいこう
作家、クリエイター 1961年東京都生まれ。99年「ボタニカル・ライフ」で講談社エッセイ賞を受賞。小説「ノーライフキング」、エッセイ集「自己流園芸ベランダ派」、紀行文「見仏記」、CDアルバム「MESS/AGE」ほか。
奥泉光(おくいずみ・ひかる)
作家、近畿大学国際人文科学研究所教授 1956年山形県生まれ。93年「ノヴァーリスの引用」で野間文芸新人賞、94年「石の来歴」で芥川賞、著書に「坊ちゃん忍者幕末見聞録」「新・地底旅行」ほか。
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