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イベント情報

2004/05/31

第6回活字文化推進フォーラム〜「ベストセラーとロングセラー」

 ベストセラーをいかに生むか、ロングセラーとしていかに残すか――。読売新聞社と出版業界などで作る活字文化推進会議は、5月15日、第6回「活字文化推進フォーラム」を札幌市の札幌共済ホールで開き、人気ミステリー作家らが創作の秘密や読書の魅力について、時にユーモアを交えながら縦横に話し合った。会場には約400人が詰めかけ、基調講演とパネルディスカッションに熱心に聴き入った。

基調講演「ミステリーと私」

大沢在昌さん(作家)

読者が育てる人気作家

 ベストセラーをいかに生むか、ロングセラーとしていかに残すか——。読売新聞社と出版業界などで作る活字文化推進会議は、5月15日、第6回「活字文化推進フォーラム」を札幌市の札幌共済ホールで開き、人気ミステリー作家らが創作の秘密や読書の魅力について、時にユーモアを交えながら縦横に話し合った。会場には約400人が詰めかけ、基調講演とパネルディスカッションに熱心に聴き入った。

29冊目で初の重版〜ベストセラーは口コミからしか生まれない

 23歳で作家デビューして25年になる。父が新聞記者だったこともあり、家に本がたくさんあって、小学生のころから推理小説が好きになった。最初はクリスティのような名探偵ものを読んでいたが、ある時、ウィリアム・P・マギヴァーンの「最悪のとき」を読んで衝撃を受け、ハードボイルド小説にのめりこんだ。

 ハードボイルドは、ダシール・ハメットが1920年代に書き始めたと言われる。第1次世界大戦は、人間が無名のまま大量に死んでいく初の近代戦争だった。その戦争から帰還した人々が、それまでと異なる死生観で小説に挑んだ。ハードボイルドは、冷徹とか残酷とか思われがちだが、そうではなく、弱く傷つきやすい心を隠して、厳しい世の中に立ち向かう人間を描くものだ。レイモンド・チャンドラーの名セリフ「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」が、それをよく表している。

 大学時代は遊びすぎて短期で“卒業”する羽目になり、小説各誌の新人賞に投稿し始めた。息子が作家になることに大反対だった父は、がんで余命半年と宣告され、その時、病院に通いながら書いた原稿が「小説推理」第1回新人賞に選ばれた。デビューできたのは、残念ながら父が亡くなった1か月後だった。

 無邪気な話だが、それまで、小説家はみなお金持ちだと思っていた。ところが最初の原稿料は、原稿用紙1枚が1500円。これでは食べていけないと、半年がかりで長編小説を書き下ろした。本の部数に定価の1割を掛けた額が、印税で支払われると知ったからだ。ところが、本はさっぱり売れなかった。

 これまで全部で65、6冊の本を出しているが、最初の28冊は1度も重版されなかった。付いたあだ名が〈永久初版作家〉。仲間の北方謙三さん、船戸与一さん、逢坂剛さんたちがスター作家になっていくのに、自分だけ売れない。心機一転、1年半をかけて全力で書き上げた28冊目の「氷の森」は、書評の対象にもならなかった。さすがに、これにはグレた。

 その後、もう面倒くさいものはいい、とにかく分かりやすいものを、と書いたのが「新宿鮫」だった。えげつないタイトルだとは思ったが、もう怖いものはないという気持ちだった。

 この本が、1990年の「ミステリーベスト10」アンケートの1位になり、日本推理作家協会賞や吉川英治文学新人賞をいただくことになるのだが、不思議なことに、刊行直後からよく売れた。ベストセラーは、口コミから生まれるとしか考えられない。面白い本とは、結局人から人へと伝わっていくのだと思った。

 「新宿鮫」に続いてパート2の「毒猿」を書いた時、順番を待っていた各社の編集者が、「今は『新宿鮫』の続編をいち早く書き、人気を不動にすべきだ」と、口をそろえて言ってくれたのはありがたかった。

 「毒猿」が完成した明け方、近くで待っていてくれた光文社の担当編集者が、原稿を目の前で1度読み終え、再びラスト5枚をめくり直した瞬間、「やった!」と思った。感動してくれたことが分かったからだ。「この本も売れます!」と断言した彼の目が真っ赤だった。その通り、「毒猿」もベストセラーになり、それに引っぱられるように、以前の小説も動き始めた。

 それから14年。苦しい時代に筆を折らずに済んだのは、当時は出版界にまだ元気があったからだと思う。「売れないけど、あいつは頑張っている」と、編集者が育ててくれた。今は、3冊4冊と売れなかった新人に、それ以上の注文が来ることはない。本当に本が売れない時代になった。これほど厳しい時代で、作家はどう生き延びるのか。これは大きなテーマだ。

 私の場合、一つ有利なのは「大沢オフィス」があることだ。最初は、私自身が小説に専念するための個人事務所だったが、同じようにスケジュール管理で悩んでいた宮部みゆきさん、京極夏彦君も加わり、3人出資による株式会社にした。

 「大沢オフィス」では、われわれ3人の名前をとったホームページ「大極宮」を運営するほか、出版社の垣根を超えた3人のブックフェアを企画するなど、硬直化した出版流通に風穴を開ける取り組みをしている。出版界は今、少しずつ水がしみこんできている大きな船だ。このままでは難破しかねない。本が読まれなくなった時代に、少しでも多くの人に興味をもってもらおうと、われわれ作家の側も頑張っている。

爆発的ヒットと短命化〜80年前後を境に

 ベストセラーとロングセラーの定義は必ずしも一様ではないが、短期的に多くの部数が売れた書籍をベストセラー、数年から数十年にわたり持続的に売れ続けるものをロングセラーと呼ぶのが一般的。戦後の主なベストセラーは表の通りだが、太宰治「斜陽」(1948年1位)や村上龍「限りなく透明に近いブルー」(76年1位)など、そのままロングセラーになったものも少なくない。

 その傾向が、微妙に変わってきたのが80年前後。タレント関連本やゲーム攻略本、写真集など、ごく短い期間のみ爆発的に売れる本が目立ってくる。3万点弱だった新刊点数が急増し始め、ミリオンセラーが年に何冊も出るようになったのもこのころからだ。現在に至る本の短命化、読み捨て傾向が進んでいく。

 最近のベストセラーを象徴するのが、片山恭一さんの「世界の中心で、愛をさけぶ」(小学館)と、養老孟司さんの「バカの壁」(新潮新書)だ。ともに300万部を超え、前者は国内作家による小説の、後者は教養系新書の発行部数記録をそれぞれ塗り替えた。「世界」は2001年4月刊、「バカ」は2003年4月刊で、そろそろロングセラーと言ってよい息の長さになっている。

 だが、純愛小説ブームを呼んだ「世界」も、優しい語り言葉で現代の不条理を縦横に斬(き)る「バカ」も、7年連続前年割れという出版不況の暗いムードを吹き飛ばすには至っていない。「自分で読みたい本を探すというより、評判の本にとりあえず手を出す消費傾向が強まっている」と、出版関係者の多くは見ているからだ。

 書店で1冊だけ何百万部売れても、他の10冊の本がまったく売れないのでは、出版界の地盤沈下は止まらないことは、今回のフォーラムでも語られている。

 一元的な価値観にとらわれず、多様な価値観を許容することの大切さは、まさに養老さんが「バカの壁」で指摘するところだ。最初の1冊は話題の本でも構わない。そこから関心を横に広げるような読書生活が、人生を豊かにする。(汗)

戦後の主なベストセラー

1950年 谷崎潤一郎「細雪」(中央公論社)
1960年 謝国権「性生活の知恵」(池田書店)
1970年 「日本万国博公式ガイドマップ」(日本万国博覧会協会)
1980年 山口百恵「蒼い時」(集英社)
1981年 黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」(講談社)
1987年 俵万智「サラダ記念日」(河出書房新社)
1991年 宮沢りえ・篠山紀信「Santa Fe」(朝日出版社)
1995年 松本人志「遺書」(朝日新聞社)
1999年 乙武洋匡「五体不満足」(講談社)
2000年 大平光代「だから、あなたも生きぬいて」(講談社)

(いずれもその年の1位、全国出版協会・出版科学研究所調べ)

大沢在昌(おおさわ・ありまさ)さん
慶応大中退。1979年デビュー。91年、「新宿鮫」で第44回日本推理作家協会賞、吉川英治文学新人賞。94年、「新宿鮫 無間人形」で第110回直木賞。

パネルディスカッション〜「ロングセラーとベストセラー」

 「ロングセラーとベストセラー」をテーマにしたパネル討論では、人気作家ら4人が自身の子供時代からの読書体験や、読書の楽しさ、面白さを語り、作品を書く際の裏話も披露した。(コーディネーターは勝方信一・読売新聞東京本社論説委員)

■パネリスト

seishu_hase.jpg馳星周(はせ・せいしゅう)さん
横浜市立大卒。出版社勤務などを経て、1996年作家デビュー。同年「不夜城」で吉川英治文学新人賞、日本冒険小説協会大賞、99年「漂流街」で大藪春彦賞。
masumi_hattori.jpg>服部真澄(はっとり・ますみ)さん
早稲田大卒。1995年のデビュー作「龍の契り」は出版2か月で7万部を超すベストセラーに。96年、2作目の「鷲の驕り」で吉川英治文学新人賞。
nkiyoshi_kodama.jpg児玉清(こだま・きよし)さん
学習院大卒。1958年、東宝入社。67年フリー。テレビを中心に俳優のほか、司会などで活躍。雑誌でコラムを連載。著書に「寝ても覚めても本の虫」。
arimasa_osawa.jpg 大沢在昌(おおさわ・ありまさ)さん
慶応大中退。1979年デビュー。91年、「新宿鮫」で第44回日本推理作家協会賞、吉川英治文学新人賞。94年、「新宿鮫 無間人形」で第110回直木賞。

本読み 人の心を読む

——今日は、読書の面白さと楽しさを考える切り口として、ベストセラーとロングセラーというテーマを設けた。まず、みなさんにご自分の読書体験を語っていただきたい。

【馳】 幼いころは病弱で、よく熱を出しては祖母に絵本を読んでもらっていた。小学生の時は、学校の図書室で江戸川乱歩の少年探偵団シリーズなどを片っ端から読み、星新一さん、小松左京さん、筒井康隆さんなど、日本の初期SF作家の作品に小遣いを使い果たした。そのうち、レイモンド・チャンドラーなどのハードボイルドや冒険小説を楽しむようになった。

 僕は高校は苫小牧だったが、ローカル線で列車通学していた時は、帰りの列車を待つ2時間の間に、駅前のスーパーの本屋で、早川書房のポケットミステリを毎日立ち読みしていた。

【服部】 私も子どものころぜんそく気味で、少年少女世界文学全集などをじっくり時間をかけて読むことが多かった。書店に行くと、本棚の「あ」のつく作家、芥川(竜之介)とか、有吉(佐和子)とか、順番に1人ずつ読んでいった。大学まで、小説の中で夢のように生きていたと思う。

 文章がわりに得手だったので、編集の会社に就職したが、記者に求められるものは描写や表現の力ではなく、最も大切なのは事実かどうか。データや情報を確認するためには正確な知識を持たなければならない。事実関係を確認する日々が続くうちに情報の根拠やしくみの揺れが見えてきた。そこから次第にフィクション(虚構)を自分も作れるという気がしてきた。

【児玉】 ただただ面白い小説を読みたくて70歳の今日まで来た。シュテファン・ツバイクというオーストリアの作家にほれ込んで、大学は独文科に進んだが、「ツバイクは、面白おかしいだけで文学性は低い」と、論文の引き受け手になる先生がいない。面白(エンターテインメント)小説は文学から迫害されていると思った。卒論は他の作家でお茶を濁した矢先、たまたま東宝のニューフェースに合格し、気がついたら今日まで俳優をやって、いまだに面白本に熱中している。

【大沢】 高校2年の時に1年で本を1000冊読んだことがある。毎日、図書館の棚の端から3冊借りて、部屋で勉強するふりをしては本を読み、授業中も教科書に隠して読んでいた。手当たり次第だったので、いろいろな本を読めたのが良かった。

ユーモアを交えた講師の話に会場は和やかな雰囲気

——なぜ、本が売れないのだろう。出版界は、かつての大沢さんのように、売れない新人を抱えることは難しいのだろうか。

【大沢】 「世界の中心で、愛をさけぶ」や「ハリー・ポッター」のように、本の世界も1人勝ちになってきている。最近は圧倒的に売れる本と、ほとんど売れない本の2種類しかなく、多様性が失われた。また、出版界は100万部を売るのに、以前は100種類の本を1万部ずつ作っていたのが、今は1000種類の本を1000部ずつ作っている。新刊点数ばかりが異常に膨らみ、1冊1冊の本の寿命が短くなっている。日本人は、同じものを読むことで安心する傾向もあるのだが。

——多様化とか個性化とかいわれていたのに、いつの間にかメガヒット時代になった。

【服部】 1冊の本が店頭に並んでから、なくなるまでが非常に速い。ある年に出した作品は、翌年になるとなかなか読んでもらえない。恒例の年末ベストテンは、良い本を紹介してもらえる反面、マイナスもある。作家は、その年だけでなく、いつまでも読んでほしい、との気持ちを込めて書いているのだが……。

 それと、作家のスター性が低下している面もある。例えば川端康成などの時代に比べ、メディアが増えた分、今の作家に「すごい存在」というスター性がないのかなとも思う。

【馳】 昨今のベストセラーの売れ方を見ていると、若い読者は、人気タレントが薦めるからその本に手を伸ばしているだけ。小説の面白さを発見してくれればそれでもいいが、一過性に終わってしまう。なぜかというと、大人たち、特にお父さんたちが本を読まないから。情報が多すぎて、大人も価値基準を持てないままに困惑している。

【児玉】 売る側の本屋にも愛情がなくなったような気がする。私たちが育ったころには、本屋のおじさんが、「こういう本、面白いぞ」と、いろいろな助言を与えてくれ、会話もあった。面白小説には人生のあらゆる示唆がある。人の心を読めないのは、小説を読まないからだと思う。本では、作中人物の不幸を笑うことも、幸福感にひたることもできる。私は、作中の女性にいつも恋しているし、素晴らしい大人も出てくる。そういうあこがれの人物を本の中に持つと持たないとでは、生き方も随分違うと思う。

——どんな作品がベストセラー、ロングセラーになるのか。作家にとって、どちらがうれしいのか。

【馳】 自分の本がどれだけ売れたかが作家にとって唯一の評価基準なので、多くの人が買ってくれることは自信になる。ただ、ベストセラーは一過性のもの。一昨年、「M」という文春文庫の中編集をだしたが、初版は5万部だったのに少しずつ売れて、半年後には10万部を超えていた。ベストセラーがじわじわとロングセラーになってくれるのが1番うれしい。

【服部】 日本で最初のベストセラーは「お経」なのではないか。初めて日本に入ってきた経典には護国の精神などが書いてあり、安心感、哲学にもつながる。人間が1番求めるのは心の平穏。それがベストセラー、ロングセラーに共通することではないか。平安時代の「宇津保物語」は、遣唐使という当時のエリートを主人公にして、冒険、ぜいたくな暮らし、恋愛、年中行事、旅などの材料がたくさん入った“面白小説”だった。こういうのもロングセラーだと思うが、私自身は自分の作品は「お経」になって欲しいなと思う。

【大沢】 作家にとってはせいぜい20万部までが実感できる数字。30万部を超えると「現象」になり、そうなると50万、100万部は割とすぐだ。「あれだけ売れているのだから何かいいものがあるはず」とみんなが思うから。ベストセラーの読者は「作品」に付き、ロングセラーの読者は「作家」に付くのだと思う。作品に付くより、作家に付く読者が増えて欲しい。

【児玉】 フランスのアレクサンドル・デュマとビクトル・ユゴーは同じ年に生まれたが、ユゴーは国民的英雄として(偉人たちが葬られる)パンテオンに埋葬されたのに、売れに売れたデュマは大衆的で文学的価値が低いと普通の墓地に埋葬された。ところが、一昨年の生誕200年祭でデュマのひつぎが掘り出され、パンテオンのユゴーの隣に納められた。面白小説を見直そうというフランス政府はなんて粋なんだろうと思った。

 ベストセラー、ロングセラー両方のいいところがミックスして、デュマは今日まで残ってきた。青春期や人生の危機に直面した時、心にふれた作家の作品は、その人のロングセラーとして、いつまでも残るのだと思う。

読書の楽しさ、おもしろさを語るパネリストたち

心に平穏 生き方変える

——聴衆から寄せられている質問を基に、ご自分の作品を語っていただきたい。大沢さんの作品には闇社会がよく出てくるが、特別な情報源をお持ちなのか。

【大沢】 そんな情報源は持っていない(笑)。普通に新聞を読んだり、週刊誌を読んだり……。僕は六本木に仕事場を持っているが、夜の盛り場で結構、取材費を使うことはある。盛り場の店で働く女性たちから、もろもろの裏情報が集まってくる。

——ずいぶん多くの連載を持っているが、頭の中で混乱することはないのか。結末を決めてから書き始めるのか、書き始めてから決めるのか。

【大沢】 並行して連載を3つ4つ抱えているが、実は、締め切りで机に向かうまでは、何を書くかは一切考えない。連載を始める時は、タイトルだけとりあえず先に決め、連載の締め切りが来るたびに、その作品のことを考えるという行き当たりばったりなやり方を、十数年続けている。それでも、最後はぐるっと回って収まるべきところに収まる。結構、同じような作家は多いと思う。夏休みの終わりになって宿題を片づけている子どもの感覚だ。

——馳さんはアンダーグラウンド(犯罪組織)を描いた作品が多いが、取材はどのようにするのか。

【馳】 「不夜城」(角川文庫)を書いた時、「歌舞伎町の中国マフィアに取材したのか」といやになるほど聞かれたが、そんな取材は一切していない。当時はまだ貧乏なライターで、取材する時間も金もなかった。ただ、北海道から大学に進むため上京してから、10年以上も毎晩、新宿のゴールデン街でバーテンダーとして働き、街がどんどん変化していくのを体で感じていた。あとは新聞や週刊誌などを読んでの活字取材だ。

 台湾の野球界を描いた「夜光虫」(同)や、タイを舞台にした「マンゴー・レイン」(角川書店)の時などは現地取材をしたが、書く上で最低限知りたいことだけしか聞かなかった。取材をしてカラクリを知りすぎると、それに縛られてうそを書けなくなる。あくまでフィクション、作り事であることは大事にしたい。

——馳さんにとって、理想のミステリー小説とは。

【馳】 格好よすぎるかもしれないが、自分にとっての理想を見つけるために作家活動を続けている。新しい作品を書く場合、常に自分にとってベストの作品であるように、もしベストであっても次はさらに上を行く作品であるように、と願っている。それを追い求めながら、死ぬまで小説を書くのだろう。

——服部さんには、「どのようにして国際的スケールの大きな作品ができるのか。綿密な取材はどこから」という質問が来ている。

【服部】 自分がそうと思いこんでいた現実と、真の現実との間に差があり、自分の見方が全然違っていたのではないか、というところから小説への意欲がわいてきた。だから、現実を徹底的に調べる癖がある。取材は、専門家に話を聞くことが多い。聞いているうちに、だんだん「学校で習ったことと違うぞ」という怒りを感じてくる。その怒りがたまたま小説としてまとまったのが、デビュー作の「龍の契り」(新潮文庫)だ。

 一つの作品を書き終えると、書く前の自分と違う自分になったように感じる。しかし、その私がまた新しい情報や社会を見た時に、また「知っていることと違う」と感じて、小説を書きたくなる。このように、作品を書くごとに毎回毎回、自分が脱皮しているようなものだ。このことが、ファンがちょっと少ない理由かな(笑)、と思ったりもする。

——「大病をされた後で、作品づくりが変わったか」という質問もある。

【服部】 5年ほど前、くも膜下出血で倒れたが、幸いなことに、こうして書く仕事に戻ってこられた。その後、作家としてどう変わったかというと、カスミを食らうような部分が多くなったのかな……(笑)。売れ筋とかよりも、自分のやりたいことを優先するようになった。今は「平家」の時代を書いている最中だが、これも、教科書などで知る昔の歴史を私が見たらこう違う、というところを書いてみたいと思っている。

——児玉さんには、日本のミステリーが海外に進出する可能性についてうかがいたい。

【児玉】 もうアメリカの新聞でも特集を組まれているくらいで、日本のミステリー作家は、ものすごく海外から注目されている。面白小説は、人間が生き生きとした国でなければ生まれないもので、その意味では日本もアメリカも土台があるわけだ。今日つくづく思ったが、やはり作家というのは端倪(たんげい)すべからざる人たちで、ウイットありユーモアありで、見事なお話し上手ばかり。大沢さんが「考えずに書く」と聞いても、今なら信じられる(笑)。

——最後に、参加者と読者にメッセージを。

【服部】 ロングセラー、ベストセラーにかかわらず、本は人の心の頼りになる、おまじないのような部分がある。持っているだけで何となく「お札」のような効用があると思う。軽い気持ちで本を買ってもらって、何か感じるところがあったら手に取り、見るも良し、見ないも良し、ただ持っていただけるだけでも、いいのじゃないかな。

【馳】 本棚が無い家が増えているという話を聞くが、リビングでもどこでもいいから、本棚を置いてほしい。お父さん、お母さんが本を読めば、子供も本を読む確率が高くなる。僕だってテレビゲームも漫画も映画も大好きだけれど、小説も面白かった。今の若い子たちに、小説だって楽しいんだぞ、ということを分かってもらいたい。

【大沢】 「おれ、あまり本を読まないんだよね」という人はかっこ悪いと思う。読書をすれば、知識や教養が身につくというだけではなく、料理本を読んで料理を覚えてもいいし、我々の本を読んで憂さを晴らしてもらってもいい。本を読むのが遅くて苦手だという人がいるけれど、読んでいれば必ず速くなる。本を読むのはかっこいいことだと言いたい。

【児玉】 僕は、本は面白くなければ、途中で読み捨てたっていいと思う。それは、書き手が読者を乗せられなかったからで。

【馳】 厳しい……。

【児玉】 いやいや、何でもかじってみてほしいということ。日本には今、面白小説が本当に山ほどあるのに、指をくわえて見ている人が多いのが残念でならない。ある女子高で、「どんな本が面白いと思う」と聞いたら、「すぐ読めて、終わっちゃうもの」。今はそれでもいいのかもしれないが、もっと本の虜(とりこ)になってほしい。そのために、大沢さんら魅力あふれる作家が、もっと世の中に出て発言すれば、さらに作品も親しまれると思う。 

——その時は、児玉さんの面白本ガイドも、大いに役に立つことだろう。非常に楽しい進行役を務めさせていただいた。まことにありがとうございました。

(2004/05/31)

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